このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2015年
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柞原八幡宮
〜豊後一之宮〜
大分市八幡に
柞原八幡宮
(HP)がある。
豊後
一之宮
(旧国幣小社)
柞原八幡宮由緒略記
当宮は平安時代の天長4年(827年)に
宇佐神宮
より御分霊を勧請し、承和3年(836年)国司により社殿を造営。爾来、皇室も厚く尊祟せられた。
嘉承(1108年)には、勅使の参向があり、敷地の四至を定め税を免ぜられた。仁平三年(1153年)には、鳥羽法皇が60歳の御賀に御祈願を修せられ、神領を定められた。
元暦元年(1184年)には、源範頼が平氏の追討を祈願したのをはじめ、源頼朝、領主(大友、竹中、日根野)、武家の崇敬も非常に厚く、近世には、社家200余、坊舎30を数えた。御本殿は、安政年間に再建された壮麗な八幡造り。参道途中に建つ南大門は、「日暮門(ひぐらしもん)」と称し、壁面には二十四孝等の彫刻が施され、門の横には樹齢3000年の天然記念物の大楠が聳えている。
宝物館には太刀、甲冑、金銅仏等重文6点他を所蔵。
柞原八幡宮の石段
石段を上ると右手に「ほるとのき」がある。
大分市の名木
この木は、享禄から天文のころ、豊後国主
大友宗麟
が盛んに外船を引き、神宮寺浦(今の春日浦)において外国貿易を営んだ際、ポルトガル人が持って来て移植をしたものなので、その名をとって樹の名前にしたと言う。
石段の左手に
芭蕉の句碑
があった。
春も漸けしきとゝのふ月とむめ
南大門
別名「日暮門」。重要文化財である。
柞原八幡宮のクス
国指定天然記念物。
柞原八幡宮社殿
寛延2年(1749年)大火による焼失後に再建されたもの。
本殿は嘉永3年(1850年)の再建。重要文化財に指定されている。
御祭神
仲哀天皇
(帯中日子命
(タラシナカツヒコノミコト)
)
応神天皇
(誉田別命
(ホンダワケノミコト)
)
神功皇后
(息長帯比女命
(オキナガタラシヒメノミコト)
)
廻廊の奉納 俳諧四季發句
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