このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2010年

大義寺〜松原庵星布墓〜
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八王子市元横山町に大義寺という寺がある。


竜華山大義寺


真言宗智山派 の寺である。

本堂左手の墓地入口に松原庵星布墓があった。


 東京都指定旧跡

松原庵星布墓

 星布は享保17年(1732年)に八王子市横山宿の榎本家に生れた女流俳人。はじめ 白井鳥酔 に学び糸明窓と号し、のち春秋庵 白雄 に師事、品川鮫洲にいた二世熊沢鳥酔のあとを継いで三世松原庵を襲い、星布と称した。 寛政4年(1793年)9月4日、鳥酔の忌日に当り髪を下ろして尼となった。星布は和歌は万葉調を好んでよみ、漢詩にも通じ、特に絵をよくした。文化11年(1814年)12月28日、83才で没した。墓碑銘は「松原庵梅聰慈香法尼」。「星布尼句集」は寛政5年(1794年)星布の子漁元の編集したものであるが、星布の俳風は繊細で清麗かつ幽婉である。墓標左側面の「咲花もちれるも阿字の自在哉」は「星布尼句集」にある句の異体である。

東京都教育委員会

 「二世熊沢鳥酔のあとを継いで三世松原庵を襲い」とあるが、 烏明 が熊沢兀雨に松原庵を継がせ、白雄は星布に松原庵を継がせたようである。

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