このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

取星寺〜碑巡り〜
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阿南市羽ノ浦町岩脇に岩脇公園がある。

遊歩道を通って取星寺境内に入ると、齋藤梅子の句碑があった。


天つ日の船影今し初桜

昭和4年(1929年)、徳島県那賀郡羽ノ浦町に生まれる。
平成4年(1992年)、「青海波」創刊主宰。
平成19年(2007年)、青海波俳句会句碑建立。
平成25年(2013年)、齋藤梅子没。

蜂須賀年子女史歌碑


おほおやのゆかりのミてら取星寺あたらしき御堂かゝやく美佛

昭和38年(1963年)5月、本堂建設の折蜂須賀年子女史が献詠。
昭和45年(1970年)12月29日、蜂須賀年子没。
昭和53年(1978年)12月、15周年記念に建立。

年子の父蜂須賀正韶は阿波蜂須賀家第17代当主。母筆子は徳川慶喜四女。

遊歩道から外れて熊鷹大明神がある。


熊鷹大明神の左手に 芭蕉の句碑 があった。


雲折々人やすませる月見かな

出典は『住吉物語』 (青流編)であろうか。

『春の日』 (荷兮編)には「人をやすむる」とある。

妙見山取星寺由来記

 当山は今から1200年昔弘法大師によって開かれたお寺であります。大師は18才の時加茂谷町龍山に於て求聞持(ぐもんじ)という記憶力がよくなる修行をせられました。その時、大空に悪星が出現して伝染病が流行したり、洪水が起こって住民は大変難儀しましたので、大師は悪星を祈り落とす御祈祷をしましたところ、念力に屈した悪星は忽ち落下して、当山の松の木にかゝりましたので、その星を拾い妙見大菩薩の尊像を刻んで本尊とし、お寺を建立しまして取星寺と称しました。其後、足利時代後小松天皇御病気の折、時の住職増吽(ぞううん)上人に勅命が下り病気平癒の御祈念を致しましたところ、御全快遊ばされましたので、天皇は大層御喜びなってお礼に水晶の念珠と紫の法衣を賜りました。天保3年、弘法大師壱千年御忌記念に快典上人は山麓山頂に新四国を建設しました。以上が当山の主な歴史であります。

虚空蔵菩薩


四国八十八箇所第十九番 立江寺 奥の院。

高野山真言宗 の寺である。

他にも歌碑や句碑があったが、よく読めなかった。



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