このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
昔の温泉
浅間温泉「ホテル玉の湯」
浅間温泉は天慶2年(939年)には土地の豪族犬飼半左衛門によって「犬飼の湯」と呼ばれたと言われているそうだ。
今日は浅間温泉「ホテル玉の湯」に泊まる。
「ホテル玉の湯」
(HP)は明治18年(1887年)創業の老舗宿。
大浴場
源泉名は2号、4号源泉、大下源泉、東北源泉の混合泉。
泉質はアルカリ性単純温泉(アルカリ性低張性高温泉)。pH8.7.4。泉温は9.7℃。
檜露天風呂
いつでも空いているのがいい。
廊下に文人の色紙があった。
夕食前に散歩すると、
「貴祥庵」
は星野リゾート「界 松本」になっていた。
夕食には館主の「信州そば切り」が出る。
貸切展望露天風呂
「全身リクライニング式ジェット水流バス」である。
女将の司会で毎晩「車坐コンサート」が開かれる。
すでに4,000回を超えるそうだ。
今日は「ピアノ&ベース」。
「ホテル玉の湯」は「元気になれる宿」だそうだが、館主も女将も元気だった。
浅間温泉の
神宮寺
で丸木位里・俊夫妻の描かれた屏風絵が公開されていたが、昨日で終わってしまった。
天明3年(1783年)8月18日、
菅江真澄
は姨捨山の帰りに浅間の湯に泊まっている。
今宵は淺間の出湯 に泊りてんとて、其路をわけて至る。犬飼の大臣
(おとゞ)
とかやさすらへたまひし頃、奥山に湯煙の立つを遥々と見やりたまひて、湯浴みたまひしを始にて、人ごとに茲を犬飼の御湯と、其名高う世に聞え渡りぬ。拾遺集物名
(ものゝな)
の歌にいはく、「鳥の子はまだ雛ながら立ちていぬかひのみゆるや巣守なるらんとあるも、犬飼の御湯をよみたりけるにそあらめ。湯守がやかたに自庵といふに泊りたり。この夕、
みねの庵雲なとざしそこよひ又こゝに居待の月やながめん
『わがこゝろ』
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