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春日野隧道 2007夏編
(旧国道8号線)
福井県越前市
2007・10・28 来訪

敦賀側より具谷第一トンネルを出てちょっと過ぎた所に、国道より林道のような道が分岐している。
これこそ、かつて敦賀街道、さらに古くは『春日野道』と呼ばれた旧国道である。
旧道へ入った途端、目の前に「この先、通行止」の看板が。
まあ、
その『通行止の原因』の所が目的地なので、忠告だけは有難く受け止めこの先へと歩を進める。
旧道の出だしは非常にフラット。
路面はしっかりと踏みしめられており、わりかし車両の出入りが多いようだ。
谷向こうの現道から響く大型車の走行音と蝉の音を背後に聞きつつ、軽快に山道を登っていく
徐々に路面が荒れ始め、路面中央に草が生えてきたが夏場の林道等では良くある光景。
オフ車ならまだまだストレスを感じる程ではない。
途中、道の横に浄水施設らしき物が現れる。
敷地内には小さな祠があり、小ぢんまりとはしているが、きちんと手入れをされているようだ。
恐らく山神、もしくは水神を祭る祠で、豊かな水資源を与えてくれる山々に感謝の意を表す為に立てられたので無いであろうか?
昔の人は自然「愛護」なんていう傲慢な言葉ではなく、山や水を「カミ」と呼び、畏怖と感謝を持って自然に対してきた。

自然なんて人間が支配できるものではない。
ただ、その場しのぎで取り繕っているだけ。
人間が必死になって整備しても、ちょっと手入れしなくなっただけで・・・
この通り。

まあ、まだここは轍が見えるだけマシだがな。
しかし、走行していると体中にビシバシ草がヒットしていく。
真夏だからと言ってからジャケット脱いで半袖なんかにはなれない。

しかも、ここすんごく蜘蛛が多いの。
路面ど真ん中にデカイ蜘蛛の巣が張られていて、
それらを突き破りながら進むことになるのさ。
だからもう、セローさん蜘蛛の巣だらけ。
当然、自分も蜘蛛の巣だらけ。
もちろん、何処かしらに『本体』も居る訳で、走っている途中に首筋辺りになーんか蠢いている物がいる気がしてならなかった。

別段、蜘蛛がキライな訳ではないが、服の下に潜り込まれたりしたら、やっぱねえ、気分がいいモンではないよ。
草塗れの旧道を登りつめ、深い切通しに至る。
切通しは緩い下り坂になっており、何も知らなければ、ここが峠かと思ってしまいそうだが、当然「春日野」の峠は此処ではない。

切通しの先は道が二手に分かれていた。
どちらかと言うと左手側の方が轍がハッキリしていて、思わずそちらの方に行ってしましそうになる。
しかし、道は下り坂となっており、更に言えば武生とは反対の方向へ行ってしまう。
と、なると右手側に行くべきだとは思うのだが・・・。

現地で正直思った事が
「たぶん正解だと思うけど、正解だと思いたくナイ。」

だってさァ・・・
こんな感じなんだよ。
草やツタ、小枝を掻き分けながら獣道を進む。
たまーに倒木とかが隠れていて、コケそうになる。
ここに初めて来た時点では、全くといっていいほどこの道の情報は持っていなかった訳で
素性の知れぬ怪しい道(?)を進む事ほど不安な事はない。

しかし、標高を上げることなく等高線に沿って淡々と山に向かって進む線形は
「いかにもありそう」な雰囲気だった。
これは栗子の時にも感じたラストスパートを感じる。

バイクに様々の「付属品」を巻きつけつつ、最後のカーブを曲がる。
春日野隧道到着。

隧道周辺もがっつり緑に覆われてます。
蜘蛛の巣が巻きつきまくって斑セローになりますた。

まあ、元々傷つきまくってんだがな(主に2007年GWの骨折大転倒の時の傷)


敦賀側扁額には『賛化阜財』と刻まれている。
この言葉を書した人物は源慶永・・・松平春嶽のことである。

この松平春嶽が治めた越前松平家は前述の通り、
徳川将軍家直流の親藩として扱われ、配下の藩士達も特別なプライドを持っていたと思われる。

しかし、大政奉還を経て徳川幕府は解体。
廃藩置県が行なわれ、極初期は徳川時代の藩がそのまま県とされ、役人も元藩士が担っていたが
徐々に「小県」は「有力な県」に吸収され、
人材もまた明治政府寄りの人間に入れ替わって行くようになる。(三島通庸が良い例)

明治4年11月の時点で嶺北地方は元福井藩士で構成された旧・福井県、
嶺南地方は政府系役人で構成された敦賀県が行政を担っていた。
当然の如く、明治政府としては旧福井藩の血脈を残す福井県の存在は好ましくない。

そこでまず、県名を旧藩名を残す「福井」から、松平家には全く縁のない「足羽」と言う県名に変えさせた。
長らく藩士達にとって仕えるべき存在であり、
また生きるべき場所であった「福井」と言う地名を奪い去ったのである。
だがそれだけでは終わらず、更に畳み掛ける様に明治政府は次の一手をうって来る。

敦賀県との吸収合併。
この合併で足羽県は消滅、県庁は敦賀に置かれ福井は越前の中心都市から転落してしまう。
政府としては国際交易都市・敦賀を中心とした県を作りあげる予定であったのであろう。
反対に旧態勢力が残る福井なぞ寂れてしまっても良かったのかもしれない。
当然この仕打ちに旧藩士達は猛烈に憤り、県庁を福井に置くよう要求する。
旧越前国の枠の中であれば、政治都市としての歴史の長い「福井」に県庁が戻ってくる、
と旧藩士達は信じていたのであろう。

だが、よほど旧福井藩士達が疎ましかったのか、
政府は最後のトドメと言うべき施策を打ち出してくる。

敦賀県の解体。
嶺南地方は滋賀県、そして嶺北地方は石川県に吸収されてしまう。
石川県には加賀百万石の中心都市であった「金沢」があり、
福井が政治中心都市になる事はあり得ない

旧藩士達にとって、これは死刑宣告にも等しい絶望的な事態であった・・・。

ちょっと長くなったので一旦、歴史の話はここまで。
長々、明治維新直後の福井を語ってしまったが、「春日野道」と言う道を語る上で、外せないファクターなのですよ。

取り合えず、隧道の話に戻すがご覧通り坑口前はモーレツな藪に阻まれバイクはおろか徒歩でさえに内部に近づくのは困難である。
もう、この時点で全身蜘蛛の巣だらけになって、かなりゲンナリしていた自分は内部侵入を断念。
秋頃、もう一度再訪する事を決め撤退する事にした。
通り抜け出来なかったので、当然藪漕ぎコース。

この時、相当数の蜘蛛達がセローさんにエクソダスしたようで、数日間何処かしらに新しい蜘蛛の巣が出来ているという事態に至った・・・

秋編へ続く

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