このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





大峠

全国各地にあるありふれた、それ程個性がある名前とも言えない峠。
しかし、その中でも最も有名な、少なくとも道路愛好家の中で知らぬ物はいない
国道121号線の「バイパスではない方」の大峠である。

今なお現役国道。


ただし、廃国道だ。






左記の地図は大正末期の米沢市南部を記した地図だ。
下のほうは点線は言うまでもなく福島との県境である。
この地図には二つの道が県境を越えている。

右側の「檜原峠」と記された道は古来から使われていた旧米沢街道だ。
しかし、ながらこの地図が出来た時にはすでに街道としての機能は殆ど停止していたと思われる。
明治21年7月、福島側の麓にあった宿場「桧原村」が会津磐梯山の大噴火によってできた堰止湖に街道もろとも沈んでしまったのだ。(これが現在の桧原湖)

さてもう一方の県境を越える道。
これこそ後にR121となる大峠越えの「八谷新道」である(会津側では米沢街道)。
しかし、こちらには峠名は記載されていない。

この大峠も決して歴史の浅い峠道では無い。
あの奥州の名将「伊達政宗」が開削した道なのだ。

しかし、残念ながら華やかさとは全くかけ離れた、どちらかと言うと日影の歴史を歩んできた道。

もっと言えば・・・、呪われた道だ。


この様々な怨念がこもった巨大なる峠道を7人の猛者たちと、挑む
















ご使用上の注意!

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本レポは同行のMR氏の画像を幾つかお借りしています。

快く画像使用を許可して頂き、MR氏にはこの場において改めて御礼致します


「廃道祭り」ご参加の方々
掲示板に福島の猛者が集うオフ&オブサイト「 DTM 」管理人にて、今回メンバーの隊長。
万世大路に次いで2回目の合同アタックとなった。
今回もよろしくお願いします。

前回のアタックと同車種「TT-R Raid」に見せかけ、実は「無印 TT-R」にチェンジ。
それをハンドメイドでRaid化カスタムしてたり。

ちなみに現在、ダブルヘッドライト装備で「TT-R BAJA」と化している。
この企画の立案者。
全てはこの方がDTM掲示板にて「大峠、逝き行きましょう!」と書き込んだ事より始まる。
MR氏と同じく、万世より1年以来の合同アタック。
地元が会津と言う事もあり、本企画においてのシェルパ(マシンはDTだけど)

実はこの企画とは別に、熊五郎氏と「秋に大峠へ逝きましょう」と話をしていたのだが、良いタイミングでこの企画に被ったと言う裏話がある。

福島の青い巨星。
MR氏・熊五郎氏に「師匠!」と呼ばれるオフの匠。
事実、このアタックでそのテクニックを目の当たりにする事となる。

何故かMR氏と合同アタックするとヤマハ車ばかり集まってしまう中、少数派のホンダ車TL125を駆る黒jim氏。
2輪だけでなく4輪でも万世へ逝っているツワモノ
デニムベストが素敵なワイルドスタイルで廃道へ挑むsin氏。
ガチのトライアル車投入で廃道攻略には最も向いた車種であったのだが・・・
最近はオフ車である事を忘れ去られつつあるTW。
しかし、かっちりオフスピリッツはそのゴンブトタイヤに残されていた事を思い知らされる。

また、それを駆るモトラ氏の熱い姿を廃れ果てた旧道にて目する事となる
このサイトの管理人。
自称「転倒皇帝」。

果たして何回、コケるのか?
そして小岩井コーヒーは何処へ行ってしまったのか?
お仕事の関係で直接参加出来なかったが、お見送りで来て頂いた。

今回、自分にとってネ申であり、イムのような方。
スタート前のサポートだけでなく、ご本人の知らぬところで大いに助けられる事になる。



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