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夏目漱石 (なつめ・そうせき) 1867〜1916。




吾輩は猫である 第1回  (青空文庫)
長編。吾輩は猫である。名前はまだ無い──。教師(苦沙弥先生)の家に拾われた吾輩は、のんきな主人を観察しているうち、「人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝て居て勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はない」と感じる。乱暴猫の「車屋の黒」との交流や、ほら吹きの美学者・迷亭による「アンドレア・デル・サルト事件」など…。第一回は独立した短編として読めるので、長くて読む気がしないという人も、とりあえず第1回は読むべし。

第2回  (青空文庫)
長編。苦沙弥先生の家に集う仲間たち(美学者・迷亭や、理学士・寒月など)の他愛のない話の数々を、飼い猫(吾輩)の視点で描くユーモア風刺小説の第2回──。二弦琴の御師匠さん(天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘)の家で飼われている三毛子との交流や、タカジヤスターゼ、トチメンボーなど…。義太夫を聞きたいから連れて行ってくれという細君に対する苦沙弥先生の我儘で偏狭ぶりが実に楽しい。

第3回  (青空文庫)
長編。やたら鼻が大きい実業家の金田夫人(鼻子)が苦沙弥の家にやって来た。娘・富子の縁談相手である理学士・寒月のことを聞きに来たのだ。生意気な鼻子が気に食わない苦沙弥と迷亭は、鼻の話で大いに盛り上がる。「あんなものの娘を誰が貰うものか。寒月君もらっちゃいかんよ」──。口の悪い富子の会話が笑える。

第4回  (青空文庫)
長編。寒月の結婚問題について実業家・金田夫妻の依頼を受けた苦沙弥の旧友・鈴木。「それじゃ、今度寒月が来たら、博士論文をかく様に僕から勧めてみよう」。首尾よく苦沙弥を説き落とた鈴木だが、そこへ迷亭が現れて…。細君の頭に大きな禿(はげ)があるのを発見した苦沙弥。「禿」対「鼻毛の白髪」の夫婦喧嘩が面白い。

第5回  (青空文庫)
長編。夜中に苦沙弥先生宅に泥棒が入り、衣服と山の芋を盗まれてしまう。そのことで苦沙弥と細君は言い争いに。「それだから貴様はオタンチン、パレオロガスだと云うんだ」。家の書生だった三平は「実業家にでもなんなさらんか」と苦沙弥に勧めるが…。苦沙弥の子供の名は、とん子、すん子、めん子。吾輩のネズミ捕りの顛末も。

第6回  (青空文庫)
長編。まるで自分の家のように苦沙弥宅で寛ぐ迷亭。蕎麦の通の食べ方を講説したり、「神秘的」な失恋話を披露したり…。寒月は博士論文「蛙の眼球の電動作用に対する紫外光線の影響」の実験のため「目下のところは朝から晩まで珠ばかり磨っています」──。たわいのない話に終始する第6回。まさに「吾輩は猫である」の真骨頂。

第7回  (青空文庫)
長編。カマキリや蝉取りをして運動する吾輩。背中がむずむすして我慢できず、銭湯に行くことを思い付いた吾輩の銭湯観察記がダラダラと続く第7回。個人的に「吾輩は猫である」は、面白夫婦小説だと思っているので、苦沙弥先生と奥さんのやり取りがない展開は非常につらいところ。でも、最後の最後で二人が登場してくれてホッ。

第8回  (青空文庫)
長編。苦沙弥宅の隣にある中学校「落雲館」。そこの生徒たちの嫌がらせ(ダムダム弾=野球)に癇癪を起こす苦沙弥は、掛かりつけの甘木先生に催眠療法を頼むが…。生徒たちの嫌がらせは実は金田の差し金とは知らず。「一寸ボールが這入りましたから、取らせて下さい」。苦沙弥にとってもはや戦争だ。消極的修養のススメ。

第9回  (青空文庫)
長編。旧友である哲学者・独仙の影響で「消極的修養」に努める苦沙弥先生。「独仙の御蔭で二人ばかり気狂にされているからな」。呑気者の迷亭の話を聞いて、「別段見習うにも及ばない人間」だと納得する。迷亭にしろ、寒月にしろ、金田にしろ、「ことによると社会は気狂の寄り合いかもしれない」「何が何だか分からなくなった」。

第10回  (青空文庫)
長編。「自分は死なない事に決心をしている」から保険に入らないと威張る苦沙弥を、まんまと説得してみせる苦沙弥の姪・雪江だが…。悪戯で金田の娘・富子に艶書を送ったという苦沙弥の生徒・武右衛門。退学を恐れる武右衛門に冷淡な苦沙弥だが、寒月は「救って御やんなさい」と寛容──。全11回中、一番楽しい第10回。

第11回  (青空文庫)
長編。苦沙弥宅に集まるいつもの面々。高校時代にヴァイオリンを独習したという話を始める寒月だが、なかなか話の筋が進まず、皆はすっかり食傷気味。「これからが聞きどころですよ。今までは単に序幕です」。寒月と富子の結婚問題の結末は? 呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。最終回。

●『吾輩は猫である』。本当に他愛のないエピソードがだらだら続くこの種の小説は、現在にあっては寧ろ新鮮そのもの。筋らしい筋なんかなくても面白ければそれでいいと思わせるものを持っている。なので、ラストの強引なオチ(酔っ払った吾輩が大きな甕(かめ)の中に落ちて死んでしまう)もこれでいいのだ。「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、難有い難有い」。

「吾輩は猫である」の魅力は、断然、苦沙弥先生と奥さんのやり取りにある。というわけでちょっとまとめてみると…。

(1)義太夫を聞きたいから連れて行ってくれと頼む奥さん。四時までに行って場所をとらないと入れないからと急かす。「それじゃ四時を過ぎればもう駄目なんだね」、「ええ駄目です」。すると途端に悪寒がし出した苦沙弥先生。医者まで呼んじゃう有様。そして四時が過ぎるとたちまち元気になってしまう都合の良さ。
「行きたかったが四時を過ぎちゃ、這入れないと云う細君の意見なんだから仕方がない、やめにしたさ」。

(2)月末の払いが苦しいと訴える奥さん。「足りん筈はない、医者へも薬礼は済ましたし、本屋へも先月払ったじゃないか。今月は余らなければならん」と言いながら鼻毛を抜くのに夢中の苦沙弥先生。「一寸見ろ、鼻毛の白髪だ」。さすがの奥さんも笑いながら茶の間へ。鼻毛で奥さんを追払って満足げの苦沙弥先生なのでした。

(3)奥さんの頭に大きな禿(はげ)があるのを見つけた苦沙弥先生。「女は髷(まげ)に結うと、ここが釣れますから誰でも禿げるんです」と反論する奥さんだが、伝染するかも知れないから、医者に診てもらえと言う苦沙弥先生。「そんなに人の事を仰しゃるが、あなただって鼻の孔へ白髪が生えてるじゃありませんか。禿が伝染するなら白髪だって伝染しますわ」。

(4)自分は死なない事に決心したから保険には入らないと強情を張る苦沙弥先生に手を焼く奥さん。「何かさせようと思ったら、うらを云うと、此方の思い通りになるのよ。此間(このあいだ)蝙蝠傘(こうもり)を買ってもらう時にも、いらない、いらないって、態(わざ)と云ったら、いらない事があるものかって、すぐ買って下すったの」と話す苦沙弥先生の姪・雪江(女学生)。この手を使って苦沙弥をその気にさせた雪江だが、逆に、そんなにいらないなら傘を返せと苦沙弥に言われ、「だって苛(ひど)いわ」と泣いてしまうのでした。



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