このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

昔の温泉

瀬見温泉「エビス屋旅館」
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「尿前の関跡」 から国道47号(北羽前街道)を行く。

中山越を越えると、山形県。

左折して県道28号に入ると、山刀伐トンネルを抜けて 尾花沢


それでは去年と同じコースになってしまう。

今日は国道47号(北羽前街道)を直進して、瀬見温泉に行くことにする。


 陸羽東線瀬見温泉のところで左折して最上川の支流小国川を越えると、瀬見温泉の温泉街がある。

小国川


 つげ義春は昭和44年8月に瀬見温泉を訪れたようだ。 『つげ義春の温泉』 に瀬見温泉「喜至楼」の写真が載っている。

温泉街の中心に「喜至楼」があった。


つげ義春好みの建物である。

「喜至楼」の前に共同浴場「ふかし湯」があった。

 たまたまそこにいたおじさんに「お風呂に入れますか?」と聞くと、まだお湯が溜まっていないということだった。

瀬見温泉にはもう1つ共同浴場があったが、そこも鍵が掛かっていた。

 近くの酒屋さんで「お風呂に入れる宿はありますか?」と聞くと、「エビス屋旅館」を紹介してくれた。

「エビス屋旅館」の日帰り入浴は500円。

露天風呂はないが、浴室は小国川沿いにある。

湯気でレンズが曇り、写真は撮れない。

丸い浴槽で、お湯は澄んでいる。掛け流しである。

 泉質はナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩温泉。旧泉質名は含石膏−食塩泉。泉温は67.2℃。

国道47号(北羽前街道)に戻る途中、「弁慶の投げ松」というのがあった。

「弁慶の投げ松」


 弁慶が亀若丸の誕生を祝って、「再び義経公の世になって栄えるように。」と、峠の頂上から投げた松が、ここに根付いたものだとそうだ。

「瀬見温泉の由来」が書いてあった。

瀬見温泉の由来

 文治(ぶんじ)3年(1187年)春、兄頼朝の追討を逃れ、奥州平泉に落ちのびる 義経 主従13名は、亀割山中で一夜を過ごした。 ところが予てより身重の北の方が急に産気づき、亀割山の子安観音で亀若丸を出産した。その若君の産湯を求め、弁慶が沢を下り瀬を渡って、紫雲立ち昇る川辺に辿り着き、大岩を薙刀で突き破るとふつふつと熱い湯が噴き出したという。若君の産湯としたこの湯こそが、瀬見温泉の開湯と今に伝えられている。数日この地で滞在し、北の方の回復を待って、一行は再び平泉へ向かったのだという。

和子めでて瀬見わたりゆく武者の影

誰の句か、分からない。

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