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私の旅日記2015年

片江風致公園〜去来の句碑〜
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福岡市城南区南片江に片江風致公園がある。


以前は福岡市の吉川熊雄という人個人の文学碑公園だったらしい。

 昭和50年(1975年)、吉川熊雄氏は歿して、息子の冽彦(きよひこ)氏が継承したそうだが、その後閉園し、現在規模を縮小して整備中のようである。

21基の文学碑がある。

そのうち近世の句碑は2基だけだった。

去来 の句碑


君が手もまじるなるべし花薄

出典は 『猿蓑』 (去来・凡兆共編)。

つくしよりかへりけるに、ひみといふ山にて卯七と別て」と前書きがある。

 元禄3年(1690年)、去来が一時帰郷していた長崎から京都へ戻る折り、 卯七 と日見峠で別れる時の句。

原碑所在地/長崎県長崎市 芒塚町

蕪村 の句碑


不二ひとつ埋みのこして落葉かな

出典は 『あけ烏』 (几董編)。

原碑所在地/ 長野県諏訪市

以前は芭蕉の句碑も2基あったはずである。

 福岡市東区箱崎の「みどり旅館」にあった「もろこしの誹諧とハん飛胡蝶」の句碑を移建したものは、現在福岡市早良区の個人宅に移されているようである。

 埼玉県比企郡 小川町 にある「桟や命をからむ蔦可津ら」の句碑を模したものは、今では分からない。

与謝野晶子の歌碑


やははだのあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君

出典は『みだれ髪』(明治34年刊)。

原碑所在地/和歌山県高野町 高野山

石川啄木の歌碑 が2基。



東海の
小島の磯の
白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

原碑所在地/北海道函館市 立待岬



かにかくに渋谷村は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川

共に出典は『一握の砂』(明治43年刊)。

夏目漱石 の漢詩碑



仰臥人如唖   黙然看大空

大空雲不動   終日杳相同

出典は「思い出す事など」。

原碑所在地/静岡県伊豆市修善寺自然公園

若山牧水の歌碑 が2基。



幾山河こえさりゆかば寂しさのはてなむ國ぞけふも旅ゆく

出典は『海の声』(明治41年刊)。



かたはらに秋くさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな

出典は『路上』(明治44年刊)。

北原白秋の歌碑 が2基。



雨はふるふる城ヶ島の磯に利休鼠の雨がふる

原碑所在地/神奈川県三浦市 城ヶ島



さひしさに秋成かふみよみさして庭にいてたり白菊のはな

出典は『雲母集』(大正4年)。

原碑所在地/神奈川県三浦市見桃寺

佐佐木信綱 の歌碑



逝く秋のやまとの国の薬師寺の塔のうへなる一ひらの雲

出典は『新月』(大正元年刊)。

原碑所在地/奈良県奈良市薬師寺

森鴎外 の詩碑



沙羅の木

褐色(かちいろ)の根府川石に
白き花はたと落ちたり、
ありとしも青葉がくれに
見えざりしさらの木の花。

出典は『沙羅の木』(大正4年刊)。

原碑所在地/東京都文京区 鴎外本郷図書館

斎藤茂吉の歌碑



おのづから寂しくもあるかゆふぐれて雲は大きく谿に沈みぬ

出典は『ともしび』(大正14年刊)。

原碑所在地/神奈川県箱根町 強羅公園

釈迢空(折口信夫)の歌碑



この冬も老いかゝまりてならの京たきゝの能を思ひつゝゐむ

原碑所在地/奈良県奈良市春日大社神苑

會津八一 の歌碑



かすかのにおしてるつきのほからかにあきのゆふへとなりにけるかも

出典は『南京余唱』(昭和8年刊)。

原碑所在地/奈良県奈良市春日大社神苑

太宰治 の文学碑



富士には、月見草がよく似合う

出典は『富嶽百景』(昭和14年)。

原碑所在地/山梨県河口湖町 三坂峠

太田水穂 の歌碑



命ひとつ露にまみれて野をぞゆくはてなきものを追ふごとくにも

 昭和21年(1946年)12月、水穂が浅間温泉の「広丘歌会」忘年歌会に送った歌。その時は「露にぬれつつ」となっていたそうだ。

原碑は長野県の 塩尻歌碑公園 であろう。

 九條武子の「おほいなるものゝちからにひかれゆくわかあしあとのおほつかなしや」の歌碑もあったようだが、よく分からなかった。

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