このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2008年
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忍城本丸跡
〜行田市郷土博物館〜
埼玉県の行田は忍城の城下町。
冠木門
忍城の由来
忍城は文明10年(1478年)頃成田顕泰
(あきやす)
により築城された。「守り易く攻めにくい」難攻不落の名城であったと伝えられている。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の関東平定の中で戦われた
石田三成
による水攻めにも耐え、この城は水に浮くのかと恐れられ「忍の浮城」とも称されたという。
寛永16年(1639年)時の老中阿部忠秋が入城し忍城大改築に着手。孫の正武の代にいたり忍城御三階櫓の建設、城門土塀の修築などが完成し、面目を一新したという。
文政6年(1823年)伊勢の
桑名
から松平忠堯
(ただちか)
が移封し、忠誠
(ただざね)
のとき明治維新を迎えた。
市では維新後とりこわされていた城郭の面影を再建し、永く後世に伝えることになった。
行田市
阿部忠秋は三代将軍家光の命で墨田川の濁流を騎馬で乗りきり、一躍勇名をとどろかせたそうだ。
御三階櫓
東門
永正6年(1509年)、
宗長
は成田顕泰亭を訪れ、忍城の景観を記している。
武州成田下總守顯泰亭にして
あしかものみきハゝ雁の常世かな
水郷也。館のめくり四方沼水幾重ともなく蘆の霜かれ。廿餘町四方へかけて、水鳥おほく見えわたりたるさまなるべし。
「東路の津途」
鐘楼
忍城本丸跡地に行田市郷土博物館がある。
企画展示室で「なんでもコレクターの栗原喜文コレクション展」開催中だった。
御三階櫓
大長寺
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