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国道121号線
大峠
(八谷新道/米沢街道)

山形県米沢市〜福島県喜多方市
平成20年11月2日 来訪



『宴が俺を呼んでいる。』


2時間の残業を終え退勤した時、この一言が脳天に貫く。

足早に家路へと着き、我が家に戻るとそこには旅仕度されたナップサック。
さっと着替えて数分後には再び家を出て、相棒セローさんにドカンと荷物を搭載。

目指す地は千葉から北へ400km先。
闇夜の東北道を駆けて行く。



道の駅『田沢』。
今回の「宴」の集合地点。

集合時間より少々早く着いてしまった自分は10分ほど鼻水垂らしていたが
しばらくしてやってきた紅白氏のジムニーに拾われ暖を取らせていただく。
漢のマシン・ジムニーは決して居住性に優れた車では無いのだが、
この時はレクサスにもBMWにもベンツにも引けを取らないスーパーサルーンにも思えた。
ああ、ヌクイ・・・。

その後、SJ30氏が乗ったハイエースがやってくる。
中には幾多もの工具、そしてSJ30の愛車・TT250。
なんか、このマシンから凄まじいオーラを感じるぜ・・・。

SJ30氏よりコーヒーを振舞っていただき、
それを有難く飲ませて頂いていると、2台のバイクを積んだ軽トラが。
もしやと思っていると、やはり今回参加者であるkimi氏・黒jim氏・sin氏・モトラ氏の4名であった。
軽トラに載せられた4氏のマシンもなんか「気合の入った」マシンに感じられ、
既にロートル気味のセローさんでやって来た自分に少々気後れを感じてしまう。

更にしばらくして快音を響かせ熊五郎氏登場。
熊五郎氏のDT200は既に約10年前のマシンでありながら
いまだ最新マシンに劣るどころかそれ以上のポテンシャルを感じさせる。
それもこれも冬季のオフシーズンにはパーツ一つ一つバラして、
丁寧にメンテをしているからである。
うーむ、見習わなければ。

参加者8人の内、自分を含め7人そろった。
最後に現れるは我らが隊長、MR氏。
峠の向こうから爆音響かせレイド・・・に見せかけたTT-R250ニコイチスペシャル(w)
ハンドメイド『零度号』がやってくる。

役者はそろった。
目指すは『独眼流』が切り開き『鬼』が貫いた「大いなる峠」へ!



道の駅を出てR121を北へ。

R121は栃木県益子町から山形県米沢市、凡そ300km近い距離を持つ長い国道だ。
東北の主要街道であるR4は比較的穏やかな地形を通って福島(中通り地方)へ向かうのに対し、R121は山間の険しい道程を越えて会津地方へと入る。
しかし、山形・会津方面から関東へ抜けるのには最短ルートであり、前述のR4に比べると通行量や信号も少ないので高速代ケチりたい時に結構役に立つ。(ただし鬼怒川温泉〜今市間は大渋滞に嵌る事もある)
万世大路へ行った時なんかの帰り道なんかもこのルートを通ってたりする。












旧道との分岐地点。
ついにやって来た。
前述の通り、この道は既に何度も通り過ぎているのだが、そのたびに気になっていた旧道区間。
ついに今日、挑む事になる。











現道下を潜る
此処より先、現道と旧道は20km程先の西田窪の交差点まで交わる事は無い。
この交差点は既に喜多方市街地の外縁とも言える所で、完全に麓まで下り切った所まで行かないと合流出来ないのである。

峠自体、現・旧道では5km以上離れており、峠道を終えて最初に入る自治体が旧道が喜多方市へ入るのに対し、現道は旧・熱塩加納村(現在はこちらも喜多方市)。
現道と旧道は殆ど別の道と言って良いほど離れたコースを走っている。

ちなみに現道のルートとなっている熱塩加納にはかつて日中線という鉄道が喜多方から伸びていたが、本来は県境を越え米沢へと繋がる予定であった。
路盤工事は日中ダムの所まで出来ていたと言われるが、丁度現道「大峠道路」も日中ダムの横を通っていく。
もしかしたら、「大峠道路」はこの鉄道路線計画を参考、もしくは下敷きにして建設されたのかも知れない。









現道から離れてしばらくして おにぎり発見。
今や殆ど一般には忘れ去られつつある旧道区間であるが、間違いなく今も此処が現役国道である事を伝える。

ただし背後には通行止の看板があるが。











先ほどまでバイパス区間から打って変わって、旧道は1〜1,5車線の酷道規格。
まあ、明治の馬車道規格の道をムリヤリ車道化しているわけだから致し方ないとも言える。
しかし、この道を実質的に開削させたのはあの「三島通庸」。
明治時代としては破格の高規格山岳道路「万世大路」を計画した同じ人物が携わっているとは思えないショボさである。
それだけ大峠の道程が険しかったのか?
それとも別の背景があったからであろうか?















もう一つおにぎり。
以前は谷側にもおにぎりがあったそうだが、どうもへし折れて谷底へ落ちてしまったらしい。
ちなみに、現在山形側にはもう一つおにぎりが存在している

















山すそに沿って曲がりくねりながら標高を上げていく。
それと共に辺りの木々が少しずつ緑色から黄色や赤の秋らしい色へ変化をしてきた。



















広く幅員を取ったカーブ。
山形・福島県道2号線(旧・西吾妻スカイバレー)が開通するまでは唯一の車道で、路線バスも通っていた事もあり大型車の切り替えしや離合の為にこのようにしたのであろう。
大峠道路が出来、一般的に通りぬけ不可となった旧道には無用の長物と化した大型カーブをMR氏のTT-Rが颯爽と駆けて行く。





道は紅葉の世界へ。
厳しい冬を前に山は黄金の輝きを見せる
一年前の万世大路の秋雨の紅葉も悪くは無かったが
やはり陽光浴びて輝く紅葉が一番良い。





幾つかのカーブを抜けていくと道横に巨大な石碑が現れた
『明治百年造林記念』のと刻まれる。
後の杉林が明治百年(1968年・昭和43年)を記念して植樹されたものなのだろうか?

ともあれ、今のこの道は国道としてよりも人工林管理の為の「林道」として細々として使われるのみ。
そして、この後まもなく人間の管理から離れたありのままの自然が襲い掛かる事となる。















全面通行止めの看板。
そして簡易なゲート。

ついにその場所へと来たようだ。














山形県が設置した最終防衛ライン。
丁度、橋の手前で例えバイクであろうと車両といえるものは全て通さぬと言う強い意思が感じられる。

そして、この防衛線を越えた先、完全に不通となった国道は・・・






ガチの廃道。

さあ、宴の始まりだ。


続く

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