このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2006年

旧岩崎邸庭園〜重要文化財〜
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上野東照宮ぼたん苑 から不忍池を抜けて、旧岩崎邸庭園に行ってみた。


旧岩崎邸庭園は徳川家康四天王の一人 榊原康政の屋敷 跡。

平成13年10月1日に開園。

入園料は400円。

旧岩崎家住宅(重要文化財)

台東区池之端1丁目3番1号

 明治から昭和にかけての実業家、岩崎久弥のかつての住宅。明治29年竣工した。

 設計者はイギリスのジョサイア・コンドル。上野の博物館(現在の 東京国立博物館 )や鹿鳴館など多くの官庁の建造物の設計監督にあたり、19世紀後半のヨーロッパ建築を紹介して日本の近代建築の発展に指導的役割を果たした。

 同一敷地内に洋館−社交の場と和館−生活の場を併立する大邸宅は明治20年頃から建てられたが、岩崎邸はその代表例であり、現存する明治建築として貴重なものである。

 洋館(木造2階建地下室附)正面に向かって左半分が主屋でスレート葺の大屋根をかけ、その右にやや規模の小さい棟が続く。両者のあいだの玄関部には塔屋がたち、角ドーム屋根となっている。南側のベランダ装飾を施された列柱が並び、イギリス・ルネッサンス風となっている。洋館左側に建つ撞球室(ビリヤードルーム、木造1階建地下室附)とは地下道でつながれている。

 洋館と撞球室は昭和36年に重要文化財の指定を受け、昭和44年には、和館内の大広間と洋館の袖塀1棟が追加指定を受けた。

   平成10年3月

台東区教育委員会

旧岩崎家住宅


調度品も素晴らしい。


暗いので写真はうまく撮れない。

ガラスの食器


南側のベランダ


岩崎邸の様子は 森鴎外 の小説『雁』に描かれている。

 そのころから 無縁坂 の南側は岩崎の邸であったが、まだ今のような巍々たる土塀で囲ってはなかった。きたない石垣が築いてあって、苔蒸した石と石との間から、歯朶(しだ)や杉菜が覗いていた。 あの石垣の上あたりは平地だか、それとも小山のようにでもなっているか、岩崎の邸の中に這入って見たことのない僕は、今でも知らないが、とにかく当時は石垣の上の所に、雑木が生えたい程生えて、育ちたい程育っているのが、往来から根まで見えていて、その根に茂っている草もめったに苅られることがなかった。

『雁』

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