このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2011年

五十鈴神社〜碑巡り〜
indexにもどる

気仙沼市魚町の神明崎に五十鈴神社がある。


五十鈴神社


祭神は天照皇大神。

五十鈴神社に八雲神社、竜神社が合祀されている。

龍神社は 延喜式内社

「延喜式神名帳」(927年)に「陸奥國牡鹿郡 計仙麻神社」とある。

龍神社の祭神は大海津見神。

五十鈴神社に芭蕉の句碑があった。


疑ふなうしをの花も浦の春

出典は 『いつを昔』 (其角編)。

二見の図を拝み侍りて」と前書きがある。

元禄2年(1689年)春、芭蕉46歳の句。

明治17年(1884年)、森田閑哉建立。

 文化14年(1817年)、閑哉は唐桑の伊東家に生まれる。本名清安。別号士峯、赤松庵。

明治27年(1894年)、78歳で没。

五十鈴神社に閑哉の句碑もあった。


月はいまはなれた色や朝ざくら

 寛延4年(1751年)、和知風光は『宗祇戻』の旅で蚓舌(いんぜつ)という俳人を訪ねている。

気仙沼と云浜蚓舌を尋て気仙は鱈の名物にて冬至入て初鱈将軍へ献上のよし

気仙沼や五日をとへは後の鱈

『宗祇戻』 (風光撰)

気仙沼は鱈が名物であったようだ。

蚓舌の句

尋たる玉のありかや貴妃桜

『宗祇戻』 (風光撰)

日本百景気仙沼湾


神明崎の下に管弦窟がある。

管弦窟に菅江真澄の歌碑があった。


いと竹のいはやの神やまもるらん波のしらべの音もしづけし

歌 意

 いとは糸で弦、竹は管、管弦窟の神様が守って下さるからでしょうか、波も静かなよい港ですね。

 天明6年(1786年)7月8日、 菅江真澄 は気仙沼に来遊し、1ヶ月ほど滞在した。

 八日 釜江といふきしよりむかへは、ここらのふねのかかりたるあはひより、鳥居の浪ごしに立たるは、うなり穴といひて、やよひ三日とらひとつ斗に、もののしらべする声、屈(ママ)のうちに聞へける。かかるゆへ、からのうたには、管絃屈といふを聞て

   いと竹のいはやの神やまもるらんなみのしらへの音もし


 天保年間(1830〜1843)には仙台の 遠藤曰人 も気仙沼に来遊している。

 明治33年(1900年)7月20日、旧制盛岡中学生であった 石川啄木 は気仙沼に宿泊。生まれて初めて海を見て、翌日神明崎から三陸海岸を北上したそうだ。

「港町ブルース」の歌碑があった。


港町ブルース


      作 詞 深津武志

      編作詞 なかにし礼

      作 曲 猪俣公章

歌 森 進一

1.背のびして見る 海峡を
今日も汽笛が 遠ざかる
あなたにあげた 夜をかえして
港 港 函館 通り雨

2.流す涙で 割る酒は
だました男の 味がする
あなたの影を ひきずりながら
港 宮古 釜石 気仙沼

6番までの歌詞が刻まれていたが、以下省略。

「港町ブルース」の歌碑は、震災でも無事だった。

震災後に訪れた「落合直文の歌碑」。


さわさわとわが釣りあげし小鱸(おすずき)のしろきあぎとに秋の風ふく

落合直文 が気仙沼の出身とは、知らなかった。

「私の旅日記」2011年 〜に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください