このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2008年

ふるさとの散歩道〜荒川パノラマ公園〜
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荒川堤防 を歩き、荒川パノラマ公園へ。


玉芝の句碑があった。


養ひの月日かぞへて菊見かな

 前書きに「龍光精舎に遊びて」とあるそうで、隣村大芦の龍光寺で詠まれたことが分かる。

寛政5年(1793年)12月、玉芝生まれる。

榎戸村の眼医者横田邦厖(文玉)の息子。

文玉の句碑は 榎戸堰公園 にある。

玉芝は熊谷に草原庵を構えた小蓑庵二世 碓嶺 を訪れている。

一茶の句碑もあった。


辛菜も淋しき花の咲きにけり

中山道荒川土手は芥子の花と辛菜の花の名所であったらしい。

文化6年(1809年)2月10日、一茶は田川にいた。

   九[日] 晴 田川ニ入 御普請奉行大島源左衛門泊

   十[日] 雨

辛菜も淋しき花の咲にけり

『文化六年句日記』(2月)

荒川パノラマ公園の片隅にまた一茶の句碑があった。


なの花のとっぱづれ也ふじの山

なの花のとつぱづれ也ふじの山

『七番日記』(文化9年2月)

展望台に登る。


秩父連峰武甲山がうっすらと見えた。

碓嶺(たいれい)の句碑があった。


熊谷の見えて長閑けし芥子の花

荒川土手の芥子の花


碓嶺 が榎戸の横田氏を訪れて詠んだ句。

   中山道榎戸横田氏探題

戸もさゝで笛ふく里や水鶏鳴
   玉芝
また旅の嬉しく成ぬさくらの実
   文玉
熊谷の見えて長閑けし芥子の花
   碓嶺

『をばながさ』

 安永9年(1780年)、碓嶺は上州 坂本 で代々旅籠を営む「中村屋」に生まれた。

姓は仁井田であるが、中村を名乗る。

「横田氏」は榎戸村の眼医者横田邦厖(文玉)と息子の氏宣(玉芝)。

荒川パノラマ公園を下りる。


一茶の句碑があった。


筏士の箸にからまる蛍哉

筏士の箸にからまる螢哉

『八番日記』(文政3年6月)

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