このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
私が国鉄スタンプの収集を始めたのは、昭和45年の暮れでした。駅の改札口そばに真新しいスタンプ台が置かれているのに気がついたのです。大阪万博が終了して、(銀河)に使われていた、進駐軍のにおいがするマロネ40が引退した頃です。 国鉄が万博終了後の集客策として、ディスカバージャパンキャンペーンを始めました。明けて昭和46年の1月28日の読売新聞朝刊に、国鉄はディスカバージャパンの一面広告を掲載しました。(おそらく朝日、毎日紙にも同じような広告が掲載されたと推測されます。)その中に「ディスカバージャパンのスタンプを国鉄主要駅に設置。スタンプノートを駅の売店で発売」という記事が私の目にとまりました。 忘れもしない2月6日の土曜日、半ドンで学校が終わったあと、最寄りの駅に行き、鉄道弘済会の売店に下がっていた、黄緑の表紙のスタンプノートを買ったのです。一冊200円でした。そのまま改札のそばに置いてある専用のスタンプ台にいき、記念すべき一駅目のスタンプがノートに押されました。このころ、日立カラーテレビ(ポンパ号)が運転が話題を呼びました。ちなみにポンパとはポンとスイッチを引っ張ると、パッとつくカラーテレビのことです。当時はテレビに画像が映るまで時間がかかりましたから、ポンパの宣伝コピーはとても新鮮でした。 それから、昭和56年にスタンプ収集熱がさめるまで、収集に励んだのでした。正に、スタンプを集めるための鉄道旅行に精を出しました。近隣の駅のスタンプは、休日父にせがんでクルマを出してもらい、せっせと押し続けました。こうして我が家の書棚には、10年間20冊のスタンプノートが並びました。一冊のノートに、およそ60駅分のスタンプが押せますから、延べ1200駅分のスタンプを押したことになります。 初巻からはもう30年以上の年月が過ぎて、ノートの色あせもひどく、ページがはずれかけています。死蔵するにはあまりにもったいない気がしましたので、ここで自己流ではありますが、国鉄記念スタンプの変遷のアルバムを披露し、興味のある方に見ていただこうと考えました。 まずは、初代からのスタンプノートの表紙の変遷をお目にかけます。表紙は初代DJノートから、いい日旅立ちのノートまでそのデザインの違いにより、五つのタイプがあります。それぞれ初代、二代目、三代目と区別しながら見ていくことにします。 | |
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▲初代のノート。スタンプノートの初版本です。 発行は昭和46年1月。買った当時はタイトルのロゴが銀色に きらきら輝いていましたが、今は色あせていくばかりです。 この角度でないと退色したロゴが写りませでした。 その色あせが気になって、いつの日だったか、マジックで タイトルをなぞったようです。そのため、よけい見苦しくなりました。 ノートの前半分は、クイズやキップの節約術などの、読み物ページが ありました。 そのためスタンプは47個分しか押せません。 | ▲初代のノートです。ただしこちらはお世話になっております、 「健ちゃんコレクション」の管理人である健ちゃんからいただいた貴重なコレクションのひとつです。 私が所有している左のノートに比べて、表紙の銀色の輝きが全然違います。昭和46年発行当時のままといっても過言ではありません。一目見たとたん懐かしさでいっぱいになりました。 今回健ちゃんのご厚意で私のページに紹介させていただけることになりました。 もっとご覧になりたい方は 「健ちゃんコレクション」のタイムカプセルのページにどうぞ。 |
▲健ちゃん提供のスタンプノートの1ページ目です。 右には「旅の記念にスタンプを」とあってここを読んだだけで、早く旅に出てたくさんのスタンプを押したい気持ちになりました。 その下には「国鉄では全国約1400の駅に記念スタンプを用意した」とあります。 昭和46年新春のことでした。 | ▲二代目のノート。初版が出て、数ヶ月で改訂されました。 DJのロゴが二段になり、表紙のデザインもすっきりしました。 中身も読み物のページが削除され、その分捺印ページが増やされ 実用本位になりました。62個分のスタンプが押せます。 この分量はこののち、いい日旅立ちのノートまで変わりません。 表紙の色もバリエーションが出て、暖色系、寒色系数種類から 選べるようになりました。 発行は昭和46年1月です。 |
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▲DJの字体が変わり、「美しい日本と私」という サブテーマが入るようになった三代目のノート。 DJの文字がマイナーチェンジされ、「美しい日本と私」 というサブテーマがつくようになりました。発行は昭和49年9月からです。 DJ実施からおよそ3年経過してのロゴのマイナーチェンジです。 個人的には今見ても初代のDJのロゴが一番インパクトがあります。 | ▲四代目のノート。ディスカバージャパンのキャンペーンは 約6年で幕となり、昭和52年2月から新たに 「一枚のキップから」のキャンペーンがスタートしました。 「一枚のキップから」はその意味、デザインともに簡単明瞭な ものとなり、子どもから年寄りまで広く受け入れられました。 発行は昭和52年7月からでした。 |
▲五代目のノート。「一枚のキップから」の時代は短く、 2年足らずで山口百恵のメロディにのせた「いい日旅立ち」に バトンタッチします。サブテーマとして、小さく 「ディスカバージャパン2」と書かれ、DJの文字が 復活しました。 | ▲ノートは全部で20冊所有しています。最後に購入したノートは、 昭和55年発行の物です。こののち、1ページに2駅分押せる 縦長の大型ノートも登場したようですが、そのころには収集の興味が なくなったため、大型ノートは所有していません。 どなたかおもちの方がいらっしゃいましたら、画像をお送りくださいませ。 |
▲続いてゆうぽんさま所有の平成のスタンプノートです。発行は平成10年10月1日とあります。改訂30版発行とありますから、スタンプノートがいかに超ベストセラーだったのかがわかります。サイズは元の1ページ1駅分に戻ったようです。平成の世になっても、「わたしの旅」キャンペーンが続けられていたのですね。定価は初代の1冊200円が500円に跳ね上がっていて、ちょっと高い。 | |
▲昭和56年から始まった「わたしの旅」のスタンプノートです。スタンプが1ページに上下2駅分押せるようになりました。このノートは、昭和59年8月20日に秋田駅で購入したものです。お世話になっている「 RailFreaks 」の淺のさまが提供してくださいました貴重なお宝です。「国鉄監修」の文字が誇らしげです。 |
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