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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
07年 7月
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424. 7/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 機械慣れ、機械音痴
423. 7/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 一般人の視線、ヲタの視線
422. 7/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 電車の見える校舎、電車から見える校舎
421. 7/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 急を要する、救護を要する
420. 7/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 姿が見えないと寂しいね
419. 7/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 続・鉄道も被害者なのだろうが
418. 7/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 鉄道も被害者なのだろうが
417. 7/6 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 新幹線と国鉄電車
416. 7/2 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 車体傾斜
415. 7/1 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車順序
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 機械慣れ、機械音痴
7/30
29日は選挙の日。わだらんは地元の投票所の立会人の役が回ってきて、半日投票所でぼぉーと過ごす。
全体で1300人ほどの投票所で、結局前半にきたのは400人ほどであった。
わだらんの投票所は全体の投票率が50%強、全体で700人ほどだったので、前半の方が投票に訪れた人が多い、という結果になる。
7時間半で400人という数字、わだらん的になかなか面白いものであった。
つまり、一日の乗客数が500人から1000人程度、甲賀・近江高島や木ノ本あたりの駅の雰囲気となるわけだ。
適度に人がきて、でも来ないときはしばらく誰もいない、実際の駅利用者とは少々時間帯が違うだろうが、なんとなく乗客数と人の流れがよくわかる楽しい選挙立会人であった。
しかし、投票というのがこれほど人に理解されないものだ、とは今回まじまじと見せつけられたのだ。
選挙区と比例区、記載台二つに投票箱二つ、わかっていれば何でもないことなのだが、理解していない人にとってはなんのことだかわからないらしい。
選挙区と比例区の違いのわからない人、比例区の投票用紙の記載方法がわからない人、などなど。
あるいは目が見えず、選管委員に代理投票を依頼する人もやってきた。なるほどそういう障害を持たれた方の対応もいろいろあるものだ、とこれもまた勉強になった。
野洲駅の出札窓口は時間によっては結構並んでいる。
幸いにもわだらんはICOCA定期で、クレジットカードが使えるので定期券の購入は機械でできる。
そう、窓口で並ばない人用に大きな自動販売機があるわけだ。
とはいえ、選挙ですんなり流れない方、ほとんどがお年寄りだが、にとっては、機械で指定券を取ったり回数券を買ったりとはかなりの冒険であろうかと思う。
もちろん機械が使える人間にあっては機械があればそれで済むわけだが機械が使えない人のために有人窓口は絶対に必要なのだろうと思うし、
実際朝霧のようにみどりの窓口廃止が撤回された例もあるわけで、どんなに合理化が進んでも、機械が進歩しても、やはり有人窓口は残さなければいけない、と改めて思う。
選挙開票につき合ってテレビを見ていて寝坊した。
713Mの8号車は野洲で窓側がざっと埋まって、おおよそ40人の乗車。
つまり野洲出発時でおおよそ300人は乗っている計算になる。
野洲が日本の中では大きい駅であろうなどというつもりはないが一列車で永原や塩津あたりの乗客数を一度に運ぶさまを見ていると、野洲の駅も結構忙しいものだ、と思う。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 一般人の視線、ヲタの視線
7/26
25日は天神祭であった。
わだらんの記憶が正しければ、昔は大阪の花火は水都祭といって天神祭とは別物だったのだが、いつから今のようになったのだろう?
雑踏にもまれるのは好きでないので、17:45の3498Mに乗るべく大阪駅へ向かう。
既に浴衣姿の人間も多く、この先の混雑が目に浮かぶ。
ホームに上がると、意に反してまだ17:30の3496Mがいる。
これ幸いと先頭に飛び乗ると、また運転室背後は若い男どもが大きな荷物を持ってずらりと並んでいる。
そう世間は18切符の季節だ。
これなら、敦賀行きでなく、野洲行きの方がまだ楽か、と新大阪で次を待つつもりにした。
一見さんの多い18族は野洲行きにはほとんど乗らないのである。
ところが、これまた意に反して、大荷物の連中がぞろぞろ新大阪で降りてしまった。
おかげで扉付近は一気に人が減り、空間ができた。
これならこのままでいい、と3496M乗車続行である。
助手席側には男が一名、出張者か営業マンか、スーツ姿で乗っている。
新快速の先頭部分は人気である。
もちろん鉄ヲタもそうだが、一般人、特に若い女性には人気である。
前を見て「早い、早い」ときゃっきゃ喜ぶ。
見ている方は結構笑えるものだが、当事者たちはうれしくて仕方がないようだ。
まぁそんな一般人にも受ける、喜ばれる前面展望はいいものだ。
ところで、その出張者、最初は一般人かと思っていたが、吹田工場の横を通過する際はしっかり横を見ている。
なんだ、鉄ヲタかい。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 電車の見える校舎、電車から見える校舎
7/24
世間は夏休みである。朝早くに部活の試合なのだろうか、たくさんの中高生が乗ってくる。
707Mは草津線の一番電車を受けるのでなおさら多い。
草津線の場合、選択の幅が少ないという点でちょっとかわいそう。
昔は列車ダイヤに合わせて学校の登下校の時間が決まったり、あるいは学校の時間に合わせて列車ダイヤが決まったりしていた。
いまでも、例えば紀勢東線の多気以南のように、学校に合わせて列車スジが引かれている(たぶん)例もあるが、多くはそこまで考慮しなくなった。
というか全体には増発傾向であるからだ。
草津線も国鉄時代に較べればずいぶんと本数が増え、便利になった。
もちろん、それは過去との比較であって、現状が便利かどうかはまた別の次元だが。
直接聞いたり読んだりしたわけではないが、日本のサッカー代表であった井原正巳さんは水口の出身なので、
守山高校時代はたぶん草津線利用だったのだろうかと思う。
1967年生まれだそうで既に電車になっている時代、であるな。
草津線の電車を見ると、間違いなく学生の比率が琵琶湖線より高い。
通勤に車を使うのが当たり前の地域にあって、大人がなかなか利用しないということは必然的に特に高校生の比率が高くなるわけで、
これは草津線に限らず、地方線ならどこでも見られる光景だろうと思う。
今後高校生、いや若年人口が減っていく中で、地方鉄道は生きていくことができるだろうか?
いろいろないきさつがあったが、守山市立守山女子高校であった校舎が解体され、跡地にメモリアルパークができるそうである。
わだらんがたしかまだ中学生の時に電車から見えていたからかなりの古い建物であるはずだ。
守山女子高校は立命館守山高校となって、さらに歴史は続くことになるのだが、
見慣れた景色の建物がなくなるのはちょっと寂しい。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 急を要する、救護を要する
7/19
「きたぐに」が来ないのは寂しいな、と思っていたら、小寝坊した。
18日の朝のことだ。
とりあえず6:16の713Mに乗ろうと野洲駅へ向かう。
始発で座るのに問題はなく、いつもの707Mより若干遅いものの、まずまず便利で快適な電車である。
ところが、である。この日、守山に停車した後、動かない。
前を走る「銀河」で急病人が発生し、救護措置を取っている、と。
守山は絶対信号のない停留所なので、指令による抑止であろう。
が、思ったより時間がかかる。最後尾8号車に座っていたわだらんはふらふらホームに降りて、車掌室横で情報収集。
確かに「銀河」に急病人がいる様子は理解ができる。
ところが、停車しているのが栗東である。
なるほど、確かに「銀河」の姿が守山のホームからも確認できる。
急病人救護は緊急を要する、それはよくわかる。当たり前のことだ。
でも、なんで栗東なのだろう?なんで草津まで行かなかったのだろう?
乗務員はもう手一杯だろうから、本来指令が列車側と駅に「草津で急病人救護手配」と連絡すればすむ話、だと思うのだが。
草津なら駅員も多いし、まず「銀河」を3番に入れれば、後続の713Mも715Mも4番発着で何も遅れにはならないはずだ。
栗東のような棒線の委託駅に停めたところで、駅員は少ないし、後は塞ぐし、いいことなどほとんどない。
おまけに、そのあたりだと、救急車は栗東市小柿からやってくるので、(新幹線と1号線の交差付近なので、新幹線ユーザならぴんとくるかな?)
栗東でも草津でも救急車の到着時間は変わらないはずだ。
確かに救急対応の済生会病院は栗東の方が近いが。
結局「銀河」が栗東を出発し、713Mの抑止が解けたのは、6:36、16分遅れの守山発車になり、その遅れのまま大阪着になった。
草津以降は713Mが遅れても草津線からの5323Mがあり、大きな影響はなかったかもしれないが、やはり朝の遅れは嫌なものである。
結果論でものを言うのは卑怯なことかもしれないが、もう少し機転が利けば、もっとスムーズにことが運んだだろうに、と思う。
このところ、人身事故の発生が続き、なかなか平和な日々がない。
事故の防止はまた別の次元としても、運転開始後のダイヤの乱れはちょっとした機転でかなり変わるのではなかろうか、
と自分にも言い聞かせてみる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 姿が見えないと寂しいね
7/17
月曜日は全体的に朝の電車が混む。
単身赴任のお父さんや、月曜だけ出社する営業マンとかの関係だろうと思う。
今日は火曜日、といっても三連休の明けなので、実質月曜日のようなものだ。
きょうもいつものように707Mなのだが、普段見ない顔の人間が多数。
おまけに電車が入ってきてもいつも通りゆっくり車内に入ったところ、見知らずのおじさんにわだらんのいつもの指定席を取られてしまった。
もちろん実際に指定席ではないわけで、誰が座ってもいいのではあるが、ちょっとわだらん的にご機嫌斜め、というか腹立たしい。
まぁ、だからといって文句を言える筋合いではないが。
また新潟で大きな地震があった。
またなどというと不謹慎かもしれないが、やはり感覚的にはまた、である。元の方の心労たるや大変なものであろう、と思う。
しかし青海川駅の映像はかなりショックである。あれだけの土砂があると取り除きも大変だろうし、復旧作業も余震の中ではままならないだろうと思う。
三年前の中越地震の時、県道で土砂崩れが起き、あの幼い子供が助かった信濃川右岸の護岸工事には
結局2年以上かかったわけだが、今回の青海川駅の復旧はどうするのだろう?
まさか二年近くも列車は停められないだろうし、仮の洞門でも作るのだろうか。
最終的にはトンネルを掘るのだろうな。
せっかく海が見えるところなのに残念だ。
そんな災害で、今朝のきたぐにはお休み。
いつも707Mの横を通過していくのが当たり前で、きたぐにが来ないとやはり寂しい。
福井や金沢からの関西空港などへの足にもなっている列車で、座席の利用者も毎日結構ある。
夜行とはいえ、北陸対関西の列車でもある。
ほくほく線経由で新潟と結べないものか、と思う。
もちろん信越線が早く復旧して、いつものように列車が走っている姿が早く見たい、その日が来るのを心待ちにしようと思う。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 続・鉄道も被害者なのだろうが
7/12
大型の台風が接近しているらしい。
もうそんな季節になったのか、と考えては見るが、まぁ天災だの事故だの列車の運転を阻害する要因に事欠かないこの頃である。
湖西線は風に弱いかと思えば今日は大雨、新聞では毎日痴漢騒ぎだの乗客の喧嘩だの、
汚物騒ぎまで、よくもこれだけ次々と話題がでてくるものだ、と思う。
昔、室戸台風が瀬田川で急行列車を倒した事故の時には、瀬田川左岸に仮の駅を作って、
乗客は瀬田の唐橋を渡って石山駅との間を徒歩連絡したそうだ。
何しろ鉄道以外の交通手段がほとんどない時代、とにかく列車を動かすことが至上命題であったわけだ。
空から爆弾が振ってくるような中でも、魚雷が海に浮かんでいるような中でも列車や連絡船は運航していたわけで、
その努力たるもの、並々ならぬものであったと思う。
いわばいつ事故になってもおかしくない状況なわけで、「それでも列車は動いていた」という名言の重さたるもの、すごいものだと思う。
今の世の中、いつの間にか事故が起こると、「何でそんな状況で列車が動いていたのだ」みたいな論調がでるわけで、
羽越線いなほの事故など、どう見ても無理難題を押しつけているような気がする。
わだらんはいつも通り野洲まで帰れた(そこにちょっとしたドラマはあったのだが、今日は省略)ので、
何も問題はなかったが阪和線の住民さんたちは大変であっただろうと思う。
確かにせめて鳳まで、欲をいえば和泉府中までの折り返し運転ができていればよかったのだろうけれども、
この状況下で手信号だの無閉塞スタフ運転だのしようものなら、それこそ叩かれる材料になりかねないし、なかなか難しい。
しかし、はるかの乗客はちゃんと飛行機に間に合っただろうか。
日本語を理解できない外国の方は大丈夫だっただろうか、ちょっと気になる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 鉄道も被害者なのだろうが
7/10
しばらく落ち着いていたのだが、ここにきて急にまた人身事故が多い。
世の中景気がいいだのボーナスが増えただのという話もあるようではあるが、
こう暗い話が多いのも困ったものだ。
最近はみんながだんだん慣れてきたのか、駅で大騒ぎするようなこともなくなってきたようだし、
少し様子を見て運転再開を静かに待つ、というかあきらめムードなのであろう。
高槻や芦屋なら阪急も使えるだろうが、わだらんのように野洲まで、となるとどうしようもない。
下手に阪急で京都河原町まで行ったところで先が続かない。
もちろんそこから京阪で石山まで、という手が使えないこともないが、今度は石山で先がない。
草津線の京都直通が捕まれば、手原まで行ってそこから徒歩1時間。
あるいは湖西線で堅田まで、そこから近江鉄道・江若バスで守山、とまるで遠足のようなルートを取ることもできるが、現実的ではない。
結局運転再開を待っている方が早い、ということになる。
ただ、最近問題なのは運転再開後の電車がまともに走らないことである。
昔なら駅で通告券と運転用時刻表を駅員が乗務員に渡して、遅れた列車を
途中から別の列車に仕立ててとっとと送り出していたものだが、今はどうも途中で列車番号を変えるようなことはしないようである。
お客からすれば60分や80分遅れた列車の案内よりも直近に何が来るかの方が重要だと思うのだが、
どうもある列車はあくまでその列車、と指令が見ているようでなんとも歯がゆい。
おまけに前が開いていても進路は引かれず、着発線変更も内外振り替えもせず、遅れが大きくなるばかり。
乗客の疲労も大変ではあるが、乗務員氏の心労はいかがなものだろうか?
あるいはあきらめなのだろうか。
金曜日はまだ直前の電車を新幹線で捕まえることができ、月曜日は運転再開後の新快速に乗ることができ、
事故が多い割には幸いにも大きな影響を受けずに帰宅できているわだらんは運がいい。
とはいえ、大阪でC電の後を追って律儀に内線開通待ちをし、
高槻では4番が空いているのに、列車順序優先か、目の前で3番に入るT電に抜かれ、
何か釈然としない気分である。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 新幹線と国鉄電車
7/6
どちらかというとつきあいで参加した宴会に行ってきた。
「宴たけなわではございますが」で一息ついて、終了と共に大阪駅へ向かう。
改札口は20:11、15分の3524Mなら8両ではあるが、京都で座れるな、と思ったその時、須磨鷹取の人身事故の放送が。
3524Mはしばらくこないらしい(これが当該とわかったのは後の話だ)。
7/8番へあがると、20:17の1224Cが停まっている。
どうやら20:08の826Tはほぼ定刻で出たらしい、と1224Cの運転士氏から情報を得る。
確かに、遅れる理由はないわな。
ならば1224Cに乗って、途中すっ飛ばして京都で824Tを捕まえよう、と。
新快速も快速もしばらくこないとしきりにアナウンス、1224Cはよく混んでいる。
そんなC電を新大阪で降りる。階段を上がって新幹線コンコースへ。
20:23のひかりは切符の調達で間に合わないが、20:30ののぞみには切符を買っても乗れそうだ。
ICOCAは新幹線には乗れない。磁気定期券なら乗れるのに、と嫌みの一つも言いたくはなるが。
のぞみ48号は金曜日の夜で、よく混んでいる。
まぁ立ってもしれている、と6号車デッキに。
新大阪をでて、通路を歩く人が減ったところで、ちょっと座席に。
もちろん違反行為ではあるが(特定特急券なので自由席利用だ)。
10分も座らないうちに京都に到着。20:44。
2番乗り場へ降りると、826Tは5分遅れの案内。
しかもやってきた824Tは京都で発車見合わせ、21:10頃とする、とアナウンス。
草津までは0番から20:56の草津線(5386M)が草津まで先着、と。
いまさら0番に動くのも面倒だ、と20:54の湖西線1844M で山科へ。
新快速の受けのない湖西線の編成後部は空いている。
そこから5386Mで草津へ。
5386Mは草津までの琵琶湖線客を拾って混雑甚だしく、客扱いで遅れ拡大である。
117系を味わう暇も余裕もないのが残念だ。
結局5386Mは7分延で草津着、大量の琵琶湖線客をホームに放りだす。
やがて826Tが草津34分延で到着。
結局野洲は21:58着で、新快速の待避なく出発していった。
新幹線で飛ばしたのが正解だったか、はっきりと検証はできないが、
少なくとも野洲でその後の上りが832Tで遅れ60分と出ていたところを見るとはずれではなかったとは思われる。
まぁ、事故のまだすぐ直後で助かった、といい方向で考えよう。
手には1380円の新幹線切符と、113系117系への久しぶりの乗車、非日常体験である。
まぁ、これが非日常だからまだ非日常だと笑っていられるが、間違っても日常にはなりませんように。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 車体傾斜
7/2
もうその区間が廃止されて10年もたつのだが、昔信越本線の横川〜軽井沢間の碓氷峠を通過する車両のうち、
空気バネ台車の車両は、碓氷峠通過中は空気バネをパンクさせていた。
車体の揺れを最小限にして、台枠や連結器に過度の負担をかけないように、というものである。
つまり車体は沈みきっていたわけだ。
なので、当然乗り心地は悪く、ごつごつした振動が伝わってきて、逆にそれがいかにも碓氷峠を通過している、と実感したものだ。
ちょうど空気の減った自転車に乗っているような感覚だった。
最近は空気バネなどの制御を行って、車高を調節するバスもある。
一旦沈んだ車体を持ち上げるのはなかなかすごいものだ、と感心する。
最近欧州では車体を上下させる車体傾斜装置つきの電車がはやりで、カーブの多いドイツや
スイス・イタリアの電車特急の仲間に車体傾斜装置を付けた仲間が増殖している。
路線の改良と合わせて、車体傾斜の車はますます増えて、所要時間の短縮に貢献していくのだろう、と思う。
N700系がいよいよ走り出す。上り1番の100号は、新横浜と品川に停車しても東京まで2時間26分、これはかなり速いと思う。
品川までなら2時間19分、航空機に充分対抗できそうである。
車体傾斜装置の威力とはすごいものだ、と思う。
ところがである。
今朝少し寝坊して713Mに乗ったところ、車掌にしきりに乗客の男性が話し込んでいる。
携帯の画面を見せてどうのこうの、システム障害がどうのこうのと言っている。
気にはなったが、睡魔に負けて寝てしまい、その後の話は分からない。
ただ、あとから今朝東海道山陽新幹線のエクスプレス予約で障害があったようなので、そのことだろう、と気がついた。
みんなN700の列車に一斉に予約をかけたのだろうか?
新しい技術の新しい車である。みんなに愛される車両になりますように、
そして某新幹線会社さんがもう少し一見さんや外国人に優しい企業になりますように。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車順序
7/1
金曜日の話である。
なんとなくのんびり帰ろう、と大阪19:39の822Tに乗る。
8番ホームにあがったときには19:36、既に電車の入線間近だったのだが、先頭位置で着席できた。
12両のT電はありがたいものだ。
さっそく大阪をでてすぐに眠りにつき、西大路で目が覚める。
先行の新快速が急病人手配で遅れているので、発車を見合わせます、とのこと。
最近京都での機外停車が少なくなった。
といっても決して指令の捌きがうまくなったわけではなく、遅れはむしろ拡大する方向なのだが、
上りT電が場内の停止を食らうことは減ったのだ。
つまり、西大路で発車を見合わせているわけで、確かに線路上に停めるより駅にいた方がまだまし、というのは事実だ。
先日も東京で4時間も電車が停まる事故があったようだが、最近は何かあったときの復旧が遅い、とつくづく思う。
少なくとも東北高崎線が止まっても京浜東北線まで止めなくてもいいのでは、と思うのだが、何か作業上の問題があったのだろうか。
車内におられた方にはとてもつらい時間であっただろうと思う。
なにもそこまで、と正直思う。
でも、最近思うのだが、エアセクションなる電位差の発生する地点は、最近になって急にできたわけではなく、
昔からあったものなのだが、どうして最近になって事故が起きるのだろう?
先日も大阪駅西方で同様の事故があったのだが。
昔も同様に起きてはいたが、ここまで派手にならなかった、ということだろうか?
結局822Tは10分遅れで草津へ着き、ここで後の新快速とはるかに道を譲る。
遅れていた3520Mは野洲2番で843Tとして折り返していくため、822Tの入る場所がないのである。
それはまぁいい捌きなのだろうと思う。
ただ栗東で822T〜3522Mを待っていた方がいればかわいそう。
目の前で3522Mが通過していき、822Tで野洲に行っても結局824Tになる。
もし彦根まで帰る客がいれば、それで25分は遅くなることになる。
まぁ、そんなに栗東から下り方面のこの時間はお客がいないけれど。
わだらんも草津で3522Mの客となる。さすがに草津まで来ると3522Mも空いて大阪での混雑が嘘のよう。
この電車、混むので避けている電車なのだ。
そんな3522Mで静かに野洲に帰る。
何となく長く感じた一日であった。
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