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国枝史郎 (くにえだ・しろう) 1887〜1943。




神州纐纈城  (青空文庫)
長編。
無数の人間が捕えられている。彼等は天井へ釣るされて締木で生血を絞られる。その血で布が染められる。…その城の名は纐纈城(こうけつじょう)──。
布売りの老人から、類い稀れなる美しい紅巾「纐纈布(こうけつぬの)」を買った武田信玄の家臣・土屋庄三郎。
「兎に角(とにかく)一度でも俺の眼に父上の御名の現れた布(きぬ)だ。多少の縁が無いとは云えまい」。
恋の三角関係の末に姿をくらました父母と叔父(庄八郎、お妙、主水)の行方を捜すため、甲府を抜け出した庄三郎は、富士の裾野に巣食う「富士教団」に紛れ込む…。

信玄の命で、従兄である庄三郎の行方を捜す無邪気な少年武士・高坂甚太郎だが、本栖湖の水城(みずき)「纐纈城」に捕えられ、賓客(捕虜)となってしまう…。
「地獄だ地獄だ! 此処は地獄だ!」
「甘い食物、美しい衣裳、苦労の無い日々の生活向、此処は極楽でございます」
「助けてくれ! 助けてくれ!」
「助けることは出来ません。助かった例もございません」。

旅人を竈へ入れて蒸す殺人鬼・三合目陶物師(剣客・北条内記)…、「極重悪人の新面(にいおもて)」を刻むことが心願の美人の面作師・月子…、人間の五臓を取って「五臓丸」という薬を製造している上杉家の元家臣・直江蔵人(くらんど)…。
触れる者の命を瞬時に奪ってしまう纐纈城の仮面の城主の正体と、懺悔を説く富士教団神秘境の教主・光明優婆塞(うばそく)の正体は?
戦国時代の甲府と富士山麓を舞台に、宿命を背負った人々の苦悩を、仏教的見地によって重厚に描いた伝奇小説。未完の大作。

「悪人なんていう者も、善人なんていう者も、此の世に一人だって有りゃあしないよ。悪い事をした時が悪人で、善い事をした時が善人さ」
「では悪事とは何んな事?」
「泥棒したいと思った時、泥棒しなけりゃあ悪事だよ。泥棒したいと思った時、泥棒すれば善事だよ」。

未完の小説ゆえに、まだまだこれからというところで終わってしまい残念なのだが、ストーリーの全容といったものは描かれており、半死半生の庄三郎が纐纈城へ吸い込まれていく幻想的な場面や、仮面の城主の出現で甲府の町が地獄絵図と化す陰惨な場面、人穴に住む面作師・月子が造顔手術を施す妖気な場面など、卓越した描写力で読ませる。

生死卍巴  (青空文庫)
長編。
「山岳へおいでなさいませ。何か得られるでございましょう」──。謎の巫女・千賀子が占った運命に導かれるように、叔父・覚明(かくめい)と従妹・浪江が暮らす飛騨の山中に足を踏み入れた若侍・宮川茅野雄(ちのお)。
飛騨の地に回教を密修している二つの郷──丹生川平(にゅうがわだいら)と白河戸郷(しらかわどごう)の対立・争いに巻き込まれてしまった茅野雄は、生死の境を卍巴(まんじどもえ)と駆け巡る運命に…。
神殿の中にある“高価な品物”を狙って、一所に打ち揃う登場人物たち──茅野雄に斬り掛かる浪人・醍醐弦四郎…、兇悪の蒐集家・松平碩寿翁(せきじゅおう)…、富豪商人・松倉屋勘右衛門と贅沢三昧の妻・お菊…。

「内陣の秘密を洩らす者は、肉親といえども許されない! 洩らしたな浪江! 聞いたな茅野雄! ……娘ではないぞ! 甥でもない! 教法の敵だ! おのれ許そうか! ……生かしては置けぬ! 犬のように死(くた)ばれ!」。

巫女・千賀子が云った「何か」を、果たして茅野雄は得ることができるのか? そして、その「何か」とは一体どんなものなのか? ご神体を巡る人間の慾と超人の神性を描いたチャンバラ伝奇小説。

善悪両面鼠小僧  (青空文庫)
短編。熊本藩の江戸下邸に忍び込んだ盗賊・鼠小僧だが、大名・細川越中守の娘・乃信(のぶ)姫にすっかり見惚れてしまう。「ええどうでえ美人(いいおんな)じゃねえか。どうもこいつア耐(たま)らねえな。クッキリと白い頸からかけて半分お乳が見えるまで寝巻から抜いだ玉のような肌。まずブルッと身顫いしたね」。賊の正体が魚屋の主人・和泉屋次郎吉だと見抜いた市中見廻りの与力・中條軍十郎だが…。色黒の醜男と色白の美男、鼠小僧は二人いる?──善と悪、人間の持つ二面性を鼠小僧の苦悩を通して描いた時代小説。
→芥川龍之介「鼠小僧次郎吉」 →吉川英治「治郎吉格子」

前記天満焼  (青空文庫)
長編。
窮民救済のため富豪の金品を奪うという大塩平八郎(中斎)の不法な企てを、何とか食い止めたい中斎の門弟・宇津木矩之丞(のりのじょう)。

「去年からかけて天候不順、五穀実らず飢民続出、それなのに官では冷淡を極め、救恤(すくい)の策を施そうともしない。富豪も蔵をひらこうともしない。これでは先生が憤慨されるはずだ。とは云え他人の大切なものを、横取りをして金に換えたら、盗賊とより云うことは出来ない。それを先生にはやろうといわれる。俺には正当に思われない。そればかりならともかくも、兵を発し乱を起こし、城代はじめ両奉行をも、やっつけてしまおうとの思し召し、成功の程も覚束ないが、よしや成功したところで、乱臣の名は免れまい。……あれほど明智だった中斎先生も、近来は少しく取り違えて居られる。……狂ったのかな、あの明智も……」

天保の大飢饉という社会情勢を背景に、上海(シャンハイ)仕込みの悪漢・鮫島大学や、「ぶちこわし」を引き起こす吉利支丹信者のお久美、豪商・加賀屋の主人の失踪事件を追う岡引・松吉(丁寧松)などの面々が絡み合い繰り広げる娯楽時代小説。
出だしの面白さに比べ、中終盤はバランスが悪く、あまり出来が良いとは言えない作品だが、「大塩の乱」の前にこんな騒動があったと思えば興味深いし、じゅうぶん楽しめる。

染吉の朱盆  (青空文庫)
短編。「ああもう一度あそこへ行きたい」。若い者が無暗とさらわれ、帰って来ると衰弱死してしまうという難事件に頭を悩ましている岡引(おかっぴき)の岡八。同じ岡引の半九郎から、十年前の事件(不可解な連続辻斬りと、名工・染吉の衰死)の謎解きを挑まれた岡八は、「染吉の朱盆」ばかりを買い漁る怪しい女を尾行するが…。「やい、手前達、途法もねえ馬鹿だ! 俺を誰だと思っている! 皆川町の岡八だぞ!」。十年前の事件以来空き家になっている「お縫様屋敷」の秘密など、事件の意外な真相を描いた傑作捕物帳。

高島異誌  (青空文庫)
短編。「一刻も早く追い出しめされ」という老医師・千斎の忠告にもかかわらず、奇怪な老僧を一泊させた諏訪高島の郷士・本条純八。思いがけず老僧から巨財を贈わった純八は、一朝にして王侯の生活に達するのだが…。「御身の上に恐ろしい災難が振りかかっても宜しゅうござるか?」、「他人に好意を尽くすことが、何んの災難になりましょうぞ!」、「その好意もよりきりじゃ。悪虫妖狐魑魅魍魎(ちみもうりょう)に、何んの親切が感じられようぞ」。妖怪に魅入られた男の数奇な運命を、敵討ちの要素も加味して描いた怪異譚。

血ぬられた懐刀  (青空文庫)
短編。恋人・萩野にフラれてしまった若侍・北畠秋安は、北国の名家の娘・お紅(べに)と出会うが、関白・豊臣秀次の寵臣・不破小四郎にお紅を浚われてしまう。お紅を救い出すため、聚楽第(じゅらくだい)に潜入した秋安だが…。「九燿の紋の付いた懐刀だ! 血にぬれている、血にぬれている! ああお紅殿は自害なされた!」──。昔の恋を思い断ち、新しい恋に生きようとする、悲しみと喜びの恋物語。太閤・秀吉との不和で窮地に陥り、狂乱する秀次(殺生関白)の姿を交えながら描く。石川五右衛門も登場。「おいで下され! おいで下され! そうして妾(わたし)を愛撫して下され!」。聚楽第の主殿と廻廊でつながれた“密房”がとってもエロすぎ(笑)。

血曼陀羅紙帳武士  (青空文庫)
長編。
「父の敵、自分の怨み、汝(おのれ)左門、討たいで置こうか!」──。敵(かたき)である剣客・五味左門と対決する若侍・伊東頼母(たのも)だが、蜘蛛の巣のように紙帳(しちょう)を操る左門に圧倒されてしまう…。
かつて浪人組の頭目だった義兄弟・有賀又兵衛と来栖勘兵衛。今は薪左衛門と松戸の五郎蔵と名乗る二人が、二十年前、府中の道了塚で決闘した動機とは? そして道了塚の秘密とは一体?

「秘密は剖(あば)かない! 裏切りはしない! 助けてくれーッ!」。

幻の名刀・天国(あまくに)を巡り、血の争いを演じる登場人物たち。光明(ひかり)と暗黒(やみ)の道程(みちすじ)=人生(ひとのよ)の道程! 人生の宿命と曼陀羅の啓示を描いた迫力ある剣豪小説。
紙帳(紙でできた蚊帳)の中で起き伏しし、紙帳に近寄る男は斬り、紙帳に近寄る女は虐遇(さいな)むという残忍な殺人鬼・五味左門。タイプの異なる二人の女性(栞(しおり)とお浦)の純情に触れ、彼の心が「悪」から「善」に変化する様子が感動的で素晴らしい。似たようなコンセプトの短編「猿ヶ京片耳伝説」も読むべし。

「俺は幾年ぶりで、気持ちよく、腹の底から、何人の蟠(わだかま)りもなく、笑っただろう?」。

天主閣の音  (青空文庫)
中編。
将軍継嗣問題のしこりから、江戸幕府(八代将軍・吉宗)に対して反感を抱いている尾張藩主・徳川宗春。活達豪放な宗春は、妖艶な女役者・半太夫を愛妾として囲い、不可思議な機械を作る香具師(やし)・多兵衛を気に入り、名古屋城内を出入り自由とするが…。
「お前さん天主閣へ上りたいんだろう? 決して人を上らせない、天主閣の頂上へさ。ホ、ホ、ホ、ホ、お手の筋だろうねえ」。
温室で毒草を栽培している謎の老人や、隠密として名古屋入りした江戸町奉行・大岡越前も登場して繰り広げられる密計の数々…。
「ワッハハハハ、六十五万石が何んだ、三家の筆頭が何うしたのだ! 貰い手があったら呉れてやろう。ふん何んの惜しいものか!」
登場人物たちの意外な正体(素性)が明らかになるドンデン返しのラストが楽しい。満点の出来!

銅銭会事変  (青空文庫)
短編。恋人である茶屋娘・お色が、余儀なく老中・田沼意次に身請けされると知り、気落ちする旗本の次男・白旗弓之助。「田沼の所業に相違ない。悪い奴だ、不忠者め! その上俺の情婦(おんな)を取り、うまいことをしやがった」。秘密結社「銅銭会」によって将軍・徳川家治が誘拐されたと知った弓之助だが、女勘助ら名盗賊たちにまんまと捕まってしまう…。弓之助とお色の恋の行方と将軍誘拐の真相を軽妙な筆致で描いた楽しい作品。

南蛮秘話森右近丸  (青空文庫)
長編。
「南蛮寺の謎、手に入れんとする者、信長公一人(いちにん)にては候(そうろう)まじ、我等といえども虎視耽々、尚その他にも数多く候」──。
没落した家を再興するため「唐寺(南蛮寺)の謎」を研究している弁才坊(多門兵衛)。謎をすっかり解き明かした弁才坊だが、香具師(やし)の少年・猿若に毒殺されてしまう。弁才坊から「大事にしろ」と言われていた人形を香具師(やし)の親方・猪右衛門(ししえもん)にまんまと奪われてしまう弁才坊の娘・民弥(たみや)…。

「解った! あの人形の眼さえ打ったら、唐寺の謎の研究材料、その有り場所が解るのだ」。

織田信長の命を受け、「唐寺の謎」を追跡している信長の家臣・右近丸(あの森蘭丸の従兄弟)。果たして彼は、猪右衛門(ししえもん)から人形を奪い返して、「唐寺の謎」を解くことができるか? そして、そもそも「唐寺の謎」とは一体どういう性質のものなのか?

「民弥よ民弥よ、恐れるには及ばぬ、悩(なやみ)ある者は救われるであろう、悲しめる者は慰められるであろう」。

信長を憎む不思議な巫女・唐姫(からひめ)や、民弥をかどわかす人買いの頭目・桐兵衛なども絡み、「唐寺(南蛮寺)の謎」を巡って乱闘を繰り広げる多彩な登場人物たち! 大どんでん返しもあったりなんかしちゃったりする軽快で読みやすい娯楽時代小説。

二人町奴  (青空文庫)
掌編。兄弟分である二人の町奴(緋鯉の藤兵衛と釣鐘弥左衛門)の男だてを、二本立てのような構成で描いた作品──。旗本奴(はたもとやっこ)の十郎左衛門に、親分・藩隨院長兵衛を殺された町奴(まちやっこ)・緋鯉の藤兵衛。「強きを挫き弱きを助ける! 町奴の意気でございます」。将軍・徳川綱吉と老中・松平伊豆守に面会した藤兵衛が披露した「放れ業」とは? 「町奴の肝玉ごらん下され!」──。短い作品だが、強く印象に残る。

日置流系図  (青空文庫)
掌編。夜な夜な弓弦(ゆづる)を買いに来る老武士の幽霊。「どうも不思議だ。たしかここは柏屋という染め物店があった筈なのに…」。旗本の次男・恩地主馬は、幽霊の正体を突き止めるため屋敷に潜入するが、「日置流」の弓矢の凄まじさに、怖気をふるって逃げ帰ってしまう…。幽霊を怖がっていては勇者になれず。求ム、勇士!

北斎と幽霊  (青空文庫)
掌編。老中・阿部豊後守に絵をけなされた挙句、手直しするよう指図までされた幕府の御用絵師・狩野融川(かのう・ゆうせん)は、昔気質な性格から切腹してしまう。融川の弟子だったこともある葛飾北斎は、豊後守から何でも好きな絵を描いてほしいと依頼されるが…。「いかにも入念に描きましょう。阿部様といえば譜代の名門。かつはお上のご老中。さようなお方にご依頼受けるは絵師冥利にござります。あっとばかりに驚かれるような珍しいものを描きましょう。フフフフ承知でござるよ」──。貧乏時代の北斎の様子が興味深い。

名人地獄  (青空文庫)
長編。
「うむ、とうとう見つけたぞ! 今度こそは逃がしはせぬ! 小梅で聞いた鼓(つづみ)の音! おのれ鼓賊(こぞく)! こっちのものだ!」。
鼓の音色によって金持ちの屋敷を探し当て、押し入るという一風変わった盗賊「鼓賊」を追跡する元の名与力「玻璃窓(はりまど)」の郡上平八だが、「鼓賊」にすっかり翻弄され、まいってしまう。(実は鼓賊の正体は鼠小僧!)──そんな中、将軍・徳川家斉(いえなり)から、海賊・赤格子九郎右衛門の探索を命じられる…。

「どうも退屈で仕方がない。何をやっても退屈だ。実際世の中っていう奴は、こうも退屈なものか知ら」。
物事が退屈で仕方がなく、すっかり憂鬱になっている江戸の能役者・観世銀之丞。剣術の師匠・千葉周作に破門を言い渡されてしまった銀之丞は、銚子で禁制の巨船を建造している九郎右衛門の屋敷に、偶然の成り行きから潜入するが、牢に閉じ込められてしまう…。

親友である銀之丞の救出に向かう浪人・平手造酒(みき)…、九郎右衛門の財産を狙う和泉屋次郎吉(鼠小僧)…、九郎右衛門の屋敷を襲撃しようと企む侠客・森田屋清蔵と剣客・秋山要介など…、多彩な登場人物たちが銚子へ集結して繰り広げる冒険活劇の意外な結末は?

「ああ、だがしかし玻璃窓めは、俺にとっちゃ好敵手だった。あいつの他にこの俺を、鼓賊だと睨んだものはねえ。あの玻璃窓に縛られるなら、俺も往生して眼をつぶる。その玻璃窓めが殺されようとしている。…うん、こいつあうっちゃっちゃ置けねえ! こいつあどうしても助けなけりゃあならねえ。あっ、引き金を締めやがった! いけねえいけねえ間に合わねえ! 畜生!」。

追分節の名人だった兄・甚三を、浪人・富士甚内と遊女・お北に殺された馬子・浅間甚内の敵討ちの話も交えながら展開していく娯楽時代小説の快作。あの国定忠次も“ゲスト出演”していて大いに楽しませてくれますよ!

八ヶ嶽の魔神  (青空文庫)
長編。
平安朝時代に起きた三角関係の悲劇──。その悲劇から始まった「窩人(かじん)」と「水狐族(すいこぞく)」の種族と種族、宗教と宗教の争いに否応なしに巻き込まれていく主人公・鏡葉之助の宿命を描いた伝奇小説の秀作──。

信州・伊那の内藤駿河守の家臣・鏡家の養子となった葉之助だが、すっかり過去を忘れているため、自分が窩人(かじん)の血を引く人間であることも、母・山吹と父・多四郎の悪因縁も知らない…。

「世にも不幸な人間とは、他でもないお前の事じゃ。お前は産みの母親の呪詛(のろい)の犠牲(いけにえ)になっているのじゃ。そうしてお前は実の父親をどうしても殺さなければならないのじゃ」

駿河守の参勤交代で、江戸へやって来た鏡葉之助は、内藤家の乗っ取りを企む森帯刀(内藤家の親類)、大槻玄卿(蘭医)、大鳥井紋兵衛(富豪)の三悪人を偵察するが、あっさり罠に掛かってしまい、毒草の肥料として薬草園に生き埋めにされてしまう…。剣術の天才・葉之助の運命や如何に?

「殺されるか殺すかだ! これは生優(なまやさ)しい敵ではない! 助かろうとて助かりっこはない! 生け捕られたら嬲(なぶ)り殺しだ。……相手を屠(ほふ)るということは、俺の体に纏(まつ)わっている、呪詛(のろい)を取去(のぞ)くということになる。相手に屠られるということは、呪詛に食われるということになる。……生きる意(つも)りで働いては駄目だ! 死ぬ決心でやっつけてやろう! こうなれば肉弾だ! 生命を棄てて相手を切ろう! ……おおおお集まって来おったな。……とてもまともでは叶わない。こうなれば手段を選ばない。あらゆる詭計(きけい)を施してやれ」

推理小説の要素(毒蛇を使った殺人トリック)も盛り込みながら描かれる因果応報の世界──。この小説のクライマックスである「水狐族の怪殿」での葉之助の奮闘ぶりが最高にエンターテインメントしていて、猛獣である熊や狼たちを味方にしての絶体絶命の大活劇は手に汗握る! ただ、葉之助とお露(大鳥井紋兵衛の娘)の恋の行方が中途半端な印象で、紋兵衛の正体(実は多四郎)を知った葉之助が、お露との恋に苦悩しつつ二人結ばれる姿が描かれていれば完璧だった。

「ひどく浮世が暮らしにくくなったら、構うものか浮世を振りすて、日本アルプスへ分け上り、山窩国の中へはいって行こう。そうして葉之助と協力し、その国を大いに発展させよう。そうして小うるさい社会と人間から、すっかり逃避することによって、楽々と呼吸(いき)を吐(つ)こうではないか」

大正時代に書かれた作品ながら、作者・国枝史郎の心境(メッセージ)はすこぶる今日的だ。



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