このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
松木淡淡
大坂西横堀に生まれる。初号因角、のち渭北。別号半時庵。
元禄初年(1688年)のころ江戸に出て芭蕉から呂国の号を受けた。
元禄4年(1691年)、淡淡は本多氏に鍼医として仕官。
元禄7年(1694年)、不角について因角と改め、しばらく江戸に滞在した。
元禄16年(1703年)、奥州行脚、『安達太郎根』。
正徳4年(1714年)、
祇空
剃髪。
宗祇のしぐれ、芭蕉の宗祇、青流
の剃髪
世にふるもさらに祇空のやどり哉
淡々
『みかへり松』
寛保4年(1744年)、
なみ
は大坂に移住。大坂で淡々に会っている。
天満参りの帰るさ半時庵を訪ひて
鶯と物いふ枝の雀かな
浪女
返し
鳳なれや桐も若芽の艸の宿
淡々
『ぬれ若葉』
宝暦11年(1761年)11月2日、88歳で没。
朝霧や杖で描きし富士の山
寛政元年(1789年)3月、湖月庵春亀は
「四世塔」
建立。
逆さまによみても更に帰り花
愛媛県四国中央市の
医王寺
に「半時菴朝水居士発句塚」がある。
かりのよや畑の夕月朝みとり
東海道の
有松
に淡淡の句碑がある。
有松や家の中なるふぢのは那
淡淡の句
暁の時雨(と)いへる題にて
滝を生む日に消され行時雨哉
『門司硯』
重陽の吟とて或人のかたりける
根のあるはけふはつたなし菊の花
『窓の春』
暁や灰の中よりきりきりす
『
俳諧
百一集』
はつ秋の比、信濃ゝ猿山を導てみ
つの浦邊にあそぶ
片桶は月に浮けり塩乙女
『水薦苅』
枯蓮の起てたゝかふ時雨かな
『佐夜の月』
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