このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2008年
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松雲羅漢像
〜五百羅漢寺〜
山手通りの羅漢寺信号に松雲羅漢像があった。
松雲羅漢像
松雲羅漢
天恩山五百羅漢寺の開基松雲禅師は、元禄年中、5代将軍綱吉公の生母桂昌院をはじめ江戸中の人びとから寄せられた浄財をもとに536体の羅漢像を彫刻し、本所五ッ目に五百羅漢寺を築いた傑僧である。
明治42年、下目黒に移転してきたのち寺は荒廃の一途を辿っていたが、多くのかたがたのご協力により、昭和56年、由緒もある五百羅漢寺を再建することができた。
この再興を記念し、彫刻家佐山道知氏に制作依頼して松雲禅師像を建立し、これを松雲羅漢と名づけて禅師の徳を讃えるものである。
昭和61年2月吉日
天恩山五百羅漢寺
羅漢寺信号から路地に入ると、五百羅漢寺がある。
今日は時間がないので、立ち寄らない。
明和7年(1770年)5月1日、諸九尼は
蓼太
の催しで隅田川を舟で逍遥、梅若塚を訪れている。
五月朔日 蓼太 老人の催しにて、隅田川に舟せうようす。在五中将の古き物語ども思出て、誠に遠くも来けりと覚ゆ。梅わか丸の塚を弔ひて、
幟たつころ木母寺の猶あはれ
五百羅漢堂にて、
仰向は子規きく羅漢かも 只言
『秋風記』
文化9年(1812年)3月22日、小林一茶は本所五ッ目の五百羅漢寺に参詣している。
廿二 晴 五百羅漢寺開帳参
『七番日記』(文化9年3月)
五百羅漢寺には高浜虚子の句碑があるそうだ。
江東区大島の五百羅漢寺跡地に「羅漢寺」がある。
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