このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2005年

布滝〜与謝野晶子歌碑〜
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福渡温泉 から竜化の滝入口へ。


途中の紅葉


箒川の紅葉


布滝が見える。


 国道の向う側を流れる箒川にかかる滝は白布をさらしているように見えるので、布滝と言います。川底にかたい岩とやわらかい岩があったため、次第に段差ができ、滝ができたものです。

与謝野晶子の歌碑 があった。


龍化瀑二十五丈を若葉する毛欅のかこめりうへは岩山

与謝野晶子(1878〜1942)

  与謝野晶子 は、大阪府堺市の老舗の菓子商駿河屋に生まれました。少女時代は家業を手伝うかたわら、独学で古典を学び文学を好みました。明治33年 東京新詩社 の創設とともに入会し、そこで知り合った与謝野鉄幹と熱烈な恋に落ち、結婚ののちもその深い愛情は終生続きました。

 代表的作品には歌集「みだれ髪」「舞姫」「春泥集」などがあり、その情熱と優れた感性によって、近代日本の女流歌壇に大きな足跡を残しました。また、日露戦争に出兵する弟を想う詩「君死にたまふこと勿れ」は、この時代には珍しい大胆な発言で、大きな社会的論争を起こしています。晶子は詩歌の世界のみならず、古典研究、女子教育、婦人運動等にも活躍し、大きな功績を残しています。

 与謝野鉄幹、晶子夫妻は昭和9年5月に塩原温泉の地を訪れ、その折にこの「竜化の滝」に遊んでいます。

塩原温泉観光協会

 昭和9年(1934年)5月12日、 与謝野鉄幹、晶子 夫妻は塩原 満寿家 へ「おしどり旅行」。

毛欅(ぶな)おほき山のみどりの襞に入り逢ふ鹽原の第一の瀧

龍化瀧二十五丈を若葉する毛欅のかこめりうへは岩山

ことごとく毛欅の若葉の蔭にしえなほ金色に光る溪かな

中段は龍頭をなせり山の瀧上に懸くるはしろがねの琴

「いぬあじさゐ」

竜化の滝 へ。

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