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霧ヶ峰高原南西部
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2005年11月 XR100モタード
2006年5月 XR100モタード
2006年8月 XR230にて

標高1500〜2000mの霧ヶ峰高原が諏訪湖に向かって落ち込む南西部。江戸時代から牧草の採集地として人が入り、無数の小径が走っていた。昭和に入るとスキー場(現在の池のくるみ・踊場湿原付近)が作られ、上諏訪駅からバスと徒歩で人が訪れるようになる。その道の多くは新たな観光道路に役目を譲り、また遊歩道に姿を変えて行ったが、急斜面を最短距離で登る林道に当時の面影を見る事が出来る。

▼上諏訪駅付近から県道を霧ヶ峰へ登ると、しばらく住宅地が続く。住宅が途切れ、少し登ると道の正面に清掃センターの入口が現れる。林道④はここからスタートする。清掃センターの脇を抜ける舗装路が続くが、やがてダートとなり高度を上げてゆく。2つのV字カーブを抜けると、蓼の海へ通じる市道を渡り、再びダートになる。▼対岸の県道を忙しく車が行き交うが、こちらの道は対照的な静けさ。幾つかの水源地を抜けると温水地へ出る。下流域の稲作用に、太陽光で水温を上げるための池だ。上部は産廃処分場となっており、水道水源や池との位置関係に矛盾を感じる。汚染物質が漏れたら、ダイレクトに水道行きだ。▼舗装路に変わり、処分場を半周して県道の大曲バス停へ出る。

▼県道を諏訪市街へ戻ると、科の木バス停で左手に分岐するダート(林道①)が見える。かつてバスがスキー客を運んだ道だ。やや荒れた道だが、やがて落ち着き、開けた分岐点へ出る。左折すると県道の賽の河原バス停へ出る(林道②)。分岐右手には堀込水源と書かれた柵があり、中に井戸が見える。2006年7月の豪雨で、斜面上部の水路から崩壊し、分岐点ごと水源施設を押し流してしまった。▼右手へ進むと直線が続き、巨大な清水橋水源が現れる。諏訪地域は古くから工業化が進み、地下水汚染と地盤沈下から慢性的な水源不足にある。それを示すように、石造りからコンクリート製まで、時代ごとに様々な井戸が掘られ水道水を確保している。▼バスが通ったのもこの辺り迄で、一気に高度を上げる。登り切った分岐左が池のくるみ(踊場湿原)へ至る道(林道③)。入口は藪が深いが、少し入ってしまえば踏み跡のある現役道路。以前は車も通れる霧ヶ峰への最短コースだったが、現在は徒歩かバイクのみ。途中、コンクリート橋の上に倒木があるが通行可能。本来の道幅は4m以上あるが、藪が深いところでは中央を走らないと道から落ちるので注意。踊場湿原の公衆トイレ脇で市道へ出る。かつては湿原脇を通って霧ヶ峰高原各地へ続いていたようだが、現在は遊歩道になっており進入不可。遊歩道を2kmほど歩くと、荒野に古いトラックが捨てられている。▼林道①へ戻り本線へ進む。少々荒れた道は少しずつ高度を上げて行き、防火帯との交差点に出る。防火帯は尾根の頂点に沿っているので、徒歩かトライアル車以外で辿る事は無理。交差点から先は道が細くなり、やがて市道へ出る。右は市街、左は霧ヶ峰。

▼林道⑤は、鉄平石の採掘用道路であったと思われる。採石場跡は現在も私有地となっている。
▼林道⑥は、林道①の延長として作られたようだ。全線舗装路で別荘地の中を抜けて登山道に接続している。本来の入口はゲートが出来てしまい、迷路のような別荘地を経由しないと入れない。
▼林道⑦は、2005年末に開削工事が始まり、2006年8月現在路盤は完成している。踊場湿原がら流れ出る川で終点のようだ。

2006年7月 豪雨災害の一例
 
林道①の堀込水源上部 斜面上の水路を残し崩壊同左 以前はゲートがあった

堀込水源 かろうじて井戸本体は残っている(左端のブルーシート)

清水橋水源 施設は無事


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