このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉ゆかりの地


草の戸も住み替る代ぞひなの家

史跡展望庭園 から江東区芭蕉記念館へ。

江東区芭蕉記念館


「其角とその系譜」・「芭蕉—その人生と旅—」展を展示中。

芭蕉記念館は昭和56年(1981)4月19日に開館。

芭蕉を記念して

 松尾芭蕉は延宝8年(1680年)37歳から元禄7年(1694年)51歳、大阪への旅に出発するまで、常磐1丁目にあった庵の周辺に芭蕉を植えて芭蕉庵と称し、ここを本拠として「奥の細道」等の旅に出発し、文学史上偉大な足跡を記した。

 芭蕉庵が芭蕉没後武家屋敷となり、幕末から明治にかけて滅失してしまったのを地元の方が惜しみ、この地を「深川芭蕉庵跡」として句碑等を作り保存されてきた。そして大正10年11月東京府の旧跡に指定された。

 しかしこの地が狭隘(きょうあい)であったので、今般江東区はここに芭蕉記念館を建設し、併せて地元の協力により「句碑」等をも移管した。

 ここに芭蕉の業績を顕彰し、永く旧跡を保存するとともに、芭蕉関係の資料等を公開し、より充実した記念館としていきたい。

  昭和56年4月吉日

庭園内に3つの句碑がある。



草の戸も住み替る代ぞひなの家

『奥の細道』序文の句

 もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、草の戸も住替る代ぞひなの家 面八句を庵の柱に懸置。

元禄2年(1689年)3月23日付 落梧宛書簡 には「住みかはる世や」とある。



ふる池や蛙飛こむ水の音

貞亨3年(1686年)、芭蕉43歳の時の作。

  要津寺 に「ふる池や蛙飛こむ水の音」の句碑があって、安永2年(1773年)に深川材木町(現佐賀町)に住んだ書家三井新和の筆。江東区芭蕉記念館庭園にある句碑はその模刻である。



   深川の末、五本松 といふ所に船をさして

川上とこの川下や月の友


『泊船集』 には「川上とこの川下と月の友」とある。

五本松 は、現在の江東区大島町で小名木川の川端。

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