このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

火葬場跡〜斎藤茂吉の歌碑〜
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宝泉寺 から火葬場跡に向かう。

須川べりの歌

櫻桃(あうたう)の花しらじらと咲き群るる川べをゆけば母をしぞおもふ

『霜』

昭和16年(1941年)4月30日、斎藤茂吉は上山温泉 「山城屋」 に着く。

火葬場跡


火葬場跡の歌

わが母を燒かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし

『赤光』

火葬場跡に 斎藤茂吉の歌碑 があった。


灰のなかに母をひろへり朝日子の

のぼるがなかに母をひろへり

『赤光』の「死にたまふ母」(其の三)の歌。

昭和57年(1982年)5月14日、金瓶学校保存会建立。

斎藤茂吉記念館によれば全国で69番目の茂吉の歌碑である。

蔵王を望む。


須川の歌

南より村を貫くこの川は洪水(おほみづ)となりながれさかまく

『小園』

 昭和20年(1945年)、妹なをの嫁ぎ先齋藤十右衛門方に疎開していた時の歌である。

須川を渡る。


三吉山を望む

をさなくて見しごと峯のとがりをる三吉山は見れども飽かず

『霜』

昭和17年(1942年)に詠まれた歌である。

金瓶神明神社 へ。



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