このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2008年
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ふるさとの散歩道
〜水辺公園〜
三ツ木堰公園
から国道17号に出て、水辺公園へ。
水辺公園の入口に塘景の句碑があった。
束ねたるままに露もつ早苗哉
吉田塘景
文政7年(1824年)、下忍の豪農の家に生まれる。
安政2年(1855年)、
富処西馬
が行司役で作られた「発句大会番付表」で東の大関に位置している。
明治25年(1892年)、塘景没。
一茶の句碑
があった。
夜に入ればせい出してわく清水哉
文化9年(1812年)5月の句。
夜に入ればせい出してわく清水哉
『七番日記』(文化9年5月)
同年6月12日、一茶は江戸を引き払って故郷柏原に帰る。
13日には吹上を通るが、その日は深谷に泊まっている。
水辺公園
睡蓮が咲いていた。
西馬の句碑
いふ事もせまるばかりぞ年の暮
天保12年(1841年)の暮、西馬が玉芝亭を訪ねた時に詠まれた句だそうだ。
富処西馬
は高崎出身、児玉の春秋庵
久米逸淵
の高弟。
門下に春秋庵
三森幹雄
がいた。
玉芝は榎戸村の眼医者横田邦厖(文玉)の息子。
玉芝の句碑は
荒川パノラマ公園
にある。
東阿の句碑
ふる川に神輿あらへり里わらは
東阿は吹上の人。僧職であったようだ。
東阿あざりがもと(を)とひて
咲(き)しより冬野(を)越(え)てとひし梅
『春秋稿』(初篇)
東阿の句碑がもう1つあるはずだったが、なぜか見当たらなかった。
後日あらためて探してみると、少し離れた所に東阿の句碑が横たわっていた。
稲の花里は般若の風祭り
水辺公園にも
加舎白雄
の句碑があった。
親の親の風情や嗣て石蕗の花
雪香がもとにあそぶに、あるじは師が門人松琴老人の孫子なりと聞(き)て一花に対す。
親の親の風情や嗣て石蕗の花
「雪香」は
鳥酔
の門人松琴老人の孫。
元荒川橋
へ。
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