このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2010年

「長生館」〜碑巡り〜
indexにもどる

長瀞町長瀞の「長生館」に若山牧水の歌碑があるというので、行ってみた。


明治44年(1911年)9月14日、宝登山駅開業。
大正4年(1915年)、「長生館」開業。
大正9年(1920年)4月、牧水「長生館」に泊まる。
大正12年(1923年)7月7日、長瀞駅に改称。
昭和28年(1953年)、虚子「長生館」に宿泊。

「長生館」の庭に 若山牧水の歌碑 があった。


溪の音遠くすみゐて春の夜のあけやらぬ庭にうくひすのなく

第13歌集『黒土』に収録されている歌。

 「その夜秩父長瀞なる渓合の宿に泊る、明くれば数日来の雨全く晴れて鶯頻りに啼く。」と詞書がある。

若山牧水紀行の一節

大正9年4月記

起き上つて縁側に出て見ると矢張晴れてゐた。まだ日の光のとほらぬ青空に風の出るらしい雲が片寄つて浮んではおるが實に久しぶりに見る爽かさである。少し寒いのを我慢して立つてゐると何處で啼くのか實にいろいろな鳥が啼いてゐる。

昭和41年(1966年)秋、建立。

『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄著)によれば、48番目の牧水歌碑である。

 昭和29年(1954年)5月13日、 高浜虚子 は「月の石」の句碑除幕に長瀞を訪れている。

せゝらぎの水音響く鮎の川

      五月十三日 長瀞行。この夜一泊。「月の石」の句碑除幕。


高浜虚子の句碑 もあった。


これよりは尚奥秩父鮎の川

昭和30年(1955年)、建立。

 秩父長瀞駅の長生館玄関前に、昭和三十年六月、この句の碑が建てられた。幅三尺三寸、高さ一尺五寸、厚さ約一尺の根府川産扇形石材に刻んだもので、高さ四尺の自然石の台石の上に据えられて居る。昭和二十九年五月、この地に杖を曳いた虚子翁が、土地の人に請われて染筆したのを、秩父市在住の日展推薦、清水柏翁氏の鑿によって刻んだものである。碑陰には「昭和三十年 柏翁刻」とだけ記されて居る。


金子兜太の句碑


猪が来て空気を食べる春の峠

平成19年(2007年)7月、建立。

金子兜太 は秩父の俳人である。

「長生館」の庭から長瀞渓谷を見下ろす。


私の旅日記2010年 〜に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください