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国道153号線 旧道 伊勢神(伊勢賀美)隧道 愛知県豊田市 平成21年6月9日 来訪 |
豊田市中心部より国道153号線、飯田街道(三州街道)を東北東に進む事、約15km。
甚だ不本意な形で全国的に知られる様になったあの隧道への入口が、峠の名をあしらったドライブイン横から分岐していく。
旧道分岐点から100m程進めば、現道『伊勢神トンネル』の坑口が開けている。
昭和35年開通、延長1245mの長大隧道で、中京圏から伊那谷を経て松本へと結ぶ主要街道と言う事もあり交通量は多い。
昭和中期の近代コンクリトンネルではあるが、坑口には要石を配した石積みアーチが築かれている
これは技術的必要性よりメインロードとしての貫禄を出す為の意匠だろう。
また旧隧道からのデザインの踏襲も含まれているのかもしれない。
旧道は古道「伊勢神峠」を横切る東海自然歩道のアクセス道となっている。
ふと、度々見かける「東海自然歩道」なる物が少し気になりちょっとググってみた。
てっきり今まで歴史的登山道保全の為、断続的に登録されている物だと思っていたのだが、ちょっとその認識は違っていたらしい。
実は東京都八王子市「明治の森・高尾国定公園」から大阪市箕面市「明治の森・箕面国公園」を結ぶ全長1,697kmのメガロング歩行者道だったのだ。
この超長距離自然歩道の目的は前述の歴史道の保全の他に自然保護思考の育成も含まれている。
関東・中部・関西に転載する希少な生態系を守る為に、その地域を国定公園化し、それを結ぶネットワーク道としても機能しているそうだ。
全線に渡って整備されており人気の自然散策路となっているが、流石にこの長距離をブッ通しで走破する猛者はいないようだ。
「自然歩道」看板すぐ横に倒れかけた大型車の規制標識。
1.2km先に『伊勢神様』に選ばれし車両のみ入る事が許される隧道が待ち受けている
隧道へいたる道は至って普通の舗装路。
放置された旧道では路面がボコボコになっている事が多いが、此方は割と手を入れられている様でアスファルトもそれ程 古くはない。
面白みが無いといったらそれまでだが、定期的に利用する人にとっては結構な事だろう。
これから現れる隧道も心霊スポットとして騒がれてはいるが所詮は現役の隧道、薄暗い倒木と籔に埋もれた切り通しの向こう側から闇を飲み込むように口を開く廃隧道に比べたら可愛いモンだろうと思っていた
旧道沿いにあった携帯電話の電波塔施設。
管理会社は「J−PHONE」・・・
って、随分懐かしいな、オイ。
ご存知の通り、JーPHONEはその後Vodafoneに買収され、更に今度はソフトバンクに買い取られて現在に至ると言う「流浪の携帯会社」である。
意外だったのがJ−PHONEより更に以前は「デジタルツーカー」と言う日産と日本テレコムの合同出資会社であった。
何で自動車会社が電話業界に?とも思うが移動電話の創成期が「自動車電話」だった事を考えれば納得である。(auの前身「セルラーグループ」もまたトヨタが関わっていた)
古き道に今は無き社名が残る。
大多賀方面へと向かう舗装林道との分岐点。
旧道はその他集落へと結ぶ枝道が幾つかあり、単なる峠越えの道ではない故に今だ現役の道として活躍できるのであろう。
しかし、豊田市と言うと他所の人間がもつイメージは自動車産業の工業都市と言った感じだが、以外にも西部の方は標高1000mクラスの高い山々が連なっている。
もっとも、これ等の地域は合併によって編入された地域であり、ここ伊勢神峠西側も2005年(平成17年)までは足助町という自治体であった
舗装林道との丁字路の傍にはもう一つ、古道・伊勢神峠への歩行者道も分岐している。
前述の東海自然歩道へも此方がアクセス路である。
飯田街道は海の無い信濃国に塩を運ぶ為の重要な街道であり、日本海側の糸魚川からの千国街道とともに「塩の道」と呼ばれた。
この二つの街道が合流する地点が長野県塩尻市なのだが、なるほど二つの塩の道が繋がる地故に「塩尻」と言う訳か。
また、海から塩を売りに来た商人の在庫が底をつく場所と言う説もあるが、やはり何かしら塩に由縁がある地なのだろう。
塩尻は現在も上記二つの街道の他に中山道・甲州街道といった重要街道が集まる要衝である
林道と古道の分岐を過ぎた向こうに緩いカーブ。
そして、そのカーブの先になにやらレンガ造りの古い建造物が微かに見える。
どうやら来たようだな。
扁額。
『伊勢賀美』と刻まれる。
元々、この峠は石神峠と呼ばれていたのが、江戸時代末期に伊勢神宮遙拝所が授けられ、「石神」から恐らく語呂合わせで「伊勢拝み峠」、「伊勢賀美峠」等と呼ばれる様になり、現在になって「伊勢神峠」と言う名で落ち着いた様である
扁額の下の笠石には起工日と竣工日が刻まれている。
なお、この扁額は周りの石材に比べ新しく見え、後日に新しい扁額に取り替えられたのではないかと言う説もある
このように近代構造物として大変に価値のある隧道だが、やっぱり一般の人達からすると
「キモいトンネル」
の一言で片付けられてしまうのが悲しい所。
同じ石積みの天城峠隧道は文学の舞台にもなり多くの観光客を呼んでいるが、こちらの方に来るはオブマニアか心霊マニア、それに「やんちゃくん」ぐらいだ。
隧道の至るところに「マーキング」の跡。
坑口上部や扁額の所にもスプレー痕があり、大変にイラナイと言うか迷惑な努力。
伊勢神隧道も「登録有形文化財」に登録されており、国家に認められた歴史遺産である。
時折ニュースで文化財に落書きをされた事を報じられるが、この隧道に至っては問題にされるどころかマスコミがかえってオカルトを煽っている有様だ
坑内へと進入。
隧道手前だと見えなかった出口が内部に入ると見えるようになった。
サミットは南(足助)側に偏っているようだ
意外な事に路面はダート。
道程はダートでも坑内は舗装化されている旧隧道が多いのだが。
坑壁は見事なまでの石積み。
電気の通っていないボロボロの照明ボックスが廃の空気を醸し出させる。
天井が低いのでボックスが頭にぶつかりそうで怖い。
と言うか気持ち悪い。
内部でライトを消すとこんな感じ。
暗黒空間。
さすがに単独徒歩で行くのはヤダ。
霊とか信じて無くても、闇への恐怖は拭い去り難い。
猛者オブローダーともなると、反対にこの闇が居心地よくなるそうだが、そこまでの境地に至っていない自分はまだまだ甘い。
坑内の幅員は幾度か変化する。
この部分は戦後になってコンクリで補強したようだ。
こんな所にも落書きがいっぱい。
ていうか、真っ暗で何も見えなくなるこの場所に痕跡を残して何が楽しいのであろう。
隧道より無意味な痕跡を残す人々の心理の方がある意味ミステリー。
このコンクリ補強の箇所以外にも石積み巻きが二層から一層巻きになる箇所もあり、地盤の強度によって厚みを変えているようだ。
北側、旧・稲武町の坑口。
日影で暗い雰囲気になっているが、個人的に出口の見えるこちらの方が威圧感を感じさせない。
この画像ではわかりづらいとは思うが、坑口左上、ピラスター上部が少し崩れている。
それ以外は亀裂も無く、一世紀前に造られたままの姿でここに存在している。
阿曽隧道のレポ
でも述べたが本当に石造りの建造物は頑丈である。
上記の隧道も日本海から叩きつける風を直に受ける岬の先端に築かれてるのに、明治期開鑿とは思えないほどしっかりと残っており、天城山隧道も天災の多い伊豆半島で今だに現役の隧道として活躍している。
もし、予定通り煉瓦隧道として造られていたとしたら、とっくに崩壊していたか、コンクリ隧道として改修されてしまっていたに違いない。
ブレブレ扁額画像。
何枚か他にも北側坑口の画像を撮ったが全てブレまくり画像になってしまった。
い、いせがみさまのタタリじゃー。
ビビってガタブルしてたんぢゃねーの?とか言ってはイケナイ。
何でもこの隧道を通る者は必ず死が訪れる呪いがかけられているそうです。
100年後ぐらいに
ちなみにこの北側坑口すぐ傍には民家があり、すっかり心霊スポットとして有名になってしまったが為に、夜間肝試しに来る「お子様達」が騒いで大変迷惑をしていると言う。
此処を訪れるオブマニア、心霊マニアの方々は必ずご自重お願いしたい
隧道を抜け南側の旧道へ。
杉林に囲まれた何の変哲も無い舗装路。
淡々と峠を下りてきます。
現道のトンネル出口手前で合流。
見通しの悪い直角丁字路なので一時停止線でキチンと車が確認せずに合流すると事故ります。
また、トンネル内でライトを点けずに走行している車も多く、大丈夫だろうと現道へ入ろうとした途端、突然車が現れてビックリ!と言う事も。
これ以上、「恐怖!事故を呼ぶトンネル」とかイラナイ噂を増やさない為にも安全確認はしっかりしましょう
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