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俳 人

下郷蝶羽
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 尾張鳴海の人。酒造業の千代倉を継ぎ、姓を下里から下郷に改める。別号風和。

下郷家本家(千代倉屋)


 延宝5年(1677年)、 下里知足 の長男として生まれる。

 正徳2年(1712年)、蝶羽は 俳諧千鳥掛』 (知足編)刊。

 正徳2年(1712年)10月8日、 素堂 は下里蝶羽を訪れ、9日、蝶羽と共に 笠寺 へ。

 正徳3年(1713年)1月27日、蝶羽は名古屋へ行き泊まる。28日、風月堂で歌仙。

一月廿七日 暖気 馬ニ而名古屋へ行泊ル。

一月廿八日 暖気 なごや逗滞。方々へ年礼勤。今夕風月堂興(行)有。相拶発句する。

太平の墨の匂ひや梅の風
   蝶羽

是も馳走の内か春雨
   夕道

建初る雛に座敷を改て
   柳塘

 歌仙アリ。

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

 正徳5年(1715年)1月27日、曽北は千代倉家を訪ね、2月9日まで逗留。

一月廿七日 天晴余寒甚 勢州山田曽北子来り逗留。

二月九日 曇ル及暮雨 曽北なごやへ発足。

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

 正徳5年(1715年)4月19日、 凉菟 ・雲鈴は蝶羽を訪ねる。22日、蝶羽は凉菟・雲鈴と共に伊勢参宮。

四月十九日 雨降 伊セ凉菟、越後雲鈴来。俳諧アリ。

四月廿二日 天晴 凉菟、雲鈴同道ニて蝶羽、鯉走、一温伊セ御参宮。熊野戻り船ニ乗、此浦より出ス。供弥蔵。

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

 正徳5年(1715年)5月28日、 越人 は下里蝶羽を訪ねて、歌仙。

五月廿八日 照(中略)なごや越人三川より帰一宿。歌仙スル。

寝ぬべしと一夜は聞てかんこ鳥
   蝶羽

 座敷よごさん汗の帷子
   越人

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

 享保4年(1719年)8月2日、潭北は千代倉家を訪ね、9日まで逗留。

八月二日 晴 烏山潭北子下り逗留。供壱人。

八月九日 曇 潭北子同道ニ宮なごやへ行泊ル。

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

 享保10年(1725年)7月3日、 巴静 は蝶羽を訪ねる。

 享保12年(1727年)4月27日、美濃の魯九は千代倉家を訪ね泊まっている。

四月廿七日 朝晴又曇晴小雨折々する昼より照 今朝ミの蜂屋俳諧魯九子来滞留。

四月廿八日 晴照 ミの魯九坊今朝発足。

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

 享保12年(1727年)8月7日、白雪は千代倉家を訪ねて泊まっている。

八月七日 晴天 三州新城白雪子来り泊ル。

八月七日 晴天 白雪子戻る

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

 享保13年(1728年)3月21日夜、 祇空 は千代倉家を訪れて2泊している。

三月廿二日 晴天昼より西風強 昨晩京紫野祇空坊来り泊ル。今昼山へ夕引蕎麦切振廻。

米踏と咄すや春の深見ぐさ
   祇空

 竹葉に当つ山吹の水
   長羽

野原ハ今緞子と霞らん
   キ世

三月廿三日 曇 祇空坊発足。池鯉鮒駕五郎兵衛、作右衛門送せる。

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

 享保14年(1729年)8月23日暮、祇空は千代倉家を訪れて2泊している。

八月廿三日 曇 紫野祇空坊登ル。暮テ着り泊ル。

八月廿四日 曇時々晴 祇空坊逗留蕎麦切振舞。

八月廿五日 曇 祇空坊宮迄駕にて送る。

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

 享保15年(1730年)4月5日、巴静は千代倉家を訪れて泊まる。

四月五日 曇 なごや俳諧巴静坊来泊ル。此方へ句好ム。

芍薬や猫も音せぬ古畠
   風和

 新茶挽日はうす嗅に来ル
   巴静

するすミの海から山へ虹たちて
   キ世

四月六日 晴天 巴静坊戻ル

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

 享保15年(1730年)10月29日、祇空は江戸に下る途中で千代倉家に立ち寄る。

十月廿九日 晴 祇空江戸行立寄。夕飯振廻。

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

寛保元年(1741年)11月12日、65歳で没。

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