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諏訪市四賀桑原−茅野市永明寺山周辺林道
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2006年5月 XR100モタードにて
④霧ヶ峰隧道④林道中沢線と高山線の分岐点


林道①からスタート。過去の航空写真では現在の県道が無く、林道中沢線を通って鉄平石の出荷を行っていたものと思われる。途中で分岐するが廃道となっている。本線は小川を渡ったところで終点。▼林道②は丸太橋を渡る事になる、落ちても50cm、小川なのでチャレンジ!勇気を出して渡ると直後で終点。▼林道④(林道中沢線)は、しばらくゴルフ場の脇を走り、上り坂に変わるところで分岐している。最初は完全に見落としていたが、右手に廃トンネルがあるのだ。坑口周辺の構造から、林道中沢線をショートカットする目的で作られたようだ。坑口には柵があり、懐中電灯で照らしても閉塞しているようには見えない。トンネルの詳細は後述する。この先中沢線は高度を上げ、下りに転じた辺りで左に分岐しているのが林道高山線。すぐに砂質の崖がある広場へ出て終点。この先は(この時点では)廃道。▼中沢線に戻り森の中を快適に下っていくと右手に再び分岐。林道下横河川線である。トンネルの南側坑口を斜面に求めながら下ってきたが、見える範囲には無かった。この分岐は怪しい。果たして分路を進むと側溝を備えた道に変わり、トンネル坑口が現れた。その名も「霧ヶ峰隧道」銘板によると昭和27年施工、長野県発注の工事のようだ。建設会社の銘板もあり、ネットで調べたら何件もヒットしたが最寄りは山梨の会社だった。元は素堀りで後から再整備した様子。内部は崩壊しているが、再奥部は未探索。反対側の光は見えない。坑口脇に道が付いており、を登ってみると先程の北側坑口が直下に見えた。切り通しにしないのが不思議な短さ。中沢線に戻り下っていくと、やがて住宅地に出る。▼桑原城址を回り込んで県道424へ。しばらく登るとカーブで右へ分岐する道が見える。これがの道。仮設風の橋を越え少し登ると広場に出る。元々は砂防ダム建設道路のようだ。正面は数年前の天然ガスパイプライン埋設工事跡。右手のこれまた仮設風の橋を渡ると左右に分岐する。右は藪道で砂防ダムが終点。左はアスファルトだが、倒木が多く自然に還りつつある。上流の砂防ダムまで続いているようだが、歩いて通るのがやっと。シーズンには山菜採りで人が入る事が多く、踏み跡が多い。▼最後にへ。この道は産業遺産的趣がある。土の道を進むと左手に崖が見える。崖の直下は沼地。かつての鉄平石鉱山のようで、終点には大量の石が残されている。崖にはクライミングの練習でもしたのか、ロープが残されていた。蜂の巣があるので注意。
霧ヶ峰隧道 携帯カメラのため画像が粗いです



謎のエリア
▼地図右側に「吉田山美サイクルパーク」とあるエリア。30年前の航空写真では、何かを建設中だ。明るい緑色はシート様で、二つずつある事からグリーンに間違いないだろう。または最終処分場?現在の同地点はただの森となっている。南側のよりアプローチ。道路入口に、近づかないと読めない立入禁止の看板があり、怪しい雰囲気。幅の広い舗装路がこの先にある大規模な施設を予感させる。途中から林道規格のダートに変わり、登り切ると広場へ出る。「吉田山美サイクルパーク予定地 立入禁止」との看板。先には平らな荒れ地が見える。見通しが良すぎて、こっそり入る雰囲気ではないので今回はここで引き返す。ずっと「よしだ、さんび、サイクルパーク」だと思っていたが「よしだやま(さん)、ビサイクルパーク」らしい。サイクルの響きからゴミ関連を想像し、パークからは動物実験施設を連想した(○○リサーチパークという実験施設が以前近くにあった)。の入口にも同じ看板があるが、車両のみ通行を禁止しているようだ。川に沿って登ると、砂防ダムの先で倒木により行き止まり。▼続いての永明寺山周辺へ。"?"マークの道は地形図では周回コースになっているが、途中で人の気配があったので引き返した。過去の航空写真では、前出の旧建設現場付近まで続いているはずだが・・。別の時間帯に再訪することにして今回は帰路につく。
「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」

左のモノクロ写真が2000年、右のカラー写真が1975年 年代が逆ならば納得できる様相の変化
ここまでゴルフ場らしき物を建設し、なぜ森に戻したのか・・・。写真中央左に見える広場は、どちらの写真でも確認できる。

以下、再訪後作成

2007年5月
神戸山林道
▼ずっと気掛かりだった、地図中央右の吉田山周辺(ゴルフ場跡)を別ルートでアプローチ。国道20号線と並行する旧道の諏訪市四賀神戸から山の中へ。畑を抜けた先から神戸山線が始まる。日当たりが良く気持ちの良いダート。程なくループ部に入る分岐点となる。ここを左折、不安箇所も無く等高線に沿って少しずつ高度を上げていく。ループ部の先端を直進して盲腸線へ。ここまでで約7kmあるが、随所に公民館を起点とする距離・地名標識(いずれも手書き)があり、地元の方の愛着が感じられる。また、御柱を切り出し、後年のために植林をした旨の看板も見掛けた。▼唯一の路上障害。松の倒木に引きずられるように倒れた桜があった。倒れ掛けても花を付けている。花を踏まぬように跨いで通過。この先で唐突に終点となり、眼下には灰色の道が見える。丁度諏訪と茅野の市境に当たる。



吉田山(ゴルフ場建設跡地)
▼神戸山林道は踏み跡となり、諏訪市へ戻るようなルートとなる。あくまで市境は侵さない。下の道とは高低差があるが、別の踏み跡が斜面を下っている。歩いて下ると、灰色に見えた道は側溝付の綺麗な砂利道だった。横断して藪の中を見ると建物の基礎がある。それ以外は雑草・花・各種樹木のみ。ゴルフ場を作ろうとした痕跡は全く見あたらない。また斜面を登りバイクへ戻る。下の砂利道には降りられるが、果たして戻れるだろうか。バイクに跨ってみると、先程よりも急斜面に見える。意を決してズルズルと下り、無事に砂利道へ出た。
▼左方向へ走ると同じような景色が続き、やがて広場へ出た。現役の公園だったら、家族連れがピクニックに来るような草原。2000年の空中写真左端に移っている地点か。道を直進するとビニールテープで閉鎖。藪道となる。広場へ入る道を選ぶと、一周して元に戻ってきた。他に道がないので戻る事に。砂利道は2車線道路になる予定であったのか幅広だ。ひたすら下り続けると、昨年謎のエリアと思った出入口に到着。だだっ広いので、昨年は入るのに躊躇した場所も、退出する分にはただの砂利道だった。看板には、かつてゴルフ場を作ろうとした組織か、「蓼科カントリー倶楽部」の名があった。


中沢線・下横河川線・高山線 再訪

▼茸山なのでシーズン中は立入禁止となる。しかし通行まで禁止するのは合法なのか。南側から入ると下横河川線の分岐点には工事中の看板があった。少し入った所災害復旧工事中。中沢線に戻り北上すると、ブルーシート掛けられた崩壊現場となる。他にも1箇所崩壊していたが、工事の手は付けられていない。程なく峠を越え霧ヶ峰隧道の北側、中沢線側の坑口前に到着。バイクを置いて斜面をよじ登り、下横河川線側坑口へと降りる。坑口付近はコンクリートでその奥は地山が露出、再びコンクリート、露出、と不思議な構造。延長は50m程だろうか、北寄りで土砂により閉塞している。早々に退散。
▼トンネル直上には山の神の祠があり、両坑口を結ぶしっかりした踏み跡がある。内部へ崩れた分量の窪みがあっても良さそうだが、それらしきものは見つからない。踏み跡を辿って戻ると、坑口脇へ出られた。



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