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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
05年4月
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64. 4/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ まだ気分が晴れない
63. 4/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 黙祷
62. 4/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 明るい太陽の日差しの下
61. 4/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 駅は拍子抜けかな
60. 4/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ピーナツっていいなぁ
59. 4/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 一段落とし
58. 4/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ お客さん、終点です
57. 4/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 私のマイシート
56. 4/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ もう50年
55. 4/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ドアから手を離してお待ちください
54. 4/7 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 非常通報
53. 4/5 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ お酒は気分よく
52. 4/2 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 今日はお仕事
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ まだ気分が晴れない
4/29
連休である。世間は大型連休で、天気も良く、景気にも良さそうである。
人が動くと言うことは、経済活動に必要なわけで、そのためにはいい連休であると思う。
ではあるが、世間の人は根気あの尼崎の列車事故をどう見ているのだろう?
マスコミは一部無責任な評論家や技術家も含めいろいろなことを行っている。
遠方、たとえば東京の一般人なんかにはどんなふうに写っているのだろう?
案外、通勤客が一番冷静なのかもしれない。
事故の当日も、翌日も、その後も、先頭車が空いているわけでない。
新快速は空いているわけではない(阪急に流れたようには見えない)。
わだらんにしても、もちろん野洲ではJR西以外の選択肢はないのだが、
かといってJR西にのるのはもういやだ、とまでは思えない。
ダイヤが厳しい、これは事実そうだろう。
でも、少々の遅れで噛みつく乗客がいるのも確か。
一方、列車速度の向上や増発で乗客が増えたのも確か。
もし新快速が国鉄時代のままの京都−大阪無停車29分、昼のみなら、
今のように利用されているかどうか。
脱線事故の原因究明には時間がかかるだろう。
ただ、この事故の教訓が目に見える形で何か残ることを願いたい。
土佐くろしお鉄道の宿毛駅事故や、小事故多発のJR北海道のように、
さらには昨日はベテランバス運転手の高速バス横転事故などや
あるいは日本航空グループのように、人為的ミスによる事故が多発している。
かつて、戦中戦後は事故が当たり前のように起こっていた。
その事故を教訓として、いろいろな安全対策がとられて、事故率はうんと下がった。
にもかかわらず、最近何となく事故が増えている気がする。
(統計数字では持っていないので、あくまでわだらんの感覚なのだが)
どうしたものだろう....
二度と尊い命が鉄道事故で奪われませんように。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 黙祷
4/25
自分が乗っていたわけではない。
周囲の知人が巻き込まれたわけではない。
自分が近所に住んでいたわけでもない。
もちろん西日本旅客鉄道株式会社の社員でも株主でもない。
ただ、とにかく心が痛む。
11時過ぎにNHKテレビを見た。
自慢(不謹慎)でもなにもないのだが、
その時点で1両目が横転して2両目の下にいることはすぐにわかった。
編成前部が比較的混むであろうから、1・2両目があの状態なら
50名程度の死者が出てもおかしくない、とにかく大変な事故である、
とは周囲に話した。
結果、なんともつらい結果ながら、予想(また不謹慎だが)が当たってしまった。
事故原因どうのこうを言うことは避けよう。
ただ、事故に遭われた方、またそのご遺族の心が少しでも安らぎますように。
合掌。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 明るい太陽の日差しの下
4/24
いい天気になった。雲一つない、明るい青空である。
わだらんの自宅そばからも比良の山並みがきれいに見える。のどかな休日である。
で、買ったばかりのデジカメを持って、自分のHPに使う車両の写真を撮りにでた。
でたまではよかったが、光線を全く気にしていなかったので、
野洲では下回りが隠れてしまい、これでは写真にならない、とあきらめ。
膳所まで出向いてみたものの、やはり中線一本分ないときれいに車両が収まらない。
次回午前中に出直し。
ところで、日が高く、日中日差しが強くなると、
一般的に窓のブラインドを閉める人が増える。
わだらん的には、ブラインドなどないに越したことはないのだが、
実際にはそんなわけには行かない。
かつて、223系2000が新車ででたとき、光線吸収ガラスなので、
という理由でブラインドを省略した(もちろんコスト面もあったのだろう)。
ところが一般客から非難囂々で、結局取り付けることになった。
やはりクロスシートでは、ブラインドは必須であろう。
地図を見てもらうとわかるが、
基本的に北東−南西方向に走っている琵琶湖線のなかで、
膳所−石山は北西−南東方向に線路がひかれている。
つまり、午前中の下りなら、石山までは進行左側に日が射し込んでいるが、
石山をでたとたん、今度は右側の窓に日が入る。
もっとも、右側の日は大津になればもう入ってくることはないのだが、
休日や日中の一般客にとっては、そこまで知っていることもなく、
一斉にブラインドが降りる。
つまり、右も左もブラインドが閉まった状態になってしまう。
これでは楽しみ半減、である。
朝の電車はおもしろい。みんな寝ているのか、面倒なのか、
石山を過ぎても右側のブラインドはあまり降りてこない。
かくいうわだらんも通常707Mでは右側窓に座っている。
膳所?いつも寝ているから、朝日が入ろうが関係ないなぁ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 駅は拍子抜けかな
4/22
花火を見に行った。
中学、高校と毎年岐阜市長良川で花火大会を見ていたためか、花火大会は大好きである。
といっても、最近は花火大会より花火大会観客輸送の方に興味を持っていたりする。
そういえば、花火の日は、長良北町まで行かずに伊奈波通折り返しのピストン輸送で、
普段市内線に入らない車の応援もあったりして、それをよく眺めていたので、
そのころからやっぱり観客輸送を見るのが好きだったんだな。
今回の大津の花火、警備対策費が予算少ないので15分で終わるらしい。
予算の少ないことと、打ち上げ所要時間の関係がいまいち理解できないのだが、
まぁとにかく15分で3000発は見物である。
で、812T(大阪18:25)で大津まで。大津なら新快速と差がないので、着席しやすい快速利用。
大津に着くと、まぁいろいろと関係者が並んで案内誘導をしている。
といっても8月8日の比でもなく、まぁ静かなものだ。
花火はなぎさ公園で見た。よかった。見やすい場所で楽しかった。
帰りもさすがに湖岸周辺は人であふれているものの、坂を上がって進む途中で
どんどんと人が減っていき、駅に着くと、大騒ぎではない雰囲気。
(もちろん普段の平日よりははるかに人が多いのだが)
8月8日は方向別に改札・通路を分けるのだが、今日はそこまでしていない。
ホームに3522Mが入ってきた。大阪20:00の新快速で、よく混む列車である。
車内はまったくいつもの雰囲気。花火といっても浴衣姿がいるわけでないし。
花火がよかっただけにいつもの光景にギャップを感じてしまうな。
上り新快速は草津をでると、補助椅子ロックを解除して使用できるようになる。
慣れた人間は、車掌の案内前にロックのはずれる音を聞いただけで椅子を引き出す。
あのロック解除の音、結構響くので、数回経験するとすぐわかるようになる。
相変わらず混んでいる3522M、でも補助椅子解除で立ち客が減って
少し車内の見通しがきいてきた。守山野洲と人が降り、野洲をでると
編成中央部以外は立ち客がいなくなった。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ピーナツっていいなぁ
4/20
19日はちょっと立ち寄るところがあって、JR大阪駅に戻ってきたのは22:35だった。
22:40の3542Mにも間に合ったのだが、ここまで遅くなってはのんびりしようと思い、
23:00の3544Mで帰ることにした。12両のまったりした列車である。
この時間になると、帰宅ラッシュ対策での12両ではなく、
むしろ翌朝に備えた送り込みの12両といった雰囲気である。
直前の846Tも12両、編成後部はもう立ち客もほとんどなく、静かな雰囲気。
3544Mが入ってきた。例によって最後尾にならぶわだらんは楽勝で座席を確保。
で、3544Mを待つ間、9-10番ホームにあるKIOSKで、缶酎ハイとピーナツを買った。
ピーナツは100円だった。知らなかったが結構安い。
待ち時間が10分あり、結局列車を待つ間に缶酎ハイはとっくに終わってしまった。
ピーナツはぼちぼち食べていたら、結構長持ちする。
で、列車に乗ったものの、すでに食べ終わったピーナツの腹持ちがよく、
まるで晩飯を食ったかのような満腹感である。
確かに、通勤客のみなさんのつまみにはピーナツが断然多いのだが、
これならなるほど、と思う。
京都で座席の1/4程度が埋まる程度まで降車し、車内はがらんとなった。
前の座席を倒して、4席独占で、のんびり。
と、おもったところなのだが、ご婦人が東山トンネル内で前の方からやってきて、
どうやら私の前の列に座りたいご様子。
で、もう一度椅子を戻して、通常の状態に戻したが、
結局そのご婦人は野洲までご同行で、4席独占は夢となった。
空いている車内なのだが、中途半端で、欲求不満。
野洲着23:56、定時着。
その横を「飛脚」マークの貨物列車が130km/h
(正確には野洲上りに115km制限があるので115km未満なのだが)で
派出所(車庫)へ引き上げていく223系の横を駆け抜けていく。
早いなぁ...
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 一段落とし
4/18
今日ははじめて19:15の3510Mの先頭車に乗ってみた。
まぁ、正確には後ろに行く時間がなく、先頭車に飛び乗った、という形である。
車内は新大阪の出発時点で立ち客50人程度、
やはりいつも乗る最後尾より混んでいる。
幸いにも、わだらんが目を付けた通勤客は高槻で降り、
無事座ることができたものの、高槻を出てほぼ全員着席状態の最後尾とは違う。
それでも京都を過ぎると下車客ばかりとなり、草津を出るとまったり。
野洲に着くと運転士に通告券が出ていた。
このまま引き上げせずに新快速網干行きになるようだ。
わだらんは大して気にせず、急ぎ自宅へ戻り、
マンションの最上階通路から花火を見ていた。
(今週は世界花火などというイベントなのだが、だれも知らない)
花火を見ながら電車も見える、絶好のロケーションなのだが、
ふと下りを走ってきた新快速が野洲で停車時間が長いのに気がついた。
そうか、3527Mが遅れてきていたので、3527Mを野洲から3529Mで落として、
3527Mは急遽3510Mの折り返しを当てたわけだ。なるほど。
などと思っている間に、大型花火がばたばた、と上がって、
今日の打ち上げは終わってしまった。
金曜日は大津の打ち上げを見に行こうかな。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ お客さん、終点です
4/17
午後、梅田に出て、ついにデジカメを買った。大して高いものではない。
ただ、自分のサイトで写真のあった方がやはり華やかだろうと思ったもので。
これからふらりと出かけたときの記録なども公開していこうと思う。
で、なんだかんだ旭屋で鉄道雑誌を読んでいたり、
知人とばったりあって立ち話をしていたりして、思ったより時間が過ぎ
結局大阪22:40の野洲行きの新快速で帰ることにした。
改札内ハートインでビールとちょっとした弁当を買って、のんびり帰ることにした。
確かに22:35にホームに上がった時点で最後尾の先頭に並んだものの、
入ってきた電車の車内は思ったより人がいて、もちろん窓際座席は確保できたものの
こんな時に隣に長身のお姉さんが座ったりですぐに弁当を広げられる雰囲気ではなかった。
もうがらがらに近いかな、と期待していたので予想を外されてしまった。
結婚式帰りとか、どこかの行楽帰りのような雰囲気が多く、
これなら平日夜の12両列車の最後尾の方がよっぽど空いていたかな、と思う。
それでもさすがに高槻でまとまった降車があり、隣りもいなくなった。
ビールを飲み、弁当を広げてのんびり。
新快速の車内で弁当を食うことなんて平日夜ではできないからなぁ...
京都を過ぎると車内は空いていく一方。
いつのまにか寝ていたわだらんは野洲2番線への分岐の揺れで目を覚ます。
野洲で降りると、車内には寝入った人たちが1両に2名はいる。
昔は駅員が車内点検をしていたが、今は子会社のメンテック社員が
軽い清掃をしながら忘れ物点検と寝ているお客を起こしていく。
もう冷える季節ではないので問題にはならないが、
雪の降る夜などは追い出すほうも結構かわいそうな役回りであると思う。
幸いにもわだらんは野洲で起こしてもらえれば自宅に無事に帰ることができる。
精算機に並ぶみなさま、お疲れさまです。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 私のマイシート
4/14
朝5:48の707M、ほとんど毎日同じメンバーが自分の席を持っていて、
車庫からの電車が到着し、車掌が乗り込みドアが開くと、
自然におのおのがいつもの席に座る。誰が決めたわけでもなく、
誰かと相談したわけではないが、これが不思議と重ならないようになっている。
とはいえ、この707M、草津ではるかに接続するし、
新大阪7:00の下りのぞみにものれるので、
出張や旅行者の姿も少なくない。
火曜日だったか、いわゆる一見さんが707Mの6号車に乗ってきた。
で、ある常連の席に座ってしまった。
そのシートの主がおもむろに現れたものの、既に席が埋まっているので、
通路を隔てた反対側に座った。
ところが、その一見さん、ここが最後尾だと気づいたのか
(707Mは野洲2番線発の6両編成で、階段を下りると6号車最後尾という珍しい乗車位置である)
野洲出発直前に荷物を持ってそそくさと前の車両へ移動した。
そこで、いつもの常連さん、やっぱり自分の席へと移動する。
なぜかわからないが、やはりいつも同じ、というのが落ち着くのだろう。
とはいえ、自分の席が持てるのはせいぜい栗東まで。
草津でほぼ席の埋まるこの電車、そのころわだらんは夢のなかである。
春眠、暁を覚えず。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ もう50年
4/12
宇曽川橋梁と稲枝駅の間の架線柱が新しくなっていた。
よく考えると、来年2006年の11月で東海道線(湖東線区間)電化開業50年である。
野洲のあたりの架線柱もいつ新しくなってもおかしくない、と思う。
米原京都の電化開業前試運転に地元の小学6年生が招待され、試乗を楽しんだそうだ。
野洲でもその対象者がいたとは思われるのだが、具体的な記載は見つからない。
とはいえ、当時の6年生といっても、今ならすでに引退され年金生活者である。
月日のたつのは早いものだ、と思う。
今の少年たちが223系新快速を見て「かっこいい」と思うかどうかはわからないが、
湖東線電化開業時の80系電車は文字通り「花形」電車だったのだろうと思う。
とはいっても、当時のダイヤではとても野洲−大阪を通勤できるようなものでなかったし、
野洲から大阪へ通勤する人間もいなかっただろう。
わだらんがまだ学生の頃は、彦根や長浜出身の京都・大阪下宿生が
たくさんいたと記憶している。いまはほとんどいないだろう。
野洲で座った早朝の新快速、大阪までまわりのメンバー一緒なんてことは当たり前である。
距離感は以前よりずっと短いのだろう。早い新快速は心理的にもありがたい。
蒸気機関車が客車列車を牽いていた時代、京都−大津は20分かかっていた。
そでが電化で半分になったので、当時の人はおそらく大いに驚いたと思う。
いまはそれが当たり前になっていて、それでももっと早く、とか思ったりする。
慣れとは恐ろしいものだ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ドアから手を離してお待ちください
4/10
18切符の最終日。ムーンライトえちごが確保できたので、
4/9野洲→岐阜→美濃太田→多治見→松本→長野→直江津→新潟
→(翌4/10)→新宿→高尾→東京→国府津→御殿場→沼津→豊橋→野洲
と回ってきた。えちごは満席でなく、隣りが空いていたので、横になって熟睡していた。
妙高高原や塚山ではホームにまだ雪が残っていて驚いた。
木曽路や御殿場線、そしてなにより豊橋以西で世話になるのがJR東海313系。
この2両編成、私の好きな車である。こざっぱりとしたかわいい姿でよく走る。
あえて言うと、前面展望がちょっとよくないが、それでも十分楽しめる。
JR東海の車内アナウンスを聞いていて気になるのが、
・「扉から手を離してお待ちください」(それぞれの駅到着前に、まもなく〜です、に続いて)
・「担当は運転士○○、車掌は△△です」(始発駅をでて)
これは西では聞く言葉ではない。
名鉄でも乗務員名を言うようになっていたので、ひょっとすると中部地区の統一文言なのかな?
ドアの件は、おなじみの「駆け込み乗車はおやめください」の他に言っているが、他社では聞かない。
昔三島駅で高校生の腕を挟んだまま新幹線列車が走り出し、その客が死亡する事故があった。
それもあって、ドアにはずいぶん神経を使っているな、と思う。
御殿場線山北の桜は本当にきれいだった。
新大阪東側や、摂津富田・高槻の工場敷地内のさくらもきっときれいなのだろう。
今日は早く寝て、明日は朝桜を見ながら通勤を楽しむとしようかな。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 非常通報
4/7
今日は仕事の進みが思いのほかよく、大阪17:45の3498Mに間に合った。
といっても編成後ろまで歩く時間の余裕もなく、先頭の扉に滑り込む。
もともとこの3498M,という新快速、よく混んでいる。大阪でなかなか座れない。
というか、大阪までもかなり乗っていて、大阪を越える客が空いた席に座ってしまうので
先頭に並んでいてもなかなか座れないのである。
ところが、この列車、京都ではとにかくよく降りる。
先頭車(8号車)の前位、20席のうち15席くらいは降りる。
ので、京都まで立てば、必ず座れる列車なのでもある。
なので、いつもこの列車に乗るときは西大路まで助手席側に立ち、前を見て、
西大路を過ぎると通路座席横へ移動し、空席を狙うのが習慣になっている。
この季節になると、京都まで明るく、外を見るのが容易になって、
かつ京都までに桜が美しいところが点在するので、楽しいひとときである。
で、調子よく走っていた3498M、長岡京を過ぎて第三閉塞のあたりで非常停車。
といっても防護無線でなく、車内の非常ボタンが押されたようだ。
今日は運転台に添乗ウテシがいて、さっそく車内へ。
結果、急病人であったが、京都まではいけるとのことで運転開始。
大事にならずにすんでよかった。
指令さんは後続列車との連絡中で多忙中。はやく運転再開連絡をしたいのだが。
やがて5分ほどで無事運転再開。
湖西線2862Mは新快速を待たずに京都発車、山科接続となったが、
他に大きな混乱もなく、まずはめでたし。
で、わだらんは急病人よりも自分の座席確保が優先で、
結局京都で何があったか、外を見ていないのでわからない。
でも停車時間が大きく延びなかったので、大事ではなかったようだ。
ただ、今回は急病人が8号車で運転席から近く、しかも添乗がいて
スムーズに運んだものの、もし編成中間だったら、こうはいかなかったかも。
ずいぶんと春らしくなった。摂津富田や高槻駅ちかくの桜の木にも花が付いて
いかにも日本の春だ、と主張してくれている。
桜の花はいいな、心が和んで。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ お酒は気分よく
4/5
土曜の夜、野洲駅へ行くと、ホームに宴会帰りと思われる男女10名ほどのグループがいて、
その中で、OLらしきすてきなお姉さんたちが歌っていました。
(元うた、静かな湖畔の森の陰から...)
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おまえのおやじに金を貸している
返済期限が過ぎている
返せ返せ返せ返せ返せ
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輪唱していました。 彼女らに聞こえないようにおもわず大笑いしました。
きっと楽しいお酒だったのでしょう。まわりの男たちもにこやかに笑っていました。
すべてのお酒が気持ちよく明るければきっとよかろうが、
飲み過ぎて気分を害し、線路に転落するなどとはどうしようもない。
で、助けにでた人まで巻き込まれてはいたまれない。
金曜日の上り最終の新快速が長岡京で事故になった。
転落した人と救助に下りた人、2名が帰らぬ人になってしまった。
この電車、比較的まったりした静かな電車で、
わだらんもたまに利用するわりと好きな列車なのだが、
せっかく気分よく、うとうとしていたお客にすればさぞ迷惑な話であろう。
しかし、故意でなく事故になってしまっては、なんとも残念な話である。
なかなか人身事故が減らない。
ダイヤの乱れも迷惑な話だが、人の命が失われるのは残念でならない。
明日は平穏な一日になりますように。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 今日はお仕事
4/2
期末だというのにとっとと切り上げて帰ったので、土曜日出勤。
朝は3201Mでおでまし。この電車、最近まで大阪止まりで、
比較的まったりしていたのだが、10月に網干まで延長されてから、
よく乗っている電車になった。(先頭よりはかなり空いているが)
あとの列車から移ってきた、と見ることもできるが、
新設列車がそこそこ乗っているのはいいことだと思う。
帰宅は3292M(大阪18:45)である。8両だし、春休みで
はなから座れるわけがない、と思っていたが、案の定座れない。
それでも1号車は思ったほどの混雑でなく、扉付近にばらばら、という感じ。
携帯で話していた男性、
「新快速に乗ったので、新大阪で乗り換える。茨木に着いたらもう一度電話する」と。
平日のラッシュ、通勤客ならこんな乗り方はしない。
新快速のすぐあとの普通電車で座っていくよな。
休日夕方はどうしても電車(特に新快速は)が混む。
幸いにも私が立った位置のアベック(夫婦かな?)が高槻で下車。
三ノ宮−大阪と大阪−高槻の昼特切符を持っている。
やはり直通のほうが乗り換え必要な阪急より楽なのだろう。
で、高槻で座席確保。
目が覚めたら守山だった。
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