このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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夏目漱石 (なつめ・そうせき) 1867〜1916。




琴のそら音  (青空文庫)
短編。友人の津田君の下宿を訪問し、他愛のないお喋りをする法学士の靖雄。迷信ぶかい住み込みの婆さんが、犬の遠吠えをやたらに怖がっていることや、婚約者の露子がインフルエンザにかかっていることなどを話す靖雄だが、津田君からインフルエンザで死んだ女の幽霊の実話を聞かされ、すっかり心配になってしまう…。「注意せんといかんよ」、「縁喜でもない、いやに人を驚かせるぜ。ワハハハハハ」。不吉な犬の遠吠えの顛末と、露子の気になる病状は?──幸福感あふれるラストが素敵に楽しいホラー&ユーモア小説。

三四郎  (青空文庫)
長編。熊本から上京した大学生・三四郎は、大学の池の縁で出会った女性・美禰子に一目惚れするが、彼女の小悪魔ぶりに翻弄される…。「迷える子(ストレイ・シープ)──解って?」。貸した金を返さない友人・与次郎や、「偉大なる暗闇」である広田先生、理学士・野々宮との交流など。「おこっていらっしゃるの」──。定番の青春小説。

●『三四郎』は、地方から東京の大学へ入学する初心な少年が必ず読む(?)定番の青春小説。上京する汽車の中で乗り合わせた人妻と、名古屋で同宿する羽目になっちゃう冒頭のエピソードは、抜群に面白く、独立した短編として楽しめる。

宿の人に連れ合いだと思われ、人妻と相部屋にされてしまった三四郎。先に風呂に入っていると、「ちいと流しましょうか」とか言って人妻が裸になろうとする。慌てて風呂から飛び出す三四郎。仕舞には一枚の蒲団で寝ることに…。

何事もなく一夜が明け、名古屋駅で別れ際、三四郎が人妻から言われた台詞、「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」。これには三四郎じゃなくてもビックリしますよ。この経験を三四郎は、「現実世界の稲妻」と表現。

その他、面白かった箇所を羅列…。

あなた東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない。

砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。

二百十日  (青空文庫)
中編。
華族と金持ちを眼の敵(かたき)にしている“豆腐屋の伜(せがれ)”である圭さんは、朋友の碌さんと一緒に、“ともかくも”、阿蘇(あそ)へ登ることに。二百十日の雨と風に曝(さら)され、灰に苦しめられながら登山する二人だが、路に迷ってしまい…。

登る気満々の圭さんと、早く帰りたい碌さんの対比の面白さと、お互いを思いやる友情の素晴らしさ…。

「我々が世の中に生活している第一の目的は、こう云う文明の怪獣を打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安慰を与えるのにあるだろう」
「ある。うん。あるよ」
「あると思うなら、僕といっしょにやれ」
「うん。やる」
「そこでともかくも阿蘇へ登ろう」
「うん、ともかくも阿蘇へ登るがよかろう」

碌さんが宿の下女に、“玉子の半熟”を注文する件(くだり)が落語みたようで笑える。

「ビールはござりまっせん」
「ビールがない?」
「ビールはござりませんばってん、恵比寿(えびす)ならござります」
「ハハハハいよいよ妙になって来た」

ほとんど全編、圭さんと碌さんのひょうひょうとした会話文だけで構成され、社会批評を交えつつ、登山のてん末を描いた楽しい作品──。圭さんを見習って“ともかくも”の精神で行こう!

野分  (青空文庫)
長編。
「だからさ、もう田舎へは行かない、教師にもならない事にきめたんだよ」
「きめるのは御勝手ですけれども、きめたって月給が取れなけりゃ仕方がないじゃありませんか」

中学教師として田舎を転々とした後、東京へ戻って来た白井道也(どうや)。華族、紳商(しんしょう)、博士、学士が持てはやされる世の中で、公正なる人格がないがしろにされていると考える彼は、教師を辞めて、文筆で食べていく道を選ぶが、いつまで経っても生活は苦しいまま。そんな夫に不満の妻・御政(おまさ)は、会社の役員をしている道也の兄に相談するが…。

「——それでここに一つの策があるんだが、どうでしょう当人の方から雑誌や新聞をやめて、教師になりたいと云う気を起させるようにするのは」
「そうなれば私は実にありがたいのですが、どうしたら、そう旨い具合に参りましょう」

一方、大学を卒業したばかりの若き文学士、高柳周作と中野輝一(きいち)。二人は親友同士だが、性格は正反対。金持ちでハイカラで鷹揚で恋人もいる中野君に対して、高柳君は厭世家(えんせいか)の皮肉屋で貧乏で一人坊(ひとりぼ)っち。中野君に誘われて演奏会や園遊会に行っても、自分だけ排斥されているような気になってしまう。自分と同様に貧している道也先生が書いた論文「解脱と拘泥」を読んだ彼は、次第に道也先生に師事していくが、病魔(肺病)に侵されてしまう…。

「君の目下の目的は、かねて腹案のある述作を完成しようと云うのだろう。だからそれを条件にして僕が転地の費用を担任しようじゃないか。僕は費用を担任した代り君に一大傑作を世間へ出して貰う。どうだい。それなら僕の主意も立ち、君の望(のぞみ)も叶う。一挙両得じゃないか」

社会批評小説「二百十日」と同じコンセプトの作品。道也先生の演説「現代の青年に告ぐ」は圧巻の一言! 高柳君に対する中野君の友情(好意)や、鮮やかなるラストに涙が止まらなくなってしまった。

「君は自分だけが一人坊(ひとりぼ)っちだと思うかも知れないが、僕も一人坊っちですよ。一人坊っちは崇高なものです」

うまくいかず、もがき苦しんでいる高柳君の姿に自分を重ね合わせたという人も多いはず。かく言う私もその一人だ。どう転んでも中野君のようにはなり得ない私は、高柳君と同様、道也先生に弟子入りしたくなっちゃった…。

「——先生私はあなたの、弟子です。——越後の高田で先生をいじめて追い出した弟子の一人です」

文士の生活  (青空文庫)
掌編。巨万の富を蓄えたという噂の否定から始まり、「吾輩は猫である」の印税の話…、勝手にやって来る植木屋の話…、半分運動のつもりで謡曲をやっている話…、新聞小説は毎日一回ずつ書き、書き溜めておくことが出来ない話…、内田魯庵に貰った万年筆を使っている話など、漱石の生活がかいま見える楽しいエッセイ。

文鳥  (青空文庫)
短編。作家・鈴木三重吉の勧めで、文鳥を飼い始めた自分(漱石)。首をすくめて、文鳥が自分を見た時、紫の帯上(おびあげ)でいたずらをした昔の女の事を思い出す。如露(じょろ)の水に眼をぱちぱちさせる文鳥と、反射する鏡の光線に手を翳しながら不思議そうに瞬きする女…。三重吉と漱石のやり取りが笑える。エッセイ。

 (青空文庫)
長編。
仲睦まじくも、淋しく静かに暮らす夫婦(野中宗助とお米)がこしらえた“過去”という暗い大きな穴──。

今とは違って積極的で快活だった学生時代の宗助に何があったのか? 宗助の弟・小六の学資問題や、頼みにする親戚・佐伯との交渉などを絡めながら、次第に明らかになっていく宗助とお米の過去…。

社交的な家主・坂井と他愛のない交流を続ける宗助だが、思いもよらぬ展開(偶然)によって、落ち着いた生活が脅かされてしまう…。心の安定を求める宗助は、役所勤めを休んで、鎌倉の禅寺の山門をくぐるが…。

彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦(すく)んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった──。

「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」
「うん、しかしまたじき冬になるよ」

やはり恋愛問題の過去を引きずって生きる主人公を描いた長編「こころ」と比べて、「門」には暗さ(深刻さ)がなく、抱一の屏風を道具屋へ売るエピソードや、家主・坂井の家に泥棒が入ったエピソードなど実にユーモラスで、読んでいて楽しいものがある。宗助とお米の夫婦の情合いも素晴らしく、この夫婦に“過去の重荷”がなければ、「吾輩は猫である」の苦沙弥先生のところに負けないぐらいのベストカップルになっていただろうと思わせる。

夢十夜・第一夜  (青空文庫)
掌編。こんな夢を見た。──「もう死にます」と云う瓜実顔の髪の長い女。「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」。大きな真珠貝で穴を掘り、天から落ちて来る星の破片を墓標に置く男。勘定し尽くせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った時…。漱石っぽくない(?)美しく幻想的な作品。
夢十夜・第三夜  (青空文庫)
掌編。こんな夢を見た。──眼が潰れて、青坊主になっている我が子を負ぶって歩く主人公の男。「もう少し行くと解る。——ちょうどこんな晩だったな」。大人のような言葉つきの我が子を、早く捨ててしまおうと思う男だが…。「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」──。業苦を描くホラー小説。連作第三話。
夢十夜・第五夜  (青空文庫)
掌編。こんな夢を見た。──軍(いくさ)に敗北し、捕虜となった男は、処刑される前に、愛する女に逢いたいと願う。「夜が開けて鶏が鳴くまでなら待つ」と云う敵の大将。女は裸馬に乗り、男がいる篝火(かがりび)を目指すが…。「天探女(あまのじゃく)は自分の敵(かたき)である」。ラストの「自分」=漱石? 連作第五話。
夢十夜・第七夜  (青空文庫)
掌編。ただ黒い煙を吐いて波を切って行く事だけはたしかである。──どこへ行くのか分からない大きな船に乗っている男。大変心細くなり、死ぬ決心をした男は、思い切って海の中へ飛び込むが…。ラストのスローモーションによる心理描写が秀逸。どこへ行くのか分からない人生でも、やっぱり生きている方がいい。連作第七話。
夢十夜・第十夜  (青空文庫)
掌編。パナマ帽を被り、水菓子屋の店先で往来する女の顔を眺めるのが「ただ一つの道楽」である庄太郎は、ある女に連れられて山へやって来る。絶壁の天辺から飛び込めという女。「もし思い切って飛び込まなければ、豚に舐められますが好うござんすか」。豚をステッキで撃退し続ける庄太郎だが…。女性観察はほどほどに。



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