このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
松山の漱石
夏目漱石假寓愚陀佛庵址
松山市二番町の駐車場に「夏目漱石假寓愚陀佛庵址」の標柱があった。
夏目漱石が明治28年(1895年)4月、
松山中学校
の英語教師として松山に赴任したときの下宿があった場所である。漱石はここで
正岡子規
と共同生活をした。
昭和20年(1945年)7月26日、松山大空襲のため焼失した。
当時の愚陀仏庵
昭和56年(1981年)4月2日、
子規記念博物館
開館。常設展示室3階に愚陀仏庵の一階部分が復元された。
昭和57年(1982年)、松山市一番町3丁目の
萬翠荘
敷地内に復元された。平成22年(2010年)、災害のため倒壊、今はない。
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