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俳 人
遠藤曰人
仙台藩士。名は定矩、字は文規、通称清左衛門。
曰人 仙台城下東一番町 遠藤清右ヱ門
『諸国人名録』②
宝暦7年(1757年)、桃生郡寺崎村に生まれる。
『暮雨句集』
(曰人稿)。「
暁台先生発句聞書 寛政三年七月八日曰人写
」とある。
文化元年(1804年)12月5日、土芳稿
『芭蕉翁全傳』
を書写。
文化5年(1808年)、諏訪の俳人
藤森素檗
は曽良の百回忌を記念して遠藤日人に依頼して松島の
雄島
に曽良の句碑を建立。曰人筆。
『曽良句碑建立句集』
。
芭蕉と曽良の句碑
朝よさを誰まつしまぞ片心
芭蕉
松島や鶴に身をかれほとゝぎす
曽良
右が曽良の句碑。
文政11年(1828年)2月、仙台市青葉区の
滝沢神社
芭蕉の句碑を建立。
葉類裳やゝ希之起登々南宇月と梅
碑陰に
雄淵
・曰人等建碑者31人が連名で刻んである。
文政年中(1818〜1830)、
『蕉門諸生全伝』
(遠藤曰人稿)。
天保年間(1830〜1843)に
気仙沼
に遊ぶ。
天保7年(1836年)4月20日、79歳で没。
仙台市若林区の松音寺墓地に墓碑がある。
背面に辞世の句が刻まれている。
土金や息はたえても月日あり
仙台市宮城野区の
榴岡天満宮
に曰人の句碑がある。
道ばかり歩いてもどる枯野かな
仙台市宮城野区の
宮城野八幡神社
に曰人の句がある。
宮城野を大根植ゑてへらしけり
松島の瑞巌寺にある
「芭蕉翁奧の細道松島の文」の碑
に曰人の句が刻まれている。
松島やここに寢よとよ花すみれ
「宮城野への道」
宮城野を大根植えてへらしけり
曰人の句
あすからは朝の間に見ん秋の山
『はたけせり』
見ながらも桜見やうと思ひけり
『続雪まろげ』
山風か里へ出たかる紫苑哉
『おくの海集』
朔日の青竹たゝく扇かな
『曽良句碑建立句集』
十日ほど筆がとられず大根引
『玉の春』
翌からハ朝の間に見む秋の山
『遠ほととぎす』
鶯の呑やしつらん硯みづ
『菫草』
あすからは朝の間に見ん秋の山
『物の名』
老の手のとゞかぬ枝の寒さ哉
『続草枕』
青柳のさく枝つかむ雀かな
『物見塚記』
しづかさや掌へさす百合の影
『随斎筆記』
寒ければ雨の手づまも變りけり
『なにぶくろ』
誰もなき別れやう也猫の恋
『信濃札』
園へ散松葉踏ても深山めく
『世美冢』
草のふしをれて轉ふや鷦鷯
(みそさざい)
『青かげ』
間
(ひま)
に成し人のおほさや梅の花
、『杖の竹』
二人して立別れ見るやなぎ哉
『迹祭』
寒ければ雨の手づまもかはりけり
『
俳諧
西歌仙』
見ながらも桜見やうと思ひけり
『小夜の月』
みじか夜を咲てぬからぬ小蒜
(のびる)
かな
『椎柴』
立よれば名月もたぬ松もなし
『春秋稿』(第八編)
人ほどに苦労はみえず帰り花
『燧袋』
單もの出したばかりを老が夏
『糠塚集』
老の目にひよつと見ゆるや露の玉
『わすれす山』
乾くまて蝿はる庭や若葉吹
『杉間集』
水底に霜のおくやら隅田川
『墨多川集』
さとの鵜のはしやすむれば梅の花
『五とせ集』
松笠のおちて音なしこけの花
『千載集』
翌は人に拝るゝ身そはか参り
『石碑供養』
掃そめや禮者來かゝる埃先
『乙二七部集附録』
女郎花五本寄せてもひとすかた
『袖塚集』
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