このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2010年
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古今和歌集の歌碑
〜武田信玄公の像〜
JR中央本線塩山駅北口を出る。
古今和歌集の歌碑があった。
しほの山さしての磯にすむ千鳥きみかみよをはやちよとそなく
歌碑の裏に塩山の由来が書いてある。
塩山
(しおのやま)
は塩山市街地中央に位置して標高552.7m、塩山温泉町からの比高143mを測る孤山である。
『古今和歌集』の「賀歌
(がのうた)
」に詠み人知らずとして「しほの山
差出の磯
にすむ千鳥君が御代をば八千代とぞなく」と詠まれて以後「しほの山」は歌枕として多くの歌人に好んで用いられ、室町時代になると「塩山蒔絵」のような美術工芸品の意匠にすでに発展した。なお箏曲「千鳥の曲」でもよく知られる。
「しほのやま」の名の由来については定かではないが、康暦2年(1380年)抜隊得勝禅師がその南麓に
向嶽寺
(当時は向嶽庵)を開創した際、「塩山」を山号にした。これを向嶽寺中門(重要文化財)に懸かる抜隊禅師書の扁額に見ることができる。
明治36年(1903年)国鉄(現JR東日本)中央本線開通した際、駅名に「塩山」を用いた。次いで昭和3年(1928年)に当時の7里村が町制を施行するにあたり塩山町となり、同29年には周辺5村と合併して塩山市が誕生した。
平成17年(2005年)11月1日、塩山市は勝沼町・大和村と合併して甲州市となった。
塩山駅北口には武田信玄公の像もある。
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