このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2015年

浄雲寺〜三日の月塚〜
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大分市大字松岡字門前に浄雲寺という寺がある。


浄雲寺本堂


真宗大谷派 の寺である。

本堂右手の築山に「三日の月塚」があった。


何事の見立にも似す三日の月

出典は 『阿羅野』

 貞享5年(1688年)7月3日、『笈の小文』の旅の途次、名古屋の円頓寺(現名古屋市西区橋詰町)で詠まれた句とされる。

『笈日記』 には「有とあるたとへにも似ず三日の月」とある。

嘉永7年(1854年)夏、七香園安藤石友建立。

浄雲寺庫裡


庫裡の庭に「宿塚」があった。


人々をしぐれよや留はさむくとも

出典は『芭蕉翁全傳』。「配力亭にて」と前書きがある。

元禄2年(1689年)、伊賀藩士配力亭で巻かれた歌仙の発句。

配力は杉野房通、伊賀藩作事目付け。

 宿塚は、松岡の俳人安藤石友の屋敷跡に建っていたものを、浄雲寺に移転した。石友は七香園と称し、この地方に七基の芭蕉塚を建て、明治二十五年に六九才で歿した。

石友の建てた芭蕉塚

一、三日の月塚
 嘉永七
 浄雲寺

二、宿   塚
 不 詳
 〃

三、初 音 塚
 安政六
 梅ノ木

四、菫   塚
 明治一八
  長興寺

五、子 規 塚
 〃 一九
  御手洗

六、桜   塚
 〃 二二
  辰 口

七、草 花 塚
 〃 二三
  薬師堂

※神 の 秋 塚
 〃 一七
  亀 丘

(周匝人として名を連なる)

『九州の芭蕉塚』

薬師堂 へ。

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