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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
07年 10月
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459. 10/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 柿や栗の名産地
458. 10/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 続・地域の起爆剤にはならなかった
457. 10/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 地域の起爆剤にはならなかった
456. 10/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 大阪湾4回、敦賀湾1回
455. 10/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 確実に座るための努力
454. 10/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 高槻まで先に着きます
453. 10/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 日中活動して夜移動
452. 10/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 人が線路に入っても列車が停まらなかった頃
451. 10/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 「新快速停車駅」が売り文句
450. 10/6 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 急がば回れ
449. 10/3 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 大量輸送の花形
448. 10/1 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 隣は何をする人ぞ
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 柿や栗の名産地
10/30
この秋は岐阜がデスティネーションキャンペーンの舞台である。
今日の帰り道、ふと野洲駅で見つけた大判のポスターは干し柿の軒先吊るしのものであった。
どこか東濃あたりだろうと思っていたが、よく見ると中の説明に平井とある。岐阜市の北に当たるところだ。
足は岐阜から伊自良長滝ゆきバス、とある。
わだらんが高校への通学に使っていた伊自良長滝ゆきのバスを思い出してちょっとしんみりしてしまった。
確か新岐阜7:40発だったと記憶している。
まだわだらんが高校生の頃は、伊自良村(現山県市)あたりは本当に田舎で、いや田舎に引っ込んでいるイメージで、まさに山へバスが入っていく感じであった。
そのバスが伊自良で折り返して11時前にまた学校の前を通るのだが、よくもまぁ無事であんな山の中から戻ってきたものだ、と真剣に思っていた。
もちろんあんまりこんなことを書くと伊自良の方に失礼に当たるのだが、少なくとも今のように買い物で10kmも20kmも車で走るような時代ではなかったわけで、
一日数便のバスが街と田舎を結んでいるように思えていた。
いまでは伊自良長滝へのバスは補助金対象でほそぼそと走っているのだがまた折りがあれば一度伊自良へ行ってみたいと思っている。
もっともその時はマイカーなのだろうが。
わだらんが大阪駅で見ていた米原や大垣行きの電車を見ていて、この電車はどうなるのだろう、大阪へ戻ってこれるのだろうか、と悩んでみたのが運用ヲタになったきっかけである。
今野洲に住んでいると大阪より米原の方がずっと近いのだが、子供の頃は米原がとてつもなく遠いところに思えたものだ。
今の新快速なら長浜までおよそ1時間30分、大阪駅で3時間少し待っているとその電車が戻ってくるほどに早くなって、とても遠いとは思えないが。
地元で用事があって、今日は大阪駅17:30の敦賀行き3496Mに乗る。
車内は通勤客より買い物帰りや出張・外回りの勤め人の方が多いように感じる。
野洲まで1時間、降りるときには学生や通勤客も目立っていた。
昔なら野洲から大阪へ通う例はうんと少なかっただろうし、彦根や長浜なら営業マンは泊まりで仕事をしていたのかもしれない。
今や野洲や八幡でも大阪への通勤通学が当たり前、新快速のおかげで心理的な距離はぐっと縮まったような。
電車にかかったフルムーンのポスターは美濃市内の上有知川湊灯台という、かつての名鉄美濃駅から15分ほどで歩けるところ。
なんともマイナーなところがポスターの舞台だ、と思い出しながら家へと向かう、かつての岐阜市民わだらんであった。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 続・地域の起爆剤にはならなかった
10/28
湖南幹線というものがある。実は鉄道でなく道路の話で、近江大橋から野洲まで4車線の道路を作ろうというものである。
途中狭くなりながらも草津市内はほぼ完成し、現在栗東市内で道路の建設が進んでいる。
これが完成するとわだらんもずいぶんと車で大津市内への移動が楽になりあるいは草津駅西側の店舗集合体に行きやすくなる。
早くできないか、と少々いらいらしたりもしているが。
ところで、先日野洲市のある職員の方と話をする機会があった。
湖南幹線の話になり、もし湖南市(現在の湖南市のことではない)ができていれば、道路はもっと早くにできていただろう、と嘆いておられた。
確かにこの湖南幹線が貫通すると、野洲市内、特に市役所や駅周辺の通過交通の分散にもつながり、車を減らせる意味で待ち遠しいものだ、と思う。
もちろん湖南幹線自体は現在も進行形である。従って湖南市があってもなくても完成することは間違いないのだろうが、でも、もし湖南市ができていればもっと早かっただろう、という見解であった。
ここでいう湖南市とは草津・守山。栗東・野洲・中主の旧2市3町の合併新市である。
滋賀県も地域も基本的にはこの合併を進める方向で話をまとめたかったが、話がまとまる前に栗東が単独市制をひいて、この合併話はなくなってしまった。
まぁ栗東からすれば、財政的に不安定な草津や他の市町と合併しなくても自分のところは十分食える、
むしろ合併することで高水準の市民サービスを維持できなくなると判断した(であろう)わけで、それは一つの選択肢としては認めざるを得ないとは思う。
が、これによって栗東市は少なくともまわりと若干のすれ違いを生じることになったのである。
さて、問題の新幹線新駅であるが、栗東市の工事費負担額は101億円。
一方草津市で5億、野洲市は3億ほど。
つまり地元自治体といっても栗東市の負担がほとんど(これに栗東市単独の駅前整備事業がある)わけで、周囲の理解を得ずして栗東市単独での建設はほとんど不可能であろう。
もし栗東市が単独市制をひかず、湖南市として新たに発足していれば、新幹線新駅が新市の玄関口としてPRできただろう、と思う。
また財政的にも新市が全体で工事費の負担をするのであれば、もう少し展開が変わっていたのではなかろうか、と思う。
わだらんは決して新駅促進派ではないのだが、ただ今回の騒動、要するに栗東市の独り相撲ではなかったのか、と湖南新市要望派のわだらんがぼそぼそと言ってみる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 地域の起爆剤にはならなかった
10/26
10月24日、ついに方針が決まった。新幹線栗東新駅の話である。
報道があった時点で何か書こうかと思ったのだが、うまくまとまらずに金曜日になってしまった。
なかなか難しい話だ、と改めて思う。
南草津駅の西側の区画整理事業が完了し、いよいよ建物が建ち始めた。
マンションより先にスポーツクラブや葬祭斎場ができてきたのはご愛敬か?
いずれにせよマンションが今後いろいろと建つのだろうと思う。
駅から徒歩数分、京都も大阪も乗り換えなしの直通電車となれば売り文句はいろいろあろうかと思う。
滋賀県以外、京都や大阪府からの転入はどれくらいになるのだろう?
ところで、南草津の駅に近い、ということは京都にすぐ出ることができるわけで、
この南草津の新住民がわざわざ草津線に乗り換えてしかも400Mも歩いて、時間2本程度の新幹線に乗っていくか、というとやはり望み薄であろう。
少なくとも西に行くときは間違いなく京都だろうし、東京への出張でも結果的に京都の方が列車の選択の幅など考えると有利であろう、と思う。
つまり、南草津の新住民にとっては栗東新駅はメリットがほとんどない、ということになる。
本来、空港や高速道路ICができると、その地域は便利になるはずである。
ところが、どうもこの新駅を見る限り、その利便性が享受できる範囲というのが極めて狭いように思われる。
草津線沿線が便利になると言っても旧甲南町や旧甲賀町から東京への移動にわざわざ栗東まで出てくるのだろうか?
新駅が仮にできたとしてもそのころには第二名神ができている(実際には08年春の予定だ)し、
わざわざ新幹線に乗るために栗東まで出てくるだろうか?
ただ、駅が全く無駄とは思われないし、実際わだらんにしても、
例えば甲子園口に落雷があって新快速が停まっても、もし摂津富田の富田村踏切で事故があっても、
栗東まで新幹線で飛ばせばなんとか帰れない訳ではないし、
少なくとも栗東や野洲あたりの遠方からの出張者が使うことはあろうと思う。
まぁ、その頻度に見合うだけの税金投入の価値があるかどうか、ということだろうと思う。
とにかくこの2年で大きく揺れた新幹線栗東新駅は建設中止である。
この分、県負担でも117億円が使わずにすんだ訳である(実際には区画整理事業について県が栗東市に対する何らかの費用負担は必要であろうが)。
この浮いたお金を京都駅・野洲駅の拡張による京都−野洲間の電車増発、草津線の部分複線化に利用してほしい、
と要望を県に手紙を書いてみようかと思っている。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 大阪湾4回、敦賀湾1回
10/22
いい天気の一日であった。
こんな日は仕事もせずに、のんびりと電車に揺られてどこか広々とした景色をみていたい、と思う。
明石海峡のあたりを電車の中から眺めるだけでも気分いい日だろう、と思う。
地元で寄り合いがあるので、早々に仕事場を退散して、大阪駅17:30の3496M新快速を待つ。
ホームに上がったのは既に電車の入線直前で、各扉とも長い列ができている。
この列を見ると、1線潰してホームを拡幅したのが大変よかった、と思える。
以前の9/10番ホームなら、確実に10番側ホームの端まで列が延びて、そのまま末端はぐちゃぐちゃになっていただろう。
そんな長い待ちの列の中に入ってきた新快速、大量に人を吐き出し、そして大量に人を吸い込み、発車待ち。
わだらんも8号車の通路の中で誰か新大阪で降りないか、ときょろきょろ。
さて、今日の3496Mの前8両、敦賀行きはぴかぴかの新車、V63編成。
窓の構造が変更になって、同じ223系新快速車の中では異端児である。
なにより車内がまだきれいなこと、そして窓が大きい(横分割がないので)のがわだらんのちょっと気に入っているところである。
この電車、実は今日の朝にも乗っている。
野洲5:58の709Mの後ろ側、つまりわだらんの朝乗る8号車が実はこの帰りと同じ車なのである。
この電車、V63編成は朝野洲を出庫して姫路へ、湖西線経由で敦賀へ、昼に敦賀から網干へ戻ってきて、
そしてもう一度この3496Mで敦賀へ行き、今日は敦賀で宿泊となるのだ。
つまり、日中何もダイヤの乱れがなければ野洲5:58の709M後4両と大阪17:30の3496M前4両は同じ電車である。
そんなわけで今日のこの電車V63編成は、神戸−明石を2往復4回、敦賀→新疋田の上り坂を1回通っていてそれぞれ海を見ているわけだ。
天気も良くて気持ちよかっただろう、と思う。
もちろん電車が海を見ることはできないのだけれど。
幸いにも高槻降車客がいてめでたく着席、その後すぐ寝て草津まで夢の中。
熟睡できるのはありがたいが、何より予定通りに電車がきて、日中平和に電車が走っていた裏付けがあることがよかった、と思えるわだらんである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 確実に座るための努力
10/19
木曜日、大阪駅の8番ホームに上がったのが18:01。
18:08の810T、12両の快速電車の最後尾でのんびり帰ろうと思っていた。
ちょうどとなり9番は、18:00の新快速が出たばかり、まだホームは閑散としている。
6号車や5号車付近ではまだ列のできていない扉もあって、これならまだ座れるか、とちょっと心が動く。
どうも編成中央は皆が警戒するのか、あまり列の形成が早くないようである。
もちろん編成中の他の位置と見比べたわけでないので感覚的なものだが、まだ列車が出たすぐの段階では比較的いい位置が取れやすいようである。
ただ、編成中央は降車客も多く、また大阪をまたぐ車内滞留客も多いので、下手をすると列先頭でも座れないという問題を抱えるわけではあるが。
と9番ホームを観察しながら8番ホームを歩いていると、面白い光景に気がついた。
8両編成の停車位置はまだ人がまばらなのに、後ろ3両位置、しかも後ろになるほどの既にできている列が長いのだ。
つまり、この列は前の電車、18:00の新快速が発車する前に既に列が形成されていて、かつそこに並ぶ客ははなから18:00には目もくれていないということになる。
わだらんも時折12両の先頭や最後尾の位置で列の先頭に立ち、前の電車を一本見送ることはあるが、出た後の結局のところ、
次が12両で座りやすいことがわかっているのなら、目の前で降車乗車が交錯する位置にいるより、車両の止まらない、
8両編成停車位置からはずれたところで列を作る方が楽だ、とみんな考えていることになる。
なるほど、みんなよく見ているなぁ、と改めて関心。
でも8両編成のあとがまた8両(たとえば19:30のあとの19:45とか)ではどういう列をみんなが作るのか、今度はちょっとそれも気になった。
そうこうしているうちに8番のりばの後部にやってきた。
なんと、ここでも結局編成中間部より乗車列が長いではないか。
しかもこのあたりで並んで待っている客はほとんどが高槻利用者と思われ、下手すると高槻まで座れない。
それなら新快速でとっとと帰る方がよかったか、と自分の読みの甘さにちょっとがっかり。
それでもなんとか大阪で座席を確保し、やれやれ。
とはいえ、窓側でゆっくりなどというのは全く無理で、後ろ向きの通路側と、これならわざわざ編成後ろまでやってこなくてもよかったのに、とぶつぶつ。
そんなことをいいながらも結局高槻で車内はごっそり空き、わだらんも窓側へ移ってのんびり。
結局目が覚めたのは栗東で、しかもまわりにはほとんど人がいない。
もっと早く目が覚めていたら座席を倒して足を投げ出していたのに、と結局思い通りに行かないことばかりの帰路であった。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 高槻まで先に着きます
10/17
18:15の3502Mで高槻着席目標にしようと大阪駅に向かったのだが、幸か不幸か(いや不幸ではないだろう)18:02の1206C、
高槻行きの普通電車に間に合ってしまった。
せっかくなのでたまには普通電車で帰るのも悪くなかろう、と適当に前から5両目に乗ってみる。
車内は結構な混雑で、さすが通勤時間帯と思わせる。確かにこの時間、新快速も混んでいるのだが、
新快速に使われる223系の場合は車内の座席配置の関係で混んでいる場所と混んでいない場所に分かれる。
一方、この普通電車の321系の場合は車内のどこでも混んでいる。
当然詰め込みも効くわけで、大津花火に使われる臨時電車がほとんどこの321系使用になってしまうのも仕方ないことなのだろうと思う。
新大阪で空くかと思いきや、むしろ乗ってきて混雑度が増してきた。
東淀川では駅構造上の問題かほとんど降車なく、吹田で降車少々。
といっても乗車もあり、吹田で空いたとまでは行かない様子。
このあたり、階段の位置が結構乗車率に影響するようで、千里丘ではかなりの降車。
確かに立っても20分程度なので、どうせなら出口(階段)に近いところに乗るわな。
その点、野洲あたりまで乗るような客は階段位置より座席の有無だ。
実際わだらんが12両編成の1号車、一番後から野洲で降りてもわだらん以外に結構降車がある。
野洲で12両編成の1号車は階段までかなり遠く、雪でも降っていればそれこそ大変なのだが、でも座席にありつける方がいい、というわけだ。
ただ、座席の選択がある程度できるようなら、やはり階段(出口)に近いところの方が好まれるようで、
朝の下り電車は野洲で見ていると早い時間の電車ほど前が空いている。
わだらんもそうだが、大阪駅の御堂筋口が後よりではないか、と思われる。
実際、乗るために待つのはいいとしても、下りの12両編成の前よりは大阪駅で改札階に降りるのに結構難儀するのだ。
結局のところ、座れる余裕のあるものなら階段に近いところ、座れなくてもどうせ立つなら階段に近いところ、というわけか。
結局茨木で1206Cを降り、ホームの一番後まで歩いて次の快速、810T(12両編成)の1号車に立ち、
高槻で3502M(12両編成)の1号車に座り、草津で808T(同じく12両編成)の1号車に座る。
わざわざこんな乗り方をするような通勤者はおそらくいないだろうが、まぁいろいろな電車に乗った、ということにしておこう。
やっぱり、808Tの1号車からの野洲降車はわだらんだけではなかった。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 日中活動して夜移動
10/15
冬の臨時列車が発表になった。
ムーンライト九州も例年通り出るので、可能であれば夜行の往復で、島原鉄道の南部へ行ってみたいのだが、状況が許してくれるかどうか。
もうあと3年で新幹線が鹿児島までつながる。東京〜鹿児島の直通旅客は皆無に等しいだろうし、
直通列車も設定されるわけはないが、大阪〜鹿児島なら、新幹線で充分飛行機に対抗できそうである。
しかし、大阪〜鹿児島が4時間、というのもなかなか恐ろしい話で、何かにつけ夜行で九州へ出かける身としては、
この先九州への在来線の直通列車の命運が気になるところだ。
景気の状況がよければ、東京からの九州夜行寝台が高級感あふれる列車になっていた可能性もあるが、今となってはもう望み薄。
それでも書店に並ぶ大量の鉄道旅行雑誌、特に最近は団塊世代の引退による鉄道旅行がブームな折、
何とか夜行列車ももう一度華を咲かせてほしい、と思う。
大阪駅で3498M、17:45の新快速に飛び乗る。
向かいのホームには日本海1号が停車中。
先頭部にはカメラを持った人間がうろうろしている。
何か記念の写真でも撮れたかな。
列車の乗客はみなもう車内に乗り込んで、ホームは閑散。
昔のように見送る人もいないし、もう出かけること自体が珍しくなく、ごくありふれた光景になってしまったのだろう。
ちょっとそれも寂しいが。
3498Mは定刻の発車であった。日の落ちようとしている空を見ながら淀川橋梁を渡り、新大阪へ。
日本海を待っていると思われる乗客数名。
わだらんは寝ても野洲で起こされるが、寝台車の客になったみなさんがよい眠りにつきますように。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 人が線路に入っても列車が停まらなかった頃
10/12
もし、叶うものであれば、わだらんが今一番行ってみたいところは野洲や米原、それも1954年〜55年の頃である。
まだ稲沢電化までで、関ヶ原や野洲を大型蒸気が大量に走っていた頃を自分の目で見てみたいと思う。
ひょっとして1954年3月12日朝に野洲にいれば黒岩保美さんや高橋弘さんに会えたかもしれない、などと妄想してみる。
尾張にお住まいの方から、「国鉄時代」という本を読みなさい、とアドバイスを受けていた。
なかなか本屋でゆっくりする時がなく、今日やっと旭屋書店に立ち寄って立ち読みした次第。
野洲川を渡るC59の写真があり、旧橋梁をほとんど覚えていないわだらんにとっては、なかなか感慨深いものがある。
特にわだらんはC59という機関車を実際に生きた姿で見たことがなく、優等車を連ねた急行列車を牽く姿を目の前で見れば、きっと大騒ぎだろう。
ところで、旭屋書店でもう一つ、ちょっと気になる本を見つけた。
「鉄道青春時代(東海道線)」という写真集である。これの巻末に米原や京都の昭和35年当時の配線図があり、
拡張したて米原駅や、梅小路立体前の京都駅、さらには複々線前の膳所や大津など、興味深い図がある。
もう一つ、黒岩保美さんの写真集2も発刊されていて、米原駅に佇むE10の姿。
確かに伊吹山を過ぎると、京都まで田んぼしか見えない退屈な区間だと思うが、決して飽きることのない風景が広がっていたのだろう、と思う。
もちろん、それは今を知っているから昔を知りたいだけ、なのかもしれないが。
そんな余韻に浸りつつ、大阪駅へ戻ってくると、人が線路に入ったとかで大騒ぎになっている。
わだらんはかろうじて大阪駅1837の3508Mに間に合い、しかも京都で座ったので大した苦行にはならなかったが、
それでも野洲まで95分、京都から各駅停車で時間調整あり、とずいぶん時間がかかってしまった。
塚本−大阪の公衆立ち入りで、なんで大阪始発(しかも入線していた電車)が出発できないのか腑に落ちないところだが、
まぁ遅れのおかげでわだらんも間に合ったわけだから、文句は言うまい。
まだ蒸気機関車が闊歩していた時代、信号は駅と駅が連絡しながら各駅の駅長が操作していた。
つまり、駅長が列車の安全をそれぞれの駅で見守っていたわけだ。
今が昔に較べて不安全になったと言うつもりは毛頭ないが、かつての駅扱いであれば、ここまでダイヤが乱れなかったのでは?
と出発指示の出ない大阪駅10番ホームでふと考えてみる。
余興:「国土変遷アーカイブ」を検索し、滋賀県彦根市を選び、「USA-M86-A-6-100 」の写真を開くと、
現在の南彦根駅付近を走行する上り列車とその機関車が吐く煙を見ることができます。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 「新快速停車駅」が売り文句
10/10
大阪18:37の3508Mに乗る。
うまくすれば高槻で座れるだろう、と次も待たずにとりあえず乗ってみる。
乗る直前に缶酎ハイとピーナツを買って、座れたらのんびり飲もうかな、と思っていた。
もともと大阪始発でもこの3508Mのほうが、後続の18:52発3512Mより混んでいるのは経験則で知っている。
でもまぁ何とかなる、といい加減。
結局高槻でも座れず、京都でかろうじて座席を確保。
窓側ではないが、鞄を開いてぼちぼち一人宴会。
密かな楽しみ、かな。
さて、この3508Mと3512Mは通常のパターンからはずれた列車である。
高槻入線にはT電に影響されないのでどんどん突っ込めるし、京都から今では少なくなった外線走行。
そして石山でT電接続。
もちろん石山での降車は多く、わだらんの隣も石山で降り、窓側に移動。
石山自体降車客は多いが、そのほかに瀬田・南草津利用者も多いよう。
確かにこの電車利用なら、大阪から最速で帰ってくることができる。
日中以降の対大阪の所要時間は、野洲と南草津でほとんど差がない。
それほど新快速の実力はすごいもの(T電が遅いわけではない)のであって、いまや多数の利用客を抱える南草津が新快速停車運動をしてもおかしくはない。
ただ、わだらん的には新快速の速度低下は正直困りもので、むしろ石山で接続する琵琶湖線内普通の増発、つまり草津線の京都直通がわだらんの持論なのだが。
草津で降車がまたあって、車内は立ち客がほとんどなくなった。
利用者の数が駅の大きさを決める要素であることは間違いないが、やはり中心駅・拠点駅に停まるから優等列車、速達列車なのであって、停車駅が増えるのは迫力半減、と見る。
とはいえ、「新快速停車駅」と謳えると、人気も全く異なるのだろうな、マンションの価格にも反映されるかもしれないな。
南草津・栗東の新快速停車陳情、どうなるのだろうか?
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 急がば回れ
10/6
金曜日は大阪駅18:00の3500Mで帰宅。
先頭8号車の一番前で前から2番目に並んだので、後ろ向きながら大阪で着席できた。
そんなわけですぐさま熟睡。
目が覚めると石山で、途中新大阪も京都もまったく知らない。のんきなものだ。
話は飛ぶのだが、急がば回れという言葉の語源をご存じだろうか?
室町時代の和歌で、草津から大津まで、距離的には矢橋(現在の草津市)から石場(大津市)まで船に乗った方が早いのだが、
強風による欠航や危険度などから、急ぐときは遠回りでも瀬田を通れ、ということだそうだ。
実際電車に毎日乗っていると、草津の先で見える大津プリンスホテルがちっとも近づかないし、石山から大津にかけては右側に朝日が入る、
つまり北向きに線路が敷かれているわけで、ずいぶん大回りである。
かつて戦前、東京下関の弾丸列車が計画されたときは、名古屋から鈴鹿山脈を越えて野洲にでて、そのまま琵琶湖をまっすぐ大津に抜け、
東山トンネルで京都に出る計画になっていて、長大な琵琶湖の橋は敵からの攻撃目標にされるのではないか、と軍部が横やりを入れたそうな。
その計画通りに線路が完成していれば、ひょっとすると野洲に新幹線駅ができていたかもしれないが、まぁ夢の中にしておこう。
ただ、野洲から京都へまっすぐ線を引くと、現行の東海道線の線路はずいぶん大回りをしているものだ、と思う。
石山を過ぎて目が覚めたわだらんは、琵琶湖側の後ろ向きで外を見ている。
もうすっかり周囲は暗くなり、街の灯りが輝いている。
ふと今頃気が付いたのだが、瀬田を過ぎ、狼川への坂上りの途中、近江大橋の橋梁上の電灯が並ぶ様を遠くに見ることができるのだ。
夜に後ろを振り返る形での座り方をあまりしないので、気が付かなかった。
草津からまっすぐ膳所へ抜ける、近江大橋に平行するような線路であれば、ひょっとすると野洲ももうちょっと京都・大阪に近かったかもしれない。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 大量輸送の花形
10/3
わだらんは岐阜市に住んでいた中学生の頃、7月末と8月はじめに続けて開かれる長良川の花火大会をとても楽しみにしていた。
それが故か、花火大会と聞くとうずうずしてしまう。
夏の夜空に花開く大輪の花火はいつ見てもいいものだ。
おかげで花火やその他行事のイベント輸送を眺めるのも好きである。
まだ路面電車の岐阜市内線が元気であった当時、電車は末端区間を運休して新岐阜から途中の伊奈波通というところまでのピストン輸送。
そうすると車両の回転も上がるし、なにより伊奈波通以北の曲線径の関係で日頃大型車が入らないところに、途中までとはいえ大型車が入って活躍する姿は何とも興味深いものであった。
こんな大きなイベントの時こそ電車、とそう確信している。
2日の晩は大阪19:45の3516Mの1号車。
最初から着席はあきらめ、高槻着席狙いで通路に入って立っているが、近くに新聞を広げる人もなく、外は暗く、手持ちぶさた。
ふと、何人乗っているか数えてみよう、と。
ドア部をざっと数えると30人、おおよそ6列、つまり扉にもたれかかる人、吊革を持つ人、車両中央に立っている人、この3列の線対称。
数えたドア位置は後ろが車掌室なので、一列少ない、と見た。
そうやってざっと見ていくと立っている乗客は中間車で扉部36、通路18、車端9と出た。
座席分を足して中間車218人、定員162に対し150%。
以前運輸省のガイドで150%は肩が触れ合うが新聞は読めるレベルとあったので、実際そんな感じだろうと思う。
編成内のばらつきがなく、均等に乗ったと仮定し、223系2000番台の8両+4両で計2496人と出た。
おおよそ12両編成の4列車で1万人捌ける計算で、5万人のイベントなら20列車、5分おきに発車させて1時間40分で撤収、となかなか今まで見たものの感覚に一致するな、と自己満足。
実はこんなことを計算しようと思ったのは先週あった二つのイベントのことを思ったからである。
静岡での某自動車レースはバスの輸送にいろいろ問題があったようで、大変だったようだ。
一方沖縄では集会に11万人集まったそうだが、バスしかない宜野湾市の海浜公園ではどうやって11万人も捌いただろうか、と思う。
もっともインフラが貧弱だと鉄道であってもまともに捌けないわけで、三国港とあわら湯のまちの間でどこか列車交換できるところがあれば、
あんな偏った続行運転をしなくてもすむのに、などといらぬ心配をしてしまう。
3516Mは定刻に野洲到着。1号車は24人、混雑度18%であった。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 隣は何をする人ぞ
10/1
早いものでもう10月である。
わだらんも今日から長袖にしたのだが、いつも大阪駅構内を走って汗をかいている身からすると、あまり厚着はしたくない。
本音を言えばTシャツ短パンにサンダルで通勤したいのだが、さすがにそういうわけにもいかないし。
それでもやはり電車は冷房が入っている。朝晩はめっきり涼しくなったものの、やはり混雑した電車ではかなり室温が上がる。
長袖の身には特に冷房がありがたいが、でも冷え性の女性などにはきついのかもしれない。
朝晩涼しくなったと同時に、日も短くなってきた。
今日は18:15の3502M、12両の比較的空いた電車で、最後尾1号車にさえ飛び乗れば、あるいは新大阪で1号車に移れれば、高槻で座れる楽な電車。
今日もあっさり高槻着席、あとは熟睡。ただ、この3502Mは草津まで。
草津で強引に起こされるし、乗り換えねばならない。
まぁ逆に考えれば、近江八幡やさらにその先まで行かなくてすむ、というメリットであるのかもしれない。
実際、長浜行き新快速に京都から着席したはいいが、時折近江八幡までおでかけすることはあるのだ。
さて、高槻までは立ちながら周りの観察。何せもう暗くなってしまい、外の風景が全く見えなくなってしまっている。残念だ。
周りのみなさんは多くが携帯に向かって何か作業中。
多くはメールであろうと思われるのだが、よくゲームをしている人はいるし、先日は航空券の予約をしている人を見かけた。
わだらんは携帯でメールを打つのがどうも苦手で、長い文章が次々打てる人はうらやましい。
そう思ってみていると、わだらんの後に立っているちょっと長生きのおねえさんはどうやら英語で文章を打っている。
英語ができるのと、それを携帯でメールできるのと、どちらも尊敬してしまう。
高槻で無事座れたので、人の携帯を眺めているのは終わり。
座ってしまうとすぐに熟睡。寝ることは、周囲の人たちなど関係ないらしい。
どこでもモ寝られるのはわだらんの得意技。
すっかり空いた車内はとても静か。ありがたい話である。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |