このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
小夜の中山
〜古歌碑巡り〜
小夜の中山
へ坂を上ると、右手に阿仏尼の歌碑があった。
雲かかるさやの中山越えぬとは都に告げよ有明の月
『十六夜日記』
雲のかかる佐夜の中山を越えたと、都の子供らに伝えておくれ、有明の月よ。
久延寺
の先に橘為仲の歌碑があった。
旅寝するさやの中山さよなかに鹿も鳴くなり妻や恋しき
『風雅和歌集』
心細い旅寝のさやの中山で、ま夜中に牡鹿の鳴き声が聞えてくるよ。谷向こうの雌鹿が恋しいのであろうか。
佐夜鹿一里塚
を過ぎると、蓮生法師の歌碑があった。
甲斐が嶺ははや雪しろし神無月しぐれてこゆるさやの中山
『続後選和歌集』
遙か甲斐の白根の峰々は雪で白い。今、神無月(10月)、時雨の中、さやの中山を越えるとこだ。
蓮生法師は熊谷直実のことである。
芭蕉の句碑
の先に紀友則の歌碑。
東路のさやの中山なかなかになにしか人を思ひそめけむ
『古今和歌集』
東国へ行く人がきっと通るのが佐夜の中山である。中山のなかといえば、なかなかに(なまじっか)どうしてあの人に思いを掛けたのであろう。
紀友則は『古今和歌集』の撰者。『小倉百人一首』の「
ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ
」で知られる。
さらに藤原家隆朝臣の歌碑。
ふるさとに聞きしあらしの声もにず忘れね人をさやの中山
『新古今和歌集』
旅に出て耳にするここ佐夜の中山の山風の音は、都で聞いたのとは似ても似つかない。このように都もとおざかったのであるから、いっそ都の人のことなど忘れてしまえよ。
藤原家隆は『新古今和歌集』の選者の一人。『小倉百人一首』の「
風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける
」で知られる。
壬生忠岑の歌碑
あづまぢのさやの中山さやかにも見えぬ雲居に世をや尽くさん
『新古今和歌集』
東国への道中の佐夜の中山よ、はるか遠くここまで来たが、はっきりとも見えない遠い旅の空の下で生涯を終えることであろうか。
壬生忠岑『古今和歌集』の撰者の一人。『小倉百人一首』の「
有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかりうきものはなし
」で知られる。
あと2基の古歌碑があったようだが、見落とした。
甲斐が嶺をさやにも見しがけけれなく横ほり臥せるさやの中山
『古今和歌集』(読人不知)
旅ごろも夕霜さむきささの葉のさやの中山あらし吹くなり
『新後撰和歌集』(衣笠内大臣)
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