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私の旅日記
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2009年
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定家神社
〜芭蕉の句碑〜
高崎市下佐野町の上越新幹線沿いに定家神社がある。
定家神社
鎌倉時代の歌人、国文学者で歌聖と敬われた藤原定家を祭神とする。
駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮
『新古今和歌集』
(巻第六冬歌)
定家の歌である。
貞享2年(1685年)、貝原益軒は「定家の明神」のことを書いている。
道より西に佐野村あり。佐野舟橋を渡せし川有。名所也。古歌多し。舟橋をつなぎし木なりとて、近き比まで有しと云。今はなし。佐野源左衛門恒世が舊宅も佐野に有。定家の森、定家の明神有。名所にはあらず。
『岐蘇路記』
定家神社に
万葉の歌碑
があった。
左努山に打つや斧音の遠かども寝もとか子ろが面に見えつる
『万葉集』
(巻十四)東歌
芭蕉の句碑
もあった。
松杉を誉てや風のかほる音
元禄7年(1694年)夏、京都嵯峨の
落柿舎
滞在中の作とされる。
『はせをつか』
(楓幻亜編)に「
芭蕉冢 同佐野定家社 此碑近頃失
」とある。
左側面に
佐久間柳居
の句が刻まれている。
鳩ほとと人は言ふなり閑古鳥 眠柳居士
『柳居発句集』
に収録されている句である。
文政7年(1824年)4月26日、護物は江戸を旅立ち、佐久の葛古邸まで旅をする。途中、定家神社で句を詠んでいる。
下佐野といふ里に定家の社 あり。いとゞ神さびたり。
柿の薹
(へた)
何にせうとて拾ふ子ぞ
護物
『燧袋』
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