このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2012年
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太田道灌公之像
〜日光御成道一里塚〜
さいたま市岩槻区本町の県道2号さいたま春日部線沿いに旧岩槻市役所跡がある。
旧岩槻市役所跡に太田道灌公の像があった。
太田道灌公之像
太田道灌
公は文武両道に秀でた武将で、築城の名手であった。
1457年、岩槻に
白鶴城
を、後に徳川300年の中心となった
江戸城
を築いている。
岩槻ライオンズクラブは結成20周年を記念し、500年前の往時を偲び道灌像をゆかりの地岩槻に建立した。
1985年10月27日
岩槻ライオンズクラブ寄贈
山吹の花が咲いていた。
山吹は旧岩槻市の花。
平成17年(2005年)4月1日、旧岩槻市はさいたま市に編入。
県道沿いに「日光御成道一里塚」の碑があった。
江戸時代、全国の主要な街道には、1里(約4km)ごとに、榎や松などを植えた塚が道の両側に設けられ、道の行程の目安とされていました。これを一里塚といいます。
日光御成道が通っていた岩槻でも、笹久保、岩槻城下久保宿町、相野原(現存、県指定史跡)の3か所に一里塚が設けられていました。その内の岩槻城下久保宿町の一里塚は、現在の岩槻区役所前あたりに設けられていました。日光御成道は、幕府将軍が
日光東照宮
に参詣する際の通行路として整備された街道です。
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