このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
下 町
本門寺
〜五重塔〜
今日は大田区池上の
本門寺
(HP)に行ってみる。
長栄山本門寺は鎌倉の長興山妙本寺、松戸の
長谷山本土寺
とともに「朗門の三長三本の本山」と称されている。
本門寺と五重塔
日蓮宗
大本山の一つであり、日蓮入滅の地。 慶長年間(1596〜1615)には徳川家康から寺領100石をうけるなど、徳川家や諸大名の信仰をあつめました。 全国に旧末寺約200寺を持つ大寺院で境内には加藤清正の供養塔や紀州徳川家墓所、
幸田露伴
や力道山の墓などがあります。小堀遠州の築園と伝えられている松濤園は、西郷隆盛と勝海舟が会見した場所と言われ、都の指定旧跡となっています。また、国の重要文化財の五重塔は、慶長12年(1607年)二代将軍徳川秀忠が、乳母正心院の願いで建立したもので、高さは29.8m、関東では最古のものです。
池上本門寺に
大野伴睦
の墓がある。
この石段は、
加藤清正
(1562〜1611)の寄進によって造営されたと伝えられ、「法華経」宝塔品の偈文96字にちなみ、96段に構築され、別称「此経難持坂(しきょうなんじざか)」という。
なお、元禄の頃(1688〜1703)に改修されているが、造営当時の祖型を残しており、貴重な石造遺構である。
清正は慶長11年(1606年)に祖師堂を寄進建立し、寺城を整備しているので、この石段もその頃の所産と思われる。
大田区教育委員会
仁王門(三門)
昭和20年4月15日の
空襲
で灰燼に帰し、同52年に再建。
子供が沢山遊んでいた。
大堂(祖師堂)
昭和20年(1945年)4月15日、旧大堂は空襲で焼けてしまった。
昭和39年(1964年)、鉄筋コンクリート造の大堂再建。
昨日まで「お会式」だった。
弘安5年(1282年)9月8日、日蓮聖人は
身延山
から常陸に向かう。10月13日、池上宗仲公の館で61歳で入滅した。
五重塔
慶長12年(1607年)に建立、翌13年に上棟式を厳修した。
関東最古の五重塔で、重要文化財である。
ちなみに関東で2番目に古い五重塔は市川市中山の
法華経寺
にある。
大堂(祖師堂)の裏から見た五重塔
昭和11年(1936年)4月15日、
種田山頭火
は本門寺を訪れている。
四月十五日 花ぐもり。
朝湯朝酒とは有難すぎる、身にあまる冥加である。
二人でぶらぶら歩く、Iさんのお宅で御馳走になる、天ぷら蕎麦、冷酒、池上本門寺、よい森、松がよい。
高輪
泉岳寺
、香烟がたえない。
『旅日記』
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