このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2011年
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鈴ヶ森刑場遺跡
〜旧東海道〜
品川区南大井の旧
東海道
に面して「
東京都史跡
鈴ヶ森刑場遺跡」がある。
「
東京都史跡
鈴ヶ森刑場遺跡」
都旧跡
鈴ヶ森遺跡
所在 品川区南大井2丁目5番6号 大経寺内
指定 昭和29年11月3日
寛政11年(1799年)の大井村「村方明細書上」の写しによると、慶安4年(1651年)に開設された御仕置場で、東海道に面しており、規模は元禄8年(1695年)に実施された検地では、間口40間(74メートル)、奥行9間(16.2メートル)であったという。
歌舞伎の舞台でおなじみのひげ題目を刻んだ石碑は、 元禄6年(1693年)池上本門寺日顗の記した題目供養碑で、処刑者の供養のために建てられたものである。大経寺境内には、火あぶりや、はりつけに使用したという岩石が残っている。
ここで処刑された者のうち、丸橋忠八、天一坊、白井権八、
八百屋お七
、白木屋お駒などは演劇などによってよく知られている。
江戸刑制史上、
小塚原
とともに重要な遺跡である。
昭和44年10月1日 建設
東京都教育委員会
慶安4年(1651年)8月10日、丸橋忠弥は由井正雪の乱で捕まり、鈴ヶ森で処刑された。
題目供養碑
鈴が森
八丁原和中散
下総布川
風折々哀れを誘ふ虫の声
馬泉
『
俳諧
五十三駅』
「鈴が森」は
『東海道中膝栗毛』
にも出ている。
いとおもしろく歩むともなしに、鈴が森にいたり、弥次郎兵衛
おそろしや罪ある人のくびだまにつけたる名なれ鈴が森とは
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