このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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種田山頭火の句碑

酔ひどれも踊り疲れてぬくい雨

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平戸城 二の丸跡に亀岡公園がある。

 明治40年(1907年)8月16日、 与謝野寛北原白秋 、木下杢太郎、吉井勇、平野万里、吉井勇の5人は 佐世保 から汽船で平戸に着く。

 下島氏に嚮導せられて亀岡神社に登つた。鯨の骨だというものがあつたが、別に意を引くに足るものではない。それから「阿蘭陀塀」というものを見た。当時の蘭人が築いたものだそうだ。礎石をセメントで繋いだというが、どうも漆喰らしいと其道に深いB生が言つた。漆喰だとすると、三百年後の今、多少吟味する価値があるさうだ。それからまた阿蘭陀井戸だの、阿蘭陀燈台だのを見た。後者は海に突き出た一角に昔築いた石垣が乱れてゐる計りだけれども之に夕陽が燦然とあたる時には、大に画家の眼を喜ばしむるに足るものがある。

「五足の靴」(平戸)

亀岡公園に山頭火の句碑があった。


酔ひどれも踊り疲れてぬくい雨

昭和7年(1932年)4月3日の句。

瑞雲寺 に同じ句の碑がある。

日本は世界の公園である

平戸は日本の公園である

山頭火行乞記日記より

漂泊の俳人と呼ばれる 種田山頭火 は、昭和7年3月31日に平戸を訪れました。島の美しさと人の温やかさに感激し、一時落ち着き先にと考えたほどです。

平成15年10月、全国山頭火フォーラムin平戸大会記念に建立。

「絵のやうな」といふ形容語がそのまゝこのあたりの風景を形容する、日本は世界の公園だといふ、平戸は日本の公園である、公園の中を発動船が走る、県道が通る、あらゆるものが風景を成り立たせてゐる。

もし不幸にして嬉野に落ちつけなかつたら、私はこゝに落ちつかう、こゝなら落ちつける(海を好かない私でも)。

美しすぎる——と思ふほど、今日の平戸附近はうらゝかで、ほがらかで、よかつた。

行乞記(二)

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