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私の旅日記
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2010年
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鷲窟山観音院
〜碑巡り〜
小鹿野町飯田に鷲窟山観音院がある。
曹洞宗
の寺である。
秩父札所31番。秩父札所中最西端にある。
仁王門
石造仁王像は像高4メートル。本邦第一と称される。
仁王門を入ると、般若心経276字と廻向20字合わせて296段の石段がある。
石段を登ると、「聖浄の滝」がある。
修行者が滝行をしたという。
「聖浄の滝」に加舎白雄の句碑があった。
かくのごとく瀧にぬれたり旅ごろも
安永元年(1772年)、南紀
那智の滝
で読まれた句。
寛政3年(1791年)、信州上田の帰途、白雄は初めて秩父を訪れた。
同年9月13日、
加舎白雄
没。
観音堂
御本尊は聖観世音菩薩。
畠山重忠
当山に狩猟の折、鷲の巣籠れるを見、家臣本田親常に矢を射させたが、再三矢がはね返された。不思議に思い、その巣を見れば中に聖観音おわし、これこそ郷民の言い伝える、その昔
行基
の刻みたる観音像なりしと、親常に命じその本堂を建立せしめたという。
高桑闌更の句碑があった。
山陰や烟りの中に梅の花
三日月庵無三建立
高桑闌更
俗名長次郎諱は忠保。 1726年(享保丙午十一)加賀金沢の商家に生る。若くして俳道に志し、半化坊と号す。
蕪村
等と竝び称せらる。天明期蕉門の一人である。江戸に二夜庵を結び、広く関東甲信越を遊吟し、友俳門人各地に多し。晩年京都東山に住して蕉翁追慕の
芭蕉堂
・南無庵を建立し、諸著作を通し全国に普く蕉風を顕揚せり。1798年(寛政戊午十)5月3日、沒。行年73歳。
昭和56年5月
前橋市住吉町1丁目
闌更八代之孫高桑更平建立
小鹿野町教育委員会協賛
奥の院の見晴台に登る。
香塚(
芭蕉の句碑
)があった。
清く聞ン耳に香焼て郭公
出典は
『虚栗』
。
天和3年(1683年)、芭蕉40歳の句。
『蕉翁句集』
(土芳編)は「貞享元子ノとし」とするが、誤り。
耳に清く涼しき名香をたきしめて、清く涼しく、鮮かにすがすがしい時鳥の一声を聞こうとの意。
日本古典文学大系『芭蕉句集』
弘化3年(1846年)、飯田不識建立。記念句集『そのにほひ』がある。
石に入る声やしぐれの時鳥 不識
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