このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2005年
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波浮の港
〜野口雨情〜
波浮港見晴台
から波浮港へ。
波浮港
明治42年(1909年)11月15日、東洋大学の創設者
井上円了
は波浮港を訪れて「伊豆大島紀行」に「当港は伊豆七島中第一の防風港にして、漁船の入泊四時絶えず。」と書いている。
翌16日、井上円了は波浮港から
三原山
に登る。
大正15年(1926年)12月、
大町桂月
が「波浮の港」を訪れているそうだ。
波浮港の堤防に
野口雨情
の詩碑があった。
野口雨情「波浮の港」
磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る
波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
明日の日和は
ヤレホンニサ なぎるやら
詩碑の周りに「鵜の鳥」
海鵜
(うみう)
佃島
で撮った写真である。
野口雨情の詩で名高い波浮の港は、美しい眺めのなかに昔の港町情緒を今に残し、その静かなたたずまいは訪れる人を魅了している。
この「波浮の港」の歌は昭和3年中山晋平の作曲で発表されて以来、日本の代表的な心のうたとして多くの人々に歌い継がれている。
ここに都民文化栄誉賞を受賞されて森繁久彌氏の書による詩碑を建て、伊豆大島の歴史と文化のしるべとする。
昭和60年4月
野口雨情の「波浮の港」は現地に行かず、波浮の港の写真を見ただけで
平潟港
をモデルにして作詞したということだ。
音管を右側から順番にたたくと、「波浮の港」のメロディーが流れる。
たたく人がいるものである。
少し音程がおかしかった。
詩碑の前で連れの人を待ちくたびれたように座っている人がいた。
旧港屋旅館
へ。
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