このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
〜
2008年
〜
多摩川大橋緑地
〜矢口の渡し跡〜
大田区多摩川2丁目の
斎藤ツヰストドリル製作所
から多摩川大橋緑地へ。
多摩川大橋
昭和24年(1949年)、多摩川大橋の完成。
多摩川大橋を越えると、消えかかった「矢口の渡し跡」の案内板があった。
東京都大田区文化財
矢口の渡し跡
新田義興が、矢口の渡しで延文3年(1358年)討死したといわれるころの渡し場は、現在の新田神社付近であったと思われ、多摩川は今より東へ大きく湾曲していたと考えられる。
江戸時代に平賀源内により戯作『神霊矢口渡』が作られ、歌舞伎に上演されるに至り、この渡しは有名になった。
渡し場は、流露の変遷と共にその位置をいくたびか変え、この付近になったのは江戸中期からであると考えられる。
この渡しは区内最後の渡船場として昭和24年(1949年)まで存続した。
大田区教育委員会
新田義興は
新田義貞
の次男。
私は歌舞伎を見ないので、「矢口の渡し」は知らなかった。
「矢口の渡し」は古代の東海道で、江戸時代の東海道は
「六郷の渡し」
を渡った。
安永9年(1780年)4月15日、
蝶夢
は品川から「六郷の渡し」を渡ったようである。
六郷の河は矢口の渡りなり。此川上に義興の霊を祭りて、新田の社と申とぞ。此河はむさしの玉川にて、調布さらす名所にて、ふるく人のしりし所なり。
『東遊紀行』
多摩川
再び
斎藤ツヰストドリル製作所
へ。
私の旅日記
〜
2008年
〜に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください