このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
下 町
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文京区
鴎外記念館
文京区千駄木に
鴎外記念館
(HP)がある。
文京区立鴎外記念館
観潮楼跡
森鴎外
(1862年〜1922年、医学博士、文学博士)は明治25年(1892年)、30歳の時に千駄木駒込町21番地に居を構え、増築した2階部分から東京湾が眺められたとされたことにより、観潮楼と名付けた。
鴎外はこの地において半生を過ごし、
『青年』
『雁』
『阿部一族』『高瀬舟』『渋江抽斎』など代表作を執筆した。その後建物は火災や戦災により焼失したが、「胸像」「銀杏の木」「門の石畳」「三人冗語の石」は残り、当時の姿を偲ぶことができる。
戦後、文京区はこの地を児童遊園地として開放し、東京都指定史跡の認定を受けた。さらに鴎外生誕100年にあたる昭和37年(1962年)に鴎外記念室を併設した
文京区立鴎外記念図書館
を開館し、平成24年(2012年)に鴎外生誕150年を記念して、文京区立鴎外記念館を開館した。
森鴎外住居跡 千駄木1−23−4 東京都指定史跡
沙羅の木
褐色
(かちいろ)
の根府川石に
白き花はたと落ちたり
ありとしも青葉がくれに
見えざりしさらの木の花
森林太郎先生詩
昭和二五年六月
永井荷風書
この詩碑は鴎外の三十三回忌にあたる昭和29年7月9日に長男於菟氏から兄弟を代表して区に寄贈されたものである。
なお、詩碑の発案は野田宇太郎(詩人)、書写は永井荷風(作家)、設計は谷口吉郎(建築家)の3者の協力を得て制作された。
福岡市の
片江風致公園
にもこの詩の碑がある。
昭和29年(1954年)、
水原秋桜子
は観潮楼跡を訪れている。
観潮楼址
秋蝉の上野は暮れて水を打つ
盆の月鴎外詩壁照りいづる
盆の月此処は虫鳴く草もなし
『帰心』
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