このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2010年

鷲窟山観音院〜碑巡り〜
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小鹿野町飯田に鷲窟山観音院がある。


曹洞宗 の寺である。

秩父札所31番。秩父札所中最西端にある。

仁王門


石造仁王像は像高4メートル。本邦第一と称される。

 仁王門を入ると、般若心経276字と廻向20字合わせて296段の石段がある。

石段を登ると、「聖浄の滝」がある。


修行者が滝行をしたという。

「聖浄の滝」に加舎白雄の句碑があった。


かくのごとく瀧にぬれたり旅ごろも

安永元年(1772年)、南紀 那智の滝 で読まれた句。

寛政3年(1791年)、信州上田の帰途、白雄は初めて秩父を訪れた。

同年9月13日、 加舎白雄 没。

観音堂


御本尊は聖観世音菩薩。

畠山重忠 当山に狩猟の折、鷲の巣籠れるを見、家臣本田親常に矢を射させたが、再三矢がはね返された。不思議に思い、その巣を見れば中に聖観音おわし、これこそ郷民の言い伝える、その昔 行基 の刻みたる観音像なりしと、親常に命じその本堂を建立せしめたという。

高桑闌更の句碑があった。


山陰や烟りの中に梅の花

三日月庵無三建立

  高桑闌更  俗名長次郎諱は忠保。 1726年(享保丙午十一)加賀金沢の商家に生る。若くして俳道に志し、半化坊と号す。 蕪村 等と竝び称せらる。天明期蕉門の一人である。江戸に二夜庵を結び、広く関東甲信越を遊吟し、友俳門人各地に多し。晩年京都東山に住して蕉翁追慕の 芭蕉堂 ・南無庵を建立し、諸著作を通し全国に普く蕉風を顕揚せり。1798年(寛政戊午十)5月3日、沒。行年73歳。

 昭和56年5月

  前橋市住吉町1丁目

   闌更八代之孫高桑更平建立
   小鹿野町教育委員会協賛

奥の院の見晴台に登る。


香塚( 芭蕉の句碑 )があった。


清く聞ン耳に香焼て郭公

出典は 『虚栗』

天和3年(1683年)、芭蕉40歳の句。

『蕉翁句集』 (土芳編)は「貞享元子ノとし」とするが、誤り。

耳に清く涼しき名香をたきしめて、清く涼しく、鮮かにすがすがしい時鳥の一声を聞こうとの意。

日本古典文学大系『芭蕉句集』

弘化3年(1846年)、飯田不識建立。記念句集『そのにほひ』がある。

石に入る声やしぐれの時鳥   不識

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