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06年 3月

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204. 3/31 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  春の雪

203. 3/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  飲んだ後の麺類はおいしいよね

202. 3/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  さぁ春休み

201. 3/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  葬式遊園地?

200. 3/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  毎日がドラマ、か。

199. 3/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  試行錯誤?試用期間?

198. 3/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  居心地よいのはどの列車?

197. 3/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  低速列車

196. 3/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  機関車交換

195. 3/16 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  偶然ながら、助かった

194. 3/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  野洲に縁もゆかりも

193. 3/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  季節は冬に逆戻り

192. 3/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  やっぱり葬式鉄

191. .3/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  携帯時刻表は出るらしいが

190. 3/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  相生乗換は姫路そばを奪う

189. 3/5  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  夫婦や家族連れも多かった

188. 3/3  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  東海道昼快速

187. 3/2  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ぴかぴか新車におねえさん

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  春の雪

 

3/31

天気予報の通り寒くなった。

夜中に降った雪がそのまま朝まで溶けずに残り、あたりはうっすら雪化粧。

とはいえ、さすがにもう春間近。水分の多いゆるんだ雪で、踏めばすぐに溶けるようなものである。

502M「きたぐに」も雪を積んできたわけではなく、定刻に下りてきた。

707Mはうっすらと屋根に雪を積んで、大阪へ向けて定刻の出発である。

 

日がずいぶん長くなった。

いつの間にか日の出の時刻は6時前になり、707Mの発車時刻はもうすっかり明るくなっている。

もちろん朝日が当たるほど明るいわけではないが、周囲の様子は充分わかる。

ゆとりダイヤはそれなりに効いているようで、小さな乱れは少なくなった。

それでもやはり自然には勝てず、昨日も湖西線は風にいじめられた。

安定輸送にはなかなか届かず、これからも特に冬は大変そうである。

 

冬と春の間を行き来しながら季節は着実に進んでいく。

すっかり明るくなった7時前の新大阪への到着時、東淀川駅北側の桜の並木が心持ち赤めに見えるようになってきた。

そろそろ花見、だな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  飲んだ後の麺類はおいしいよね

 

3/29

今週に入って毎日野洲駅で叩いてもらった結果、4度目にしてやっと3/31の下りML九州の座席が確保できた。

4/1の上りML九州は空いているのがわかっていたので、晴れて同時に指定席を入手。

この春の18切符は「出雲」乗車のための東京行きと出雲市からの帰り、そして金曜−日曜の九州行き、と5回分を使うことになった。

いまだに松浦鉄道に乗ったことがないので行ってみようかな、でも時間的に間に合うのだろうか?まだ時刻表をよく見ていない。

 

しかし相も変わらず悪い話が多い。

桃花台線もいよいよ9月廃止のようだし、今日は西鉄宮地岳線の末端区間廃止の話も入ってきた。

最近は乗り換え案内ソフトで利用する交通機関の区間ごとに排出される二酸化炭素量も案内されるそうだが、地球環境を守るのと、地元の足を守るのとはまた違うようだ。

環境だけでは地方路線の維持はできない、悲しいが現実である。

とはいえ、宮地岳線も香椎と貝塚の間しか乗ったことがないなぁ、とML九州の指定席券をみながらちょっと悩んでみたりする。

よく考えると、残念なことにML九州で往復すると、わだらんの好物、下関のふく天うどんにはありつけないのだ。

昔は早朝到着の夜行が大量にあったから、おそらく早い時間から営業していたのだろうが、わざわざML九州のために開けてくれ、とも言えないし。

他にも九州方面は折尾のかしわめしとか、博多駅の肉うどんとか、そして鳥栖のかしわうどんなど、わだらんの好物が目白押し。

西九州へ行くのも帰りに鳥栖でうどんを食いたい、とかが本音かな。

宮地岳線では、鳥栖でうどんが食べられないなぁ...

 

何となく年度末である。遅い新快速は顔を赤らめた勤め帰り客が多い。

今日は23時の3544M。12両編成で着席は楽々。1号車の最後尾席に一人で陣取り、まったり帰宅。

結構、わざと立っている人間も多い。寝過ごし防止なのだろう。

高槻で大量に下車すると車内は本当に静かになった。

わだらんもすっかり熟睡し、目が覚めると草津だった。

さすがに草津も守山も降車客は少なく、車内の人間はほとんど野洲まで、そして向かいのホームで米原行きを待つ。

確かにこれなら野洲で一回目が覚めるわけで、八幡や安土方面の人には便利な列車なのかもしれない。

そんなわけで、寒い中、ホームで待っている篠原以遠客多数。

期間限定、時間限定で野洲上りホームでうどん屋をやってみても面白いかな?

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  さぁ春休み

 

3/27

いよいよ春休みになった。子供たちが電車に乗っておでかけ。

わだらんにもそんな目を輝かせていた時代があったなぁ、と懐かしむ。

 

が、いまのわだらんにとって、学校が休みなる、というのはやっかいである。

もちろん18族が出るのがやっかいな理由の一つだが、18族は新快速の編成前部に集中するので、編成後部ならさして問題はない。

ところが、大阪を21時以降、22時くらいまでの電車には強敵が現れる。

そう、とある安治川口の先にある某テーマパーク帰りである。

もちろん、大阪の活性化や、JRの利用促進のために、そのテーマパークに入場者がわんさか押し寄せること自体は

実にいいことだ、と思ってはいるが、帰路、同じ時間の電車に乗り合わせるのは勘弁だ。

何せ荷物が多いし、複数、というか小団体である。

正座席20の223系扉間に5人や6人の団体が入ると、とたんに着席可能率が下がる。

おまけにヘビーユーザーの通勤客ならたいがい行動パターンが読め、着席者がそろそろ降りそうだ、

とかこいつは座らないとかわかるのだが、子供を中心とした行楽客は全く読めない。

 

そんなこともあって、大阪21:15の3532Mは最後尾ながら高槻を過ぎても全く空かない。

ましてや草津を過ぎても立ち客がいる。

こんなに混んでいる3532Mも久しぶりだ。

確かに着席はしにくい列車ではあるが、京都を過ぎれば落ちつくのに。

 

それでもわだらんは幸いにも京都で着席。

まわりに子供が多く、どうも勝手が違って、結局寝そびれてしまった。

まいったなぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  葬式遊園地?

 

3/25

いつの間にか、葬式鉄なることばが定着してしまった。

確かに廃止直前になって騒ぐのなら、もっと前から乗ってやれよ、と自分も葬式鉄の癖してそう思う。

のと鉄道穴水以東の廃止で出かけた際に、地元のおばあちゃんの「こんなに混んでいる汽車には初めて乗ったわ」と

いう言葉を聞き、思わず納得したことを思い出す。

 

そんなわけで、神戸に行って来た。人工島の某遊園地が閉園になる、というので葬式遊園地、である。

結構な人出で、乗り物には列もでき、これだけ入るなら閉園せずとも、とまるで廃止になる鉄道のように思ってしまう。

ただ、7〜8年前に行ったときには、まだ海が見えていたのだが、

今回行ってみると遊園地の先はすっかり陸地になって、スーパーだのホームセンターだのできて、すっかり世俗に囲まれている。

夜になると遊園地遊具の電照に加えて、スーパーの看板も目に入ってしまう。

ちょっとがっかりである。

国土交通省の航空写真、S54のもの

http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/79/ckk-79-1/c14c/ckk-79-1_c14c_5.jpg

には、まだ建設中の某遊園地やポートライナーの車庫が写っている。

確かに、遊園地の先は海だった、のだ。

人工島完成記念で、神戸ポートピア博なるものもあったなぁ...

 

そんなわけで久しぶりにポートライナーに乗った。

1980年川重製の車は開業当時と変わらず、模様替えもしていない。

座席の青モケットに、どことなく113系2000を思い起こさせる。

本線ではぼろの代名詞、でも当時は新車だったし、ぴかぴかだった。

なんとなく、やたら昔を懐かしむわだらんであった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  毎日がドラマ、か。

 

3/24

相も変わらず毎日毎日話題が多い。

今日は朝の守山でのバイク突っ込み事件から始まって、東淀川での立ち入りだのといろいろあったようで。

夜のスーパーはくと12は新大阪で20分遅れの表示。なんでだろう?

平和な日々はどこへ行ってしまったのだろうか?

 

今朝はちょっと寝坊で707Mを取り逃がし、709Mに。

通常1番線発なのだが、今日は2番発に変更になっていた。

駅へ向かう途中、1番の出発反応が点灯中。なにかあるのかな、と思いながら改札をつけると、下り貨物が威勢良く走っていった。

あとから見ると、夕べ島田で輸送障害があったらしい。

709Mは快調に走って、大阪駅へ。

もちろん熟睡のわだらんであるが、709M利用のおかげで、その後のダイヤの混乱にも影響なく、まずは平和なスタートであった。

 

しかし、いろいろと話題のネタに事欠かない本線スジ。

そんなわけで大阪駅にあがると目指す19:45の3520Mは7分遅れ。

もとより今日は運用調査は朝の一件であきらめており、8連短縮になった3520Mの様子を見ようと思ったのだが、

これではそれすらあてにならない。

19:53の824Tは12連、3分遅れで走っている様子、ならばもうT電で。

やってきた824Tは221系の6+6。編成前後とも運番448表示で、これとてあてにならない。

まぁ、車内が空いているのが救いである。

2号車後方、扉前の固定座席窓側に陣取り、ゆったりまったり。

先行の1220Cは定発、よって824Tは千里丘で徐行することもなく、快調に飛ばしていく。

その快調さに結局熟睡モードに陥ってしまい、気がつくと京都停車中、大阪の3分遅れはすっかり定刻に戻っている。

もとより余裕のT電ダイヤ、今度の改正でますます余裕。

 

最初から遅れることを見込むのはどうかとも思うが、まぁ乗客から見れば定刻で走っている電車の方が

いいに決まっているわけで、余裕があることはいいこと、としておこう。

もっとも一部ではあまりに余裕がある、と叩かれているスジも存在するようだが。

そんなわけでまた落ち着いて寝てしまったわだらんは、栗東で目が覚める。

朝の現場である二町踏切を通ったのだが、何も事故の痕跡はなかった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  試行錯誤?試用期間?

 

3/23

22日帰宅は3526M。大阪20:30の米原行き、今回12両に伸びた列車。

今までは座りにくい列車だったのだが、12両でどうでるか、と観察。

先発の3524Mを見送って、先頭車1番前の最前部に待つことしばし、列車がやってきた。

18切符シーズン故、ながら接続の連中が多いか、と覚悟していたものの、大阪で居残る18族らしきものは目立たず、そのままあっさり着席。

ざっと見ると以前の3524Mの12号車よりは多いものの、それでも以前の8両8号車よりずいぶん空いている。

これなら1号車も高槻着席ができそうだ、と思う。

そのまま先頭12号車は扉付近に立ち客を乗せながら高槻に到着、立ち客がさらっと減った程度で京都へ、

乗客の入れ換えあって少し混むがまた石山草津と降りていき、草津を出るとすっかり静かになった。

以前の3524Mほどではないにしろ、さして深刻な車内状況でもなさそうでまずはちょっと安心。今度は1号車の様子を見なければ。

 

23日帰宅は遅くなって22:40の3542M。これは8両が12両に伸びたもの。

以前は大阪では座りにくく、高槻では座りやすくなる列車だったが、さすがに12両でこの時間だと最後尾は空いてくる。

列先頭だったこともあり、大阪であっさり着席。

車内は立ち客ぱらぱら、といった感じで静かに落ち着いている。

以前から少し飲んで帰るときには意識的に狙っていた列車であるが、これなら安心して使えそうだ。やはり12両編成は頼もしい。

で、京都で扉後ろの4人席を独り占めするとそのまま熟睡。

山科はすでに夢の中、野洲2番線への分岐の揺れで目が覚める。

きょうもよく寝た。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  居心地よいのはどの列車?

 

3/21

20日はダイヤ改正初の平日。まずは様子を見ようと、帰りは大阪18:00の3500Mで先頭かぶりつき。

もとより座れる列車ではなく、どうせ立ちなら前で運用調査を、と考えた。

しかしただでさえ混む3500M、多少806Mの廃止の影響があるのか、心持ちさらに混んだように見える。

 

ゆとりダイヤなどと、取り上げられ方はメディアによってさまざまだが、少なくともわだらんの関係する京都線・琵琶湖線の場合、

今回のダイヤ改正は大阪・京都の停車時間が延びた、という点が最大のポイントである。

130km運転に伴って京都の新快速発車時刻が0分からずれたものの、今回上下ともまた0分起点のきざみに戻った。

わかりやすく、覚えやすいのは確かだが、何となく残念、という気もする。

ただ、感覚的に間違いなく京都での客扱いには余裕ができたようで、たかが30秒や50秒延びただけでも、ずいぶんと違うなぁ、と思う。

 

しかし、今回の改正では、いままで座りやすく実に居心地のいい帰宅列車だった3520M、3522M、3524Mが12両から8両に減車になった。

その分一部の長浜行きが長くなったのではあるが、これがどうでるのか、何が座れて、どれが混むのか、

しばらくの間は運用調査をしながら試行錯誤の日々になりそうである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  低速列車

 

3/19

関西線中在家信号所が廃止になった。

聞いたところ、既に信号機の向きが変えられたそうである。

 

わだらんが小学校でまじめな児童だった時代、亀山・奈良には多数のD51がいて、構内で、沿線で、もうもうと煙を上げていた。

いまは高架工事の真っ最中の奈良駅も、かつて駅西側には構内が広がり、大きなラウンドハウスと転車台があった。

建物がいくつもできたいまではとても想像できない。

それらD51に牽かれ、押された貨物列車たちが交換待避に利用していたのが中在家信号所である。

昔は有人で上屋もあり、かつ引き上げは2線ある、姨捨とほぼ同規模の配線の立派なものであった。

いつしか上屋はなくなり、配線も単純化されたものの、JRになって一時期、1時間ごとにスイッチバックの信号所で列車交換するという、ヲタ的なダイヤも組まれた時期があった。

 

かつては貨物列車は遅い列車の代名詞であった。

列車自体の運転速度も遅く、かつ駅で長時間停車して編成を一部落としてさらに加えるという、今の人間にはなんとも面倒な作業を繰り返していたものだ。

荷主の要求に応えられず、合理化というお題目に蹴散らされていつの間にか遅い貨物列車はもう姿を見せなくなってしまった。

いまや130km/hで走る貨物電車の走る時代、関西線のかつての遺構は利用されることなく朽ち落ちていく。

寂しいが、それも現実である。

実際スリムにならないと、今の関西線非電化区間自体が存続の瀬戸際、なのかもしれない。

 

最終上り出雲を見る前に、最後の中在家利用列車である257Dに乗ってきた。

同業者はわだらん以外に1名。

柘植で対向した急行かすがのお祭り騒ぎに較べてなんとも静かな幕切れであった。

 

今住んでいる家から自転車2分、野洲には電留基地があり、多くの221/223系電車が休んでいる。

昭和41年の電留線新設工事の際、路盤固めにD511020が使われたそう(天王寺鉄道管理局50年史による)だ。

わだらんが何度も関西線で会った奈良の機関車である。

かつて毎日のように中在家を走っていたものなのだろう。

何か因縁というか、こんなところにつながりが、と思うと懐かしくもあり、不思議でもある。

 

夜も更けた。大阪から乗った840Tの編成後部は乗客もまばら。

大阪で2号車のボックスを独り占め、新大阪ですでに熟睡。

電車は12両、日曜日夜となればこんなもの。

野洲電留に引き上げていく223系の後ろ姿を見ながらふと幼い頃の石炭が燃える甘酸っぱいにおいを思い出していた。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  機関車交換

 

3/18

京都駅はかつて、現在の新幹線ホームのある場所に給炭所と転車台があって、京都で一旦仕事を終えた機関車たちが、

次の仕事までの間、しばし休んでいたそうだ。旅客用大型機が並ぶ様は、さぞ壮観だっただろう。

大阪や神戸が機関車交換に適していない配線であったことや、名門梅小路区があったためだろう、京都は機関車交換のメッカだった。

昭和31年に東海道線が全線電化になったあと、姫路電化までの間は、

西へ行く列車は京都で電気機関車から蒸気機関車へとリレーされたし、

参宮快速 のように、本線大型機から山田区のC57へと交換されたり、といろいろ楽しかったようだ。

そんなわけで、京都駅には今でも交換用機関車の待機場所となる側線がある。

日付の変わった18日の0時過ぎ、京都駅はただならぬ事態であった。

最終となる出雲を写真に収めようと、0番や2番ホームの東京よりはもう大騒ぎ。

途中のセレモニーにより5分遅れの出雲がやってくると、もう閃光ばしゃばしゃ。

幸いにも大きな騒ぎにもならず、罵声怒号もあまりなく、何よりであった。

 

写真が目的でないわだらんは4番ホームの端っこへ。

位置的にはちょっと遠くなるが、機関車の動きを見るにはいい場所。

幸いにも同業者は数人のみで、静かに列車を見守っている。

 

DD51が一旦引き上げ、1番線を西へと走っていく。

東引上からEF65が降りてきて、0番の客車編成に連結。

わずか2分程度の早業ではあるが、何度見ても楽しい作業である。

この後数時間後の下り出雲が出てしまうと、定期列車の機関車交換は京都駅から消えてしまう。

時代の流れ、とひとくくりにすればそれまでだが、やはり寂しい。

 

野洲ゆき最終854Mは5分遅れ。酔っぱらいの扱いに苦慮したのだろうか、京都でもずいぶん人が多い。

ちょっとしんみりとした雰囲気は吹っ飛んでしまった。

私の斜め向かいには背中を丸出しにした寝込んだおねえさん。

野洲に着いてもまだ熟睡。大丈夫かな?

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  偶然ながら、助かった

 

3/16

いつものように707Mのドアが開き、いつものようにまず席を確保する。

鞄をおいたら一旦車外へ出て、きたぐにの通過を見届けるのがいつものならわし。

ところが、15日にやってきたのは683系6連。「きたぐに」表示で走っていった。

3月中旬にして大雪、新潟からの列車が金沢までの間でかなり遅れたのだろう。

きたぐに利用の関西空港行き利用客は結構いるので、救済、と思われる。

ボックスの583系だと比較的埋まっているように見える自由席、683系だとやはり空いて見える。

非日常の光景だな。

 

そんなわけで、時間も合うし、今日はまったり822T♪とるんるんで駅へ。

ところが、ホームに上がると様子がおかしい。9番ホームは乗客がまばら。

12両、野洲までと比較的列の短い3520Mにしても、おかしい。

と思うそのときには既に822T接近放送。急いで編成後方へ向かわねば。

が、ホームに驚愕のアナウンス。「このあとの54分発米原行きは相当遅れます」。

須磨舞子間で強風による運転規制がかかったそうな。

なので、入ってきた822Tが運転規制前の最後の電車で、3520M以降は大幅遅れ。

なるほど、9番ホームにはほとんど乗客がいないわけだ。

ホームではしきりに「あとの新快速より野洲まで先着」とアナウンス。

 

19:40より気持ち遅れで発車した822T、わだらんは茨木で窓側を取り、しばし熟睡。

ただ、混んでいる。日常の822Tなら高槻を過ぎれば編成後部は乗客まばらなのに今日は多い。

新快速の遅れの理由だろうが、よく乗っている。

まったりできなければ、822Tではないのに。

とはいえ、今夜は822Tに間に合っていてよかった。

野洲に着いてみると、案の定ホームや改札前は人だかり。

次の上りはあと50分ほど間隔が開くらしい、とな。

みなさんお疲れさま。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  野洲に縁もゆかりも

 

3/14

大阪17:50の806Mが廃止になる。

この列車、ルーツを追いかけていくと、それなりに歴史がある。

かつて、1972年に新快速が日中京阪神間で15分おきになった頃、まだ新快速は日中しか運転がなかった。

16時を回ると新快速は大阪や京都の拠点駅で収束し、車庫へ戻る。

ただ、せっかくの車をラッシュ時に寝かせておくのももったいないわけで、大阪に着いた新快速2本を野洲に戻す列車があった。

それが現在の806Mにつながるわけで、当時は153系12両の運転。

まだ113系に冷房車が少なく、確実に冷房車、のあたりの列車だった。

ちなみに53年の運用表では、京都16:15、16:30(これは草津発)の2本の新快速が宮操で連結されて、大阪始発の926Mとなり野洲へ戻っている。

 

で、せっかくなので806Mに乗ろうと大阪駅へ向かう。

ホームに上がるとちょうど804Tが出たところで、列の先頭♪と。

ところが、「本日の50分発の野洲行きは大阪始発ではありません」と駅員がアナウンス。

まだ804Tが出て行くところで、姫列のウテシさんがわだらんのそばにいる。

聞いてみると、804Tはマルで、前の列車が遅れているそうな。

始発でない806Mなんて806Mでない、とあきらめ、新大阪までC電。

 

が、やはり806Mのスジで走る以上806Mだ、と再び806Mを待つ。

3498Mは適度に混雑し、立ち客満載で新大阪を出ていった。

そして日本海1号が入ってきた。「函館」の方向幕を撮ってみたが、暗くていまいち写りが悪い。

青函トンネル開通一番列車の名誉もあるが日本海の青森−函館間のお別れ乗車者はいるのだろうか?

 

やってきた806Mは436運用。800Tの段落としのようだ。

ということは本来の806M充当の444運用は大阪から800Tで出たのかな?

いつもよりずいぶん乗客の多い806Mであるが、茨木、高槻で空いていき、高槻で座ると結局いつものように京都まで寝てしまった。

せっかくの外線上り最後の221系乗車も夢の中。

まぁ、いつもの電車のいつもの姿で、それもいいか。

一般人にはごく当たり前の快速野洲行き。だれも何も思わないだろう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  季節は冬に逆戻り

 

3/13

天気予報が寒い朝になると告げていたところ、本当に寒い朝になった。しばらく暖かかったので、ちょっと厳しい。

いつものように707Mに乗るべく駅へ向かうが、先行の1079列車はコンテナの端面が白くなっていたし、502Mきたぐには足まわりが白化粧している。

草津で見た始発5321M折り返しの117系も屋根が白い。

とはいえ、まわりは薄明るくなっていて、季節が確実に進んでいることがわかる。

真冬では真っ暗で、117系の屋根の様子など判別できないのだ。

 

このところ3月というと、残念な話題が多いものの、それでも春はやってくる。

桜の花が大好きなわだらんはまた、通勤時に桜の柔らかいピンク色をめでることができる。

長距離通勤者の特権だ、と自分では納得している。

 

早朝の野洲駅でいよいよ18日改正の時刻表を配り始めた。

下り基準で全体に2分程度繰り上がった形で、いままで5,20,50分だった新快速は2,17,47となった。

今までより気持ち早く家を出ねばならないのだが、逆にその程度の余裕を常に持つようにしなければ、と思う。

朝早い時間の繰り上がりはなく助かった。

もとより707Mはゆとりダイヤだったのかな?

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  やっぱり葬式鉄

 

3/12

関西線232Dに乗ってきた。

かすがに乗るのではなく、わざわざ関西線のキハ120に乗るのは単なる趣味というか、変人扱いだろうが、

わだらんにとって中在家がなくなる、というのはかすががなくなるのと同等、いやそれ以上のような気がする。

今となっては一時間に一本しかない区間でわざわざスイッチバックの信号所を残しておく必要はないのだろうが、

往年の華やかな時代、貨物が上下待避した傍らをかすがが通り過ぎる、といった光景はもうはるか昔、いまの若い人間には通じないだろう。

無駄な設備を省いて、スリムな体質を作る、一般企業だけでなく、鉄道会社にもいまやそんな時代となったのだろう。

 

柘植ですれ違ったかすがは4両に伸び、しかもよく乗っている。

かたや232Dで中在家に興味を示すヲタは私以外にもう一人だけ。

232D車内は地元の方や、いかにも18族と思われる連中、そして某私鉄系百貨店の新入社員とおもわれるお姉さん方多数、よく乗っている。

新人のお姉さんたちは「バックしている」と大騒ぎ。

地元の人間は平然としている。

そしてわだらんは雨模様、ワイパーに視界を遮られて悪戦苦闘。

 

東海道線東京口113系、かすが、出雲と今年の3月も、葬式鉄の材料が目白押し。みんな思い入れがあり、やはり寂しい。

中在家の廃止ヲタが少ないのがちょっと残念だが、中在家の存在自体が薄れてきた今日このごろでは、やむを得ないか。

 

大阪17:50の野洲行き806Mも葬式鉄の対象のようだ。

前後の新快速が8両で座りにくく、大阪始発の806Mを愛用している列車がなくなるのは、かなり残念である。

来週からはまた座りやすい列車を捜す根性が必要だ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  携帯時刻表は出るらしいが

 

3/8

新聞記事によると3日の806Mが茨木でオーバーランをし、結局通過扱いになった、とのことだ。

806Mといえば、大阪17:50発の野洲行き快速で、大阪始発ゆえ、比較的座りやすく、

かつ18時発の実に座りにくい新快速と野洲着が大きく変わるわけでないので、わだらんもよく使う列車の一つである。

その記事によると、乗客約700名で茨木下車が100名、乗車が40名、とある。

もちろん目算による概算だろうから、おおざっぱな数字だろうが、221系6連で座席368席なので、

乗客の約半数が立っていて、かつ立ち客の半分から1/3程度が茨木で空く計算になる。

確かに実感でそんなくらいかな、と思う。

夕方上り、毎時50分発の大阪始発の快速のうち、柘植・今津ゆきが新快速に格上げされたのちも、車両の関係だろうか、806Mは快速のまま、である。

減便や運転区間短縮、さらには終電繰り上げといった、縮小傾向の話しか漏れ聞こえてこない今回のダイヤ改正、806Mに変化は何かあるのだろうか...

 

最近のダイヤ改正にはどうも華やかさが足りない、と思う。

新幹線も自社のカード保有者にのみ優しい改正に見えるし、目新しさもあまりないし。

そもそも外国人用パスが使えない新幹線、というのが気にくわない。

JRバス各社の改正のほうが何かわくわくするように思う。

しかし、新ダイヤの情報がない。改正まで既に10日だ、というのに未だに何も案内がないのはちと不親切か、と。

終電繰り上げなど本来もっとPRすべきなのだろうが....

 

で、きょうはその座りにくい3500M。

といってもはなから大阪で座るつもりはなく、先行220Cで新大阪に先回りし、新大阪から京都まで立って、京都で座る魂胆である。

で、実際京都まで運転台後ろに立ち、京都で座る。

座ってしまえば寝てしまうので、南草津で806Mを抜いているだろうことを全く知らない。

しかし、新快速の所要時間延長で、この関係はどうなるのだろう?

 

806Mの混み方で700人なら、3500Mはざっと1000人くらいの感覚だろうか?

盛況なことは何より。異常に混むのは勘弁だが、かといってがらがらではいろいろとまずかろう。やはり適度に乗っていなければ...

 

改正前の最後の土日がやってくる。出雲はいいとして、かすがをどうしよう?

あまり話題にもならず、かすががちょっとかわいそう。

大回りででも乗ってくるべきだろうが、どうも決心がつかないなぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  相生乗換は姫路そばを奪う

 

3/6

3528Mに乗ろうと大阪駅御堂筋口を上がったのが20:35。

比較的まだ列が短く、これなら最後尾1号車なら余裕、と見た。

となるとホーム移動中にある売店が関所である。

結局某その他の雑酒とピーナツを買ってしまう。おっさんである。

 

昨日は出雲に乗ってきた。

その帰りはひたすら18切符で電車の中。

米子までも、乗り換えて新見までも、出雲からの同業者が周囲にいたが、車内は静かで、ゆっくりと電車を楽しめた。

新見で乗り換えた115系は岡山のD編成、転換クロス車である。

これに当たると、やはり西だな、と思う。東京では絶対あたらない。

 

新見から総社まで、そして岡山から相生、そして野洲とずっと転クロに当たった。

やはりありがたい、と思う。

不思議なもので、姫路を過ぎると安心するのか、加古川まではうとうと、その後熟睡で、大阪はうろ覚え、京都は起きていない。

同じ転クロでも、やはり新快速に乗った、という感覚はよその電車と違うのだろうか?などと一人で思いめぐらせている。

確かに一日の1/12は転クロと共にしているわけで、いわば自分の居間みたいなものか。まぁ落ち着けるわな。

もっとも夕べの場合は岡山でロング缶とポテトチップスを調達し、

東岡山で開けたビールが瀬戸で終わる一人小宴会をしていたのでその酔いが回ったのかもしれないが。

 

今夜の3528Mの1号車はいつものように高槻でざっと降りて、立ち客がいなくなり、車内はぐっと落ち着く。

その他の雑酒とピーナツを開けまた一人小宴会。

夕べ姫路から寝過ぎたのか、せっかく大阪駅から座っているのに、今日はあまり眠たくならない。ぼーっと外を眺める。

雨は上がって、静かな夜。

ひょっとすると明日また霧になるかな?

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  夫婦や家族連れも多かった

 

3/5

出雲に乗ってきた。よく寝た。大磯では既に寝ている。

目が覚めたら倉吉。もう日は高く、8時をすっかり回っている。

そんなわけで、餘部の鉄橋通過は熟睡中。もったいないなぁ。

とはいえ、せっかく寝台料金を払っているのだから、熟睡できてよかったとしよう。

 

が、実は大磯あたりから倉吉までずっと熟睡していたわけでなく、突然大きなポイント通過音で目が覚めた。

聞き覚えのある音、と寝台上段で考えていて鞄の中の携帯電話を捜す。

が、見つかるのにちょっと手間取り、ごそごそ。あった、3:27!?

そうか、聞き覚えのある音は草津構内だったのか、とあわてて上段から降りる。

ちょうど瀬田川橋梁を通過中。深夜の石山はひっそりとしている。

17番(わざと17番指定、ここは向かい合わせ4ベットでない)の下段はなぜか空いている。

しばらくうたた寝、京都手前で起きる。

鴨川を渡り下り外側から2番へといつもは通ることのない分岐を進み京都駅へと入る。

すると突然視界に寝台列車が。上り富士はやぶさだった。

すれ違いなんだな、と今頃知る。

3レ出雲は定刻に京都到着し、しばし停車。ホームに降りてみる。

向かい3番には321系が朝に備えて留置中。

機関車交換中の先頭部分では人だかり。

行ってみたかったが、さすがに浴衣ではまずい、とホームに降りただけ。

ひんやりとした空気は落ち着いた静かな雰囲気。

 

やがて出発。静かに列車は動き出す。

向かいの30番乗り場にはカメラの放列。

みんな早朝から(深夜から?)お疲れさま。

丹波口シーサスの揺れを感じながら、再びベッドに上がる。

 

鳥取県のご機嫌伺いで、出雲の廃止と引き替えに上郡でサンライズと接続するいなばを走らすとのこと。

しかし、早朝乗り換えを強要される列車でメリットはあるのだろうか?

どうも本来の列車というサービスの目的からずれているような...

 

しかし、今時夜行列車というのもはやらないのだろうな。

米子や松江など、ずいぶん安いホテルがあるし。

一般人にはやはり寝台車であっても決して楽ではない乗り物なのだろう。

なにか夜行列車を一般大衆に戻す方法はないのだろうか?

とぶつぶつ独り言を言いながら、満席のオシを横目に考える。

はやぶさ富士のロビーカーもなくなったし、フリースペースは贅沢なのだろう。

何か、わだらんのあこがれであった寝台車の時代は遠く去ってしまったのか。

でもとにかくきょうの出雲はよく乗っている。

これだけ毎日乗っていれば....まぁ東日本は寝台車だの客車列車だのといやがるだろうが。

 

などと思うわだらんが見たものは昨夜出雲出発前の東京駅八重洲南口。

JR四国バスの2階建てバスが続けて4台。

何か悲しい。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  東海道昼快速

3/3

 

寝返りの打てるファーストクラス、というプレミアムシートつきドリーム号、なるものが登場するそうである。

大阪−東京9910円が安いのか高いのか、判断は人それぞれ違うだろうが、選択肢が増えることは悪いことではなかろう。

とはいえ、条件付ながら最低2100円から9910円、という幅もすごいものだ。

もちろん、ドリーム号以外にも私鉄系高速バスや新幹線、飛行機に銀河と、東海道の移動の方法はいくらでも捜すことができる。

それだけ流動が多い、ということなのだろう。

もちろん新幹線の輸送力がダントツなのは承知だが。

 

明晩は出雲に乗ってこようと思う。

その話はまた帰ってから書くとして、ますは朝、東海道をひたすら18切符で上っていく予定。

何度となく普通電車で東海道を行き来しているから、別に苦になるわけでなく、かといって特別楽しみがあるわけでなく、

静岡県内で113系なら昔を懐かしみ、211系なら前面展望を楽しもう、と思う。

もっとも起きていられるか、という障害が。

18切符でムーンライトながら利用なら4600円+500円。

もっともながらを18利用なら東京着後の運賃が不要、というメリットもある。

そういえば昨年の今頃は往路ながらで日立電鉄に乗りにいったな。

18二枚、ただ単に日立電鉄のみ往復の強行軍。

でも当日の移動にこだわらなければ、5000円の青春ドリームでもいいか。

 

そんなわけで、またながら接続の18族の季節になった。

夜の長浜行き新快速の先頭車にはそれらしい、と一目でわかる乗客多数。

いつもの通勤族にはちょっとやっかいな群衆である。着席しにくくなるのだから。

とはいえ、野洲止まりの3520Mには、ましてや編成後尾には、ながら族は無縁。

3日連続の3520Mで、まったり帰宅。

あす夜の東京駅は殺伐としているのだろうか?

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ぴかぴか新車におねえさん

3/2

 

7時過ぎに勤務先を出る日には822Tを狙って大阪駅に向かうのだが、いつもぎりぎりで間に合わず。

御堂筋口の階段を駆け上がるとちょうど出発。

そんなわけで234Cで新大阪へ先行し、3520Mの最後尾へ移動する。

3520M最後尾1号車は高槻で着席できる。きょうも最後尾1A席を確保。

高槻で座れば後は夢の中、窓側が取れれば途中で起こされることもない。

 

822Tは12両。T電で12両の列車は、高槻でぐっと空いてすっかり落ち着く。

編成後尾はほんとうにがらがら。これで通勤か、と何とも優雅な気持ちになる。

822Tに乗れれば4人席を独り占めしてごろごろできるのだが。

 

今日の3520Mは3分遅れ。

遅れ自体は大したものでなく、列車順序が変わるわけでなく、珍しいことでもない。

新大阪のホーム端でのんびり。

3520Mの後ろを走るスーパーくろしおがちょっと手持ちぶさたで開通待ち。

空をちょうど日本航空3007便、成田からの744が飛んでいく。

ウイングレッドを持つ国際線機体なのですぐ判別できる。

洋行帰りがたくさん乗っているのだろう。いわばはるかのライバルだな。

 

3分遅れの3520Mは茨木で先行の234Cを抜いていく。

今日の234Cは321系D16編成。まだぴかぴかの車。

でもわがままなもので、そろそろなくなる201系に乗りたい、とか思う。

今日の234Cレチさんは某区のおねえさん。

おねえさんレチのみなさんのなかでは珍しいとわだらんが個人的に思う、

ちょっと彫りの深く作りのはっきりしたおねえさんであった。

 

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