このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2012年

阿沼美神社〜碑巡り〜
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松山市味酒町に阿沼美(あぬみ)神社がある。


境内に入ると、右手に芭蕉の句碑があった。


春もやゝけしきとゝのふ月と梅

出典は 『薦獅子集』 (巴水編)。

 元禄6年(1693年)1月20日、 深川芭蕉庵 から大垣の 木因 に宛てた書簡にある。

左側面に 子規の句 が刻まれている。

名月や伊豫の松山一万戸

昭和60年(1985年)11月23日、伊予拓本研究会結成7周年を記念して建立。

芭蕉の句碑と並んで樗堂の句碑があった。


浮雲やまた降雪の少しつゝ

  樗堂 は造り酒屋に生れたが同業の栗田家に入婿、7代目戸主となり家業に励んだ。そのかたわら、松山藩の町方大年寄として町政に尽力した。俳句は 加藤暁台 門で 井上士朗 と双璧。近世伊予第一の俳人と称せられ、 竹阿 や一茶は彼を訪ね来松し句稿を残している。句集に 『萍窓集』 などがある。

松山市教育委員会

俳句の里 城下コース45番

この辺りに樗堂の二畳庵があったという。

左手奥の木立ちの下にもうひとつ芭蕉の句碑があった。


さまさまの事おもひ出す桜かな

出典は 『笈の小文』

明治27年(1894年)、建立。

 芭蕉は貞亨4年(1687年)の暮から上野に滞在し翌年3月のある日、旧主蝉吟公の遺子探丸から下屋敷の花見の宴に招かれた。芭蕉はすぎし日の蝉吟公の忘れ形見探丸を仰いで追憶の念やみがたく、その感動がおのずと筆を執らせて「さまざまの事」の6文字に凝結した。

 探丸も父の血をうけて文学的才能が豊かであったので、たちどころに脇をつけた。「春の日永う筆に暮れ行」こうして2人の親愛の結晶が1つの連句を生んだ。

松山市教育委員会

俳句の里 城下コース44番

阿沼美神社


天智天皇3年(664年)創建とされる。

  『延喜式神名帳』 に「伊予国 温泉郡 阿沼美神社」とあり、名神大社に列する神社である。

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