このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2008年

ふるさとの散歩道〜本町5児童公園〜
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「中山道間の宿」の碑 から元荒川沿いの吹上本町5児童公園へ。


喬駟の句碑があった。


水底の照る見る空か天の川

喬駟 は中山道間の宿の「本陣」林家の当主。

 鴻巣の 横田柳几 に師事して俳諧を学ぶ。後に 鳥酔白雄長翠 などと親交を結んでいる。

芳石の句碑もあった。


明星の水田にさすや鴫の声

芳石は本名三井元輔。旧北新宿村の医師。 常世田長翠 に俳諧を学ぶ。

寛政6年(1794年)から8年間、長翠は本庄の 戸谷家 に逗留していた。

文久2年(1862年)、没。

北新宿の永昌寺に墓がある。

元荒川沿いを歩くと、JR高崎線の鉄橋がある。


鉄橋の手前に里恵の歌碑があった。


幾とせもかはらぬ松の色そへて

   古々路のままにおくる月かげ

三上里恵は 所沢 の女流俳人。雪中庵三世 大島蓼太 に師事。

天保4年(1833年)、榎戸村の玉芝(横田氏宣)を訪ねた折に詠まれた歌。

81歳の時である。

俳諧だけでなく和歌もよくした人であったようだ。

JR高崎線の鉄橋を過ぎて、元荒川沿いを歩く。


榎戸堰公園に文玉の句碑があった。


鵜遣いの年に不足はなかりけり

文玉は榎戸村の眼医者横田邦厖。 常世田長翠 の指導を受けている。

天保10年(1839年)8月、文玉は64歳で没。

息子の氏宣も俳人で、俳号は玉芝。

玉芝の句碑が荒川パノラマ公園にあるそうだ。

今日は歩き疲れたので、 荒川パノラマ公園 は後日。

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