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私の旅日記2014年

長谷寺〜芭蕉の句碑〜
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倉吉市仲ノ町の打吹山中腹に長谷寺がある。


養老5年(721年)、創建。

天台宗 の古刹である。

中国三十三観音霊場第三十番札所。

納経受付所の前庭に「四世塔」があった。


上・下2つに割れた下部である。左に「誹僊」と書かれた上部が置かれていた。

寛政元年(1789年)3月、湖月庵春亀建立。

誹僊

一つ脱てうしろに負ぬ衣かえ
   はせを

七十の腰をそらして鳴子引
    其 角

逆さまによみても更に帰り花
   淡 々

炉に炭をつく息寒し黙りごと
   青 千

干時寛政元年春三月

 湖月庵春亀築之

春幾世残れ立葉の玉かしは

右四先師の詠吟碑の表に刻み伯州倉吉打吹山長谷寺道場の櫻の下に新に築き畢ぬ

此山五丁余の坂道を登り当国旧地の霊場也

四世塔『田舎風月』乾より

 芭蕉の句は、貞亨5年(1688年)4月1日、 『笈の小文』 の旅の途中の句である。

 其角の句は、 『五元集』 には「七十の腰もそらすか鳴子曳」とある。

青千は作州勝山の俳人景山青千。潦湖斉。

懸造(かけづくり)の本堂


仁王門


延宝8年(1680年)の造営。

打吹山長谷寺


天正年間(1573〜1592)の造営。

山門の左手に芭蕉の句碑があった。


憂き我をさびしがらせよ閑古鳥

出典は 『嵯峨日記』

元禄4年(1691年)4月22日、芭蕉48歳の句。

昭和26年(1951年)、覚應代建立。

碑陰に河原晩成の句が刻まれている。

枯るるものみな枯庭のととのえり

一色の鐘静かなり夕霞

晩成は河村郡下谷村に生まれる。名は丑蔵。不動庵。芭蕉十世。

昭和27年(1952年)5月16日、76歳で永眠。

過ぎし世も現世(うつしよ)もみな有難味

倉吉市河原町に旧小川酒造がある。


旧小川酒造


国登録有形文化財 である。

小川氏庭園に「芭蕉」の句碑があるそうだが、非公開。

三日月やはや手にさわる草の露

『三日月日記』 (支考編)に 桃隣 の句として収録されている。

弘化4年(1847年)、杜陵建立。

杜陵は倉吉の俳人。牧田氏。名は庸定。通称仁右衛門。

安政3年(1856年)、34歳で没。

『諸国翁墳記』 に「伯陽久米郡倉吉府 東口松原」とある。

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