このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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これは中津原隧道周辺部の簡易地図である。 r205とR8は途中までは本当に旧道と現道のように寄り添って走るのだ。 しかし、山が近づいてきた所でお互い全く違う場所へと進み始めてしまう。 一方、本当の旧国道の方は一見、現道とは全く関係の無いような所から現れ、中津原隧道の真上を通り敦賀方面へと向かっていく。 そして、その先には「入口付近がほうかい」した隧道が待ち受けていると言う。 | ||
「入口崩壊」の隧道へ向かって走り出したのだが、流石に夏場とあって殆ど管理されぬ旧道は藪まみれ。 セローさんのその身に草や小枝を巻きつけながら前進。 | ||
しかし、日影の所では2本の轍がくっきりと写り、全く人が入っていない訳でもない事を物語る | ||
しかし、長年放置されているとは言え、流石は旧国道、しかも北陸の幹線道路だった訳で元々の道の造りは良かったと感じられる 中津原隧道からのアクセス道との丁字路からここまで、ムリな傾斜やカーブは殆ど無く、幅員も草さえ刈れば1.5車線程度あり、このような広々とした離合箇所もある。 反面、この道が開削当時では大トンネルや大型橋梁が作れる時代ではなかった為に、地形に沿って道を切り開かねばならず結果として割と大回りのルートにしなけらばならなかったのであろう。 この旧道、現道「武生トンネル」の周辺のかなり手前、武生の市街地外れの塚原交差点から分岐していて、地図で一見しただけでは旧国道とは中々気付けないのである。 | ||
道の向こうに連なる越前の山々。 福井県東北部の嶺北地方、南西部の嶺南地方は 隣接しながらも険しい山地に阻まれ、異なる地域文化が育まれていた。 福井市を中心とした嶺北地方は北陸有力大名が鎮座する 武家文化が強い地域性だった。 戦国期は一乗谷に本拠に構えた朝倉家が一帯を治め、 朝倉氏が滅亡した後は織田信長の重臣、柴田勝家が越前を治める事となった。 この柴田勝家と言う武将は、割と武闘派的イメージがあるが 実は優秀な政治家でもあり、現在の福井周辺の治水や流通網の基盤が出来たのは 彼の治世時代なのである。 その後、信長死後の跡目争いで勝家が秀吉に敗北した後、 しばらくの間、領主が頻繁に入れ替わる そして関ヶ原決戦後、 徳川時代になってここを治めるようになったのが、越前松平氏である。 越前松平氏の始祖、松平秀康は初代将軍家康の次男であり、(兄・信康は信長の怒りを買い切腹) 本来ならば2代目将軍になるべき位置に居た人物である。 しかし、幼少の時代に養子に出された為、跡継ぎとして選ばれる事が出来なかった。 だがその代わり、徳川家親藩の筆頭としての地位を与えられ、 徳川一族として将軍家から養子が来る事しばしばあった。 幕末の福井藩主「松平慶永」もまた、御三卿・田安徳川家からの養子である。 この松平慶永、またの名を『春嶽』は幕末の主役の一人として知られるが、 明治維新後も嶺北地方の重鎮として史書等でその名を出してくる。 そしてまた、本レポでも彼の名をもう一度聞く事になるであろう | ||
さて、旧国道を突き進むこと数分。 この画像で見れるように広場のような所にでた。 結構なスペースがあることから、 かつては茶屋等の一服できるような施設があったのかもしれない。 草叢の駆り払えば結構見晴らしの良い場所になるので、 峠道で疲れた体を癒すには持って来いの場所だったのであろう。 この(仮定)茶屋跡に面したこの場所。 今、この画像を撮っているこの背後には・・・ | ||
隧道。 草木に覆われその身を隠さんとしているが、 かつて多くの旅人が通り抜けた山塊を貫く道である。 蜘蛛の巣が張り巡らされた草叢を書き分け、隧道へと接近。 | ||
隧道手前に来て、ようやく上部には扁額がある事が分かった。 画像では手前にぶら下がった枝が邪魔になって全体が見えなくなっているが 確かに扁額にはこう刻まれていた。 『春日野隧道』 と。 ここに来てようやく、「ああ、これが春日野隧道か。」と気付いた。 以前に 旧道倶楽部 にて春日野隧道レポを閲覧していたが、 実際にどこにあるかまでは知らなかったのである。(現道は違う名前になってるし) | ||
坑口横を見ると、かなり危険な状態でポータルが崩れていた。 確かにこれは通行止めにせざるえない。 上記で述べたnagajis氏のレポで見た画像より酷くなっている気がする。 恐らく上部からの圧力により徐々に石垣がずれていっているようだ。 果たして後、どれくらい持つのであろう? 崩れ方によってはこの福井側坑口が閉塞する可能性もある。 かつては、この春日野隧道は地域の名所として知られ、 周辺地域の学校の遠足コースにもなっていたと言う。 しかし、新しい道が出来、人の流れから外れていくと 徐々に人々の記憶から薄れていき、 やがて人知れずその存在すら消えていくのであろうか? | ||
内部は水没気味。 けして深くは無いが、踏み出せば足首まではびっしょリ濡れることだろう。 また、バイクでこのまま突っ込んでやろうかとも思うが、 奥の方がどうなっているのか分からないで突入するのはやっぱ怖い。 よって、一度反対側からまた登ってそちらの坑口の様子を確認してみることにした・・・ 次回、「恐怖!蜘蛛男の巻」に続く |
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